「あれ、江里乃? 上着も着ずになにしてんの、風邪引くよー」

 ドアの前で立っていたからか、教室にいた優子が叫んだ。隣に米田くんがいて、じゃあ放課後な、と挨拶をしている。どうやらこの前のドタキャンの埋め合わせデートの話をしに来たようだ。

「あ、じゃあ。これ、ありがとうございます」

 もう一度頭を下げると、先輩は軽く手を上げる。背を向けて教室に入って振り返ったときには、先輩の姿は見えなくなっていた。

「なにしてたの? っていうか飴? どしたの」
「二ノ宮先輩にもらった」

 包み紙をほどいて、ぱくっと口の中に放り込む。舌先でキャンディーを転がすと、口の中に甘酸っぱいいちごの味が広がった。

「江里乃、先輩と仲良かったっけ? 話してるところは何度か見かけたことあるけど、飴もらうほどだった?」

 優子に言われたように、私と先輩は仲がいいわけじゃない。初めて言葉を交わした日から、先輩は私を見かけるたびに声をかけてくれたけれど、先輩は誰に対してもそんな感じなので、私が特別なわけではない。生徒会役員として、私から先輩に話しかけることもあったけれど、事務的なものばかりだ。話す時間はいつも短い。

 だから、私は先輩のことをなにも知らない。知ろうともしていなかった。

「今日、初めてちゃんとしゃべったかも」

 あの人の顔を、声を、まともに見て聞いたのは、初めてかもしれない。

 あのノートの主が先輩でなければ、私は知らないままだっただろう。

 ――『答えが出ないときは、わがままになってみればいいんじゃない?』

 ノートのやり取りを断らなくてはいけないと思っていた。だって相手は二ノ宮先輩で、私は柄にもないことを書き込んでしまったから。私だとは、絶対に知られたくない。知られたら一生顔を合わせられない。つまり、名乗れない。先輩が言わなくてもいいと思ってくれていても、それはずるいんじゃないかと思う。私だけが相手を知っていて、自分のことは隠すなんて。卑怯だ。正しくない。

 でも。

 悩んでいたのは、断るのが心苦しいのは、言いにくいのは。私が、本当は隠してでも交換日記を続けたい、と本心では思っているからだ。

 このまま、終わりにしたくない。

 ――『考えた上での好きな行動なら、それが正解でいいじゃん』

 いいのかな。

 そんな勝手なことを選んでしまっても、いいのかな。

 けれど、ワガママな考えが浮かんだ時点で、心の中では決まっていた。さっきまでの悩みがキャンディーと一緒に溶けていく。

 こんなふうに考える自分が、私の中に存在するなんて今まで知らなかった。

 先輩のことを知りたい。

 先輩のことを知ったら、私は私のことも、もっと知ることができるかもしれない。

 なにかが、変わるかもしれない。

 ああ、私は変わりたかったのか、とまたひとつ、私は私を知った。



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   お言葉に甘えて じゃあ私は名無しで
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   ありがとうございます
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   あらためて よろしくお願いします
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