前にも来たけれど、あのときは先輩が体調不良で仕方なく、だ。

 でも、今はつき合っている(と思われる)状態。いいのだろうか。いや、悪くはないのだけれど。家族が誰もいない家に、交際初日にお邪魔するのはどうなのか。

 先輩の部屋で、ぐるぐるとショート寸前のまま考えていると、先輩は「はい」と私になにかを手渡してきた。


「これ……」

 先輩が描いてくれたイラストだった。前にスマホで見せてくれたものだ。画像で見るよりも遙かにきれいな色は、紙から飛び出してきて私の世界も明るくさせる。

「この前放課後に誘った日、これを渡して告白するつもりだったんだよ」
「あの日?」

 私が、先輩を拒否した日だ。

 まさか、だって、そんなの。

「完璧なシチュエーションをイメージしてたのに、急に応援するとか言うから、俺のこと気にしてくれてると思ったのは勘違いだったのかと思った」

 それは、私の気持ちも気づかれていた、ということなのだろう。

 あの日から、お互いにすれ違ってしまったようだ。私のせいで。

「……いつから、気づいていたんですか」

 私の気持ちも、交換日記の〝ななちゃん〟が私だと言うことも。訊きながらおずおずとノートとハンカチを取り出した。先輩はそれに手を伸ばし、「けっこうはじめから」とあっさりと答える。

「なんで」
「汗かいてるよ、江里乃ちゃん」

 この真冬に汗はかいていないと思うけれど。

 突然脈絡なく意味のわからないことを言われた。冷や汗のことを言っているのだろうかと思っていると、先輩はズボンのポケットからハンカチを取り出し私の額をそっと拭う。

 言動をいぶかる私に、先輩はハンカチを広げて見せる。

 水色無地のハンカチだ。そのすみに、白い生き物の刺繍が入っていた。

 犬の刺繍だ。けれど、うまくできなくてプードルみたいになってしまった、もこもこの生き物。中学のころに作って失敗した、私のものだ。

「刺繍をするって書いてたときにもしかしてって思ってたよ。江里乃ちゃんかもって思えば、書いてること完全に江里乃ちゃんだなって。こないだも、江里乃ちゃんには好きな人がいること言ってないのに応援するとか言われたし」

 そういえば、そんなことを言ったかもしれない。

 いや、そもそも。

「なんで、これを? なんで、私の趣味を……」

「江里乃ちゃんが、はじめて話したとき にくれたんだよ。汗をかいている俺に『汗を拭かないと風邪引きますよ』って」

 そんな、些細なことで?

 汗だくの先輩は覚えているけれど、ハンカチを渡したことは記憶になかった。

「これが、ノートを落とした日に、なくしたハンカチ」

「え、これのことだったんですか? っていうか、本当だったんですか。ノートをごまかすためかと思ってました」

「このハンカチはノートよりも大事だから」