第一王子であり、立太子を目前に控えているリシャールと謁見したのはそのすぐあとで、クロエはすぐに気が付いた。ああ、ルネだ。容姿はまったく違うけれども目が変わっていない。うす紫のアメジストを何度も見つめ、何度も見つめられた。色だけでいえば王家の人間はほとんどがうす紫の目であるものの彼だけは間違えようがないと感じる。

 ルネ。私の騎士。もうあなたに謝ることさえできないけれど、こうして私はあなたを見つけたわ。

 第一王子であるリシャールは今年十二になる。自分と七つも離れているが前世ではむしろルネが四つも年下だったのだから些末なことだろう。順当にいけば身分的にも自分が彼の婚約者候補としてあげられるはずだ。リシャールがどう思おうと政略結婚ではなしが進むのはほとんど決定事項だろう。



「大公に聞いたが、クロエは大層頭がいいそうじゃないか」



「はい、いいえへいか、かぶんなひょうかをいただいております」



「なに謙遜しなくていい、もう十五歳までの勉強がほとんどできるのだろう?」



「まだできぬことのほうがおおくございます」



「はっはっは、そうかそうか。いや、うむ、将来が楽しみだなあ大公」



 今の国王は自分がやりとりした当時の王の息子だという。前国王は足を患い、前王妃とともに辺境の領地で療養も兼ねた隠居生活をしているのだそうだ。たしかに、具合がすぐれないような話はしていた気がするが、足に影響のでるようなことは言っていなかったような気がするが状況が変わったのだろうか。

 機会があれば会いに行きたいとこどものわがままのように言ってみれば、よいよいと言って国王は笑った。この国の王家は正しく機能していてうらやましい限りだ。王弟である第二王子はさっさと臣籍にくだって場内に努めているのだという。権力争いの機微は歴史書を紐解かねばならなそうだ。



「ときに大公。もしまだクロエの今後が決まっていないならリシャールの相手をさせてはくれんか」



「は、ロラン殿下ではなく?」



「これは体も弱く、まだ未熟だ。学院に通うまではまだ時間があるから今のうちに他者と交流することを覚えさせたいのだ」



 非常に不服そうな顔ではあるが、反論もできないのかリシャールはぷいっとそっぽを向いてしまった。

 万人受けする、太陽のようであった男が今世は虚弱とはまったく神はこういうところでも驚かせてくれるらしい。どうだと問われたので頷いてリシャールに近づき最上礼で頭を下げると彼は驚いたように身をよじった。



「リシャールでんか、どうかわたくしとおはなしあいてになってくださいませんか」



 五歳の令嬢にそういわれて無碍にするわけにもいかなかったのだろう。渋々、といった様子ではあったが了承してくれた。国王と父は嬉しそうに、そしてほほえましそうに自分たちのほうを見ていた。







◇◇◇







 そんな思い出ももはや三年前の話なのだから子供の成長速度というのは恐れ入る。



 精神面はいい大人でも、改めて一から学びなおすと日々の速度がまるで瞬きのように一瞬だ。女王としての重圧に縛られていないというのも大きいのかもしれない。子供らしく、駆けまわって笑って過ごすことなんて許されてこなかった。

 規範となるために間違いは許されない。子供のしたことであっても将来評判にどんな傷がつくかわからない。あの王家にとって、そのときの自分にとってごく当然だったその考え方は外から見ればずいぶん凝り固まったいやな風習だと思う。

 自分の子供たちにもだいぶ無理をさせたのだろう。あの子たちはみな幽閉で済んだはずだがまだ生かされているのだろうか。この三年間で他国のことも調べてはみたが、そもそもあの国は私の死後、諸外国からつまはじきにあったらしく現状の仔細までは探れなかった。〈失敗〉と〈損失〉……神々の言葉は嘘ではないらしい。



 子供たちのことが気にかからなかったのかといえばそんなことはない。だが積極的に自分を貶しにかかったくせにあっさり民衆に裏切られたのだから立派なことだ。最後までアリスタの身を案じていたのはルネだけだった。夫であった国王さえも、処刑の間際に女王の首を差し出すと命乞いをしたものだ。

 だから今世は、せめて、まっとうに幸せになってほしいものだ。この男には。



「クロエ、新しい本がきたんだ。図書館に行こう」



「はい、リシャール様」



「クロエは本当に俺より年下なのかといまだに思うよ」



「まあ、リシャール様こそ。もう当時の自分をゆうに超えてしまったと陛下がおっしゃっていたではありませんか」



 引っ込み思案で体も弱いなどと言われていたはずのリシャールだが、クロエとかかわるようになって見る見るうちに明るく活発な少年になった。かつてのルネのように、とはいかないが別人とは言えこれだけ明朗闊達な性格であれば国民からの支持も厚いだろう。

 派閥はあれど、この国の王族とて一枚岩ではないらしく貴族たちの頭を押さえていられる策が展開しているようだ。さすがにそこまでは首も突っ込めないが国王や父がなにかしているのは見ていればわかる。高位貴族以下男爵家までがうまいこと掌で転がされているのだろう。あんな美丈夫もなかなかどうして執政には腹黒い面があるようだ。まあ、権威争いなんてそんなものか。



「アーシア大陸の魔女に関する歴史書だ」



「魔女、ですか。おとぎ話ではないのですか?」



「俺もそう思う。だがどうにもこの魔女という存在がアーシアの列強を陰で操っていたらしいという論文が発表されて歴史がひっくり返るかもしれないと」



 来年からリシャールは貴族の子息令嬢のための学院に通うことになる。といっても、家庭教師が主流なこの国で学校というのはあくまで平等な社交性や情報収集の隠れ蓑であるし、子供といえど貴族は貴族。そういったものはよく理解しているはずである。

 しかも城から通うのだし、授業らしいものも週に三度、午前中か午後のどちらかだけ。とはいえリシャールに会う頻度は確実に落ちるだろう。なんせ今は毎日朝から夕方までほとんどの時間を共にしている。

 自分が次期王妃の候補に挙がっているのは知っているが、歳の近い令嬢たちと過ごしていたら気持ちがそちらに向くこともあるかもしれない。最終的に結ばれると知っていてもいい気持ちはしないものだ。



「クロエ、どうした?もしかしてあまり関心がなかったか?」



「いえ、殿下。その、来年からは新しい本も一人で見ることが増えるかもと思って」



「えっ、そうなのか。もしかして城には来なくなるのか?」



「いいえ、いいえ!リシャール様が学び舎にいらっしゃいますれば、私は城には参りませんから。明日すぐにでもとはいかなくなるだけでございます」



「ああ、そうか。そうだな、たしかに僕は来年から学院に通うがそれは君と会わない理由にはならんだろ」



「そう、ですか?」



「学院に通うのは毎日ではないし、それだって朝から晩まででもない。ほかの子息やご令嬢との交流も、王族としての務めは果たすがそれは君とは関係ないだろう。クロエは僕が好ましいから嫌がらずに来てくれていたのではないのか?」



 もちろん、好ましいからに決まっている。国王からの打診などなくとも、遅かれ早かれ城に来てリシャールと過ごすことになっただろうし自分はそれを望んだだろう。いまだに歳の近いロランはどうにも子供っぽすぎてうまく話も合わないし、気まずい雰囲気になりやすい。それはロランも感じているのか申し訳なさそうにすることもあるし、癇癪を起すこともある。

 どちらに非があるわけでもないが、クロエとリシャールという組み合わせがやはり特別なのだろうというのは大人たちが一番思っている。



「はいリシャール様、このクロエ、一番に殿下をお慕いしている自負がございます」



「ならそれでいい、いままでも、これからも」



「はい、かしこまりました」



 二人並んで本に目を落とす。

 ああ今生よ、なんて幸せな人生なのでしょうね。