いったい、どんな気持ちでこれを書いたのだろう。誰かを思い描いて書いたのかな。もしくは、想像で、過去の経験で、書いたのだろうか。

 どちらにしても、この人は誰かを好きになれる人に違いない。そう思うと、痛々しくて寒々しいポエムが、想いのぎゅっとこもった、とても繊細でやさしい特別ななにかに思えてきた。

 だとすると、やっぱりこの誤字が惜しい。

 顎に手を当ててしばらく考え、鞄からビニールポーチを取り出した。中に入っているのは付箋やメモ帳、ハサミなどの文具だ。その中のピンクの小さな付箋を〝薔微〟と〝潮時〟と書かれた部分に貼り付け、黒いペンで文字を書き込んだ。

『薔薇ですよ』『潮時、は物事をするのに一番いいタイミングのことです』『この文章では引き際、のほうがいいと思います』

 余計なお世話かな。気を悪くしないといいな。でも、せっかく想いを込めた(と思われる)ものなら正しい文章にしなければ、もったいない。

 あとは、どうにかして持ち主に返すだけ。

 今も必死に探しているかもしれないし――と、思ったところで気づく。そう、探しているかもしれないのだ。朝から、放課後の今も必死に校内を見て回っているかもしれない。ということは、そういう人を探せばいいのでは。

 持ち主らしい人を見かけたら、こっそりと手渡すのがいいだろう。私以外の人には見られていないと伝えたら、きっと安心してくれるはずだ(私が見てしまったことは正直に話して謝ろう)。

 そうと決まれば!

 腰を上げて階段を駆け下り、一階に着くと廊下に飛び出る。

「……っわ!」
「あ、ごめん!」

 突然現れた人影に、思い切りぶつかってしまった。

「すみません、私が前を見てなくて」

 ぶつけてしまった鼻をおさえながら顔を上げると「あれ?」と明るい声が降ってきた。目の前には、カフェオレ色の髪の毛。

「江里乃ちゃんじゃん」
「……二ノ宮先輩」

 馴れ馴れしく下の名前で呼ばれて、つい顔をしかめてしまった。それを見て、先輩は笑う。この人はいつも楽しそうに笑う。眩しいくらいに。

「なんでそんな顔するのさ、せっかくきれいな顔してるのに」
「〝ちゃん〟づけで呼ばないでくださいって何度も言ってるじゃないですか」
「江里乃ってかわいい名前だし。あ、もしかして呼び捨てのほうがいい?」
「なまえでよばないでください」

 一言一句はっきりと口にする。それも先輩には愉快なことらしく、口を大きくあけて笑われた。なにがそんなに楽しいのかわからない。

「相変わらずおかたいな」

 褒めているのかバカにされているのか、判断がつかない。

「っていうか、なにしてるんですか、こんな時間まで」