「台風が来てます! みなさん、自室の窓を補強してくださーい!」

 とある学生寮で寮母をしている私は、廊下から各部屋に向かって怒鳴った。学校と同じような造りのこの寮には、雨戸がない。

 なので補強用のテープを持って廊下をウロウロしているのだけど、寮生は誰も出てこない。やる気がないのだ。

「無駄だよ。ガラスが割れるのなんて日常茶飯事じゃん。誰も怖がってないから」

 そう言い、ひとりの寮生が私の横をすり抜けていく。ピンク色の髪をした彼は、両耳にこれ以上つけられない量のピアスをつけていた。

 私はグッと奥歯を噛みしめ、怒りに耐える。ほんっとにここのクソガキどもときたら、人の言うことなんて聞きゃしない。

「テープを貸出しますから、希望者は管理人室まで来るように!」

 早く厨房に戻らないと、夕食の仕上げが間に合わない。私は走って階段を降りていく。

「ひっ」

 まだ空いている玄関の窓から、眩しい光が差し込んだ。驚いて身を屈めると、ドオンと落雷の音が響いた。

 まだ学校から戻っていない寮生がいるのだろう。既に雨が降り始め、それはどんどん強さを増している。

 数日前に沖縄県沖で発生した台風が急に進路を変えたことを知ったのは、昼休憩のときだった。

 台風はものすごい勢いでこちらの地方に接近しており、夜には暴風域に入ると思われる。いそいで外に置いてあるプランターをしまうなど、準備しているのは職員だけだ。

 寮生は「明日まで警報が続いたら、学校休みになるのにな」と、明日学校をさぼることばかり真剣に考えている。


「いつかバチが当たればいいのに……」

 小声で呟いた時、強い光が目をくらませた。すぐに鼓膜が破れるかと思うくらいの轟音が寮全体を揺らした。

「ひいいいいい」

 慄いた私は、膝を抱えてその場にうずくまった。まるで爆弾が至近距離で落ちたかのような衝撃だった。

 そのまま身を震わせていると、すぐに静けさが戻ってきた。代わりに、外から微かに強く吹きはじめた風の音が聞こえてくる。

「今、近かった。絶対に近かったよ……」

 光の強さ、音の衝撃、共に今まで感じたことがないくらい強かった。近くに落ちたに違いないと思ったけど、廊下の灯りは消えずに私を照らしている。

 停電していないということは、それほど至近距離で落ちたわけでもないのかな?

 ホッとして立ち上がると、廊下の窓から裏庭に人が通っていくのが見えた。

 寮生かと思い、窓に近づいて確認しようとすると、突然強い雨が降りだした。風は荒れ狂い、窓を小刻みに揺らす。

「台風来ちゃったじゃない!」

 玄関からさっきの人影が入ってくるだろうと思ったけど、なかなか開かない。いったい何をしているのか。

 放っておけばいいとも思うけど、どうしても気になる。こんなときに外に出る理由があるだろうか。見間違いだったならいいけど。

 仕方なく、職員用の雨合羽を管理人室から持ち出し、しっかり着こんだ。これだけ風が強いと、傘は役に立たない。


 玄関を開けるのにも、いつもの倍の力が必要だった。外に出た途端、顔に水滴が叩きつけられる。

 暴風に吹き飛ばされそうになりながら、壁伝いに裏庭へ回った。

「誰かいるー!? もう玄関閉めちゃうよー!」

 大声で怒鳴るけど、雨音にかき消されて相手に聞こえていないのではないかと思う。斜めに降る雨は白い直線のように見え、視界を邪魔した。

「もう! 返事くらい、しなさーい!」

 手に持った懐中電灯で辺りを照らす。すると、裏庭の隅っこで誰かが倒れているのを発見した。

 まさか、雷に打たれた……!?

 背中を恐怖が駆け抜ける。寮生がケンカで怪我をしてくることはよくあるけど、倒れているのは初めて見た。

 長靴でしぶきを跳ね上げ、その人の元に駆け寄る。ぐったりとしているその姿に、私は目を疑った。

「はえ?」

 うつ伏せに倒れたその人は、漆黒の髪をポニーテールにしている。着ているのは、白い羽織。袖口と裾の部分が黒いギザギザ型に染められている。下は渋い色の袴、足袋、草履。そして腰からは、びよーんと天に向かって二本の黒い棒が伸びている。

「んと……ん? え?」

 ごしごしと目をこすってみるが、彼──背はそれほど長身というわけではないが、肩幅がしっかりしているので多分男だろう──の服装は変わらない。


 うちの寮にコスプレが趣味の子なんて、いたっけ?

 隠れてお酒やたばこを嗜もうとする子、服装を個性的にカスタマイズする子、やたらケンカっぱやい子、女の子を連れ込もうとする子などは居るが、コスプレは見たことがない。

 うん、差別はよくない。コスプレは悪いことじゃないもの。このまま放っておいたら、大変なことになる。

 私は意を決し、彼の横にひざまずいた。

「もしもーし。大丈夫ですかー?」

 バンバンと強く肩を叩くと、彼は「う……」と呻いた。体が動く気配があり、咄嗟に身を引く。彼は体を反転させ、仰向けになった。

 眉根を寄せる顔は、目を閉じていても美男だとわかる。白い肌、整った顔。しばしみとれてしまったけど、我に返った私は重大なことに気づいた。

 この人、寮生じゃない。職員でもない。

 寮生の顔はちゃんと記憶している。そもそもの人数が数十人と少ないのだ。間違えようがない。

 しかも、どう見ても彼は二十代後半だ。高校に通う寮生とは年齢が合わない。としたら、彼はコスプレで不法侵入してきた不審者だ。

「やっば……」

 どうすうべきか。警察を呼ぶべきか。

「うう……」

 苦しそうに呻く彼の額に、おそるおそる手を当てる。どうやら熱が出ているようだ。

 迷っている間にも雨は強まり、風は全てを吹き飛ばす勢いで荒れ狂う。


「ええい、仕方ない」

 私は走り、職員室に応援を呼びにいった。夕食の準備でてんてこ舞いの時間だったけど、数人の職員が出てきてくれた。

 こうして私たちは、不審なコスプレさんを寮の中に招き入れることになった。


 空き部屋にコスプレさんを運び、濡れた着物を脱がせて予備のスエットを着せてベッドに横にすると、他の職員は「夕食の時間だから、あとはよろしく!」と逃げるように走り去ってしまった。

「下着がふんどしとは……本格派のコスプレさんだなあ……」

 床に置かれた二本の棒を、椅子に座ったまま眺める。それは日本刀と脇差らしかった。

 おでこに冷却シートを貼った時に気づいたが、皮膚とかつらのつなぎ目がない。ということは、この解けてしまった長い髪も地毛ということになる。

 いったいなぜ、台風が近づいているこのときにコスプレをして外を歩いていたのか。謎は深まるばかり。

 しばらく付き添っていたが、彼が起きる気配はない。

 そろそろ私もお風呂に入って、休みたいな。

 住み込みの寮母である私は、この寮で寝起きしている。とはいえ、知らないコスプレさんと同じ部屋で寝るわけにはいかない。夜勤の職員に挨拶をする必要もある。

 鍵をかけておけば大丈夫だろう。私はコスプレさんを寝かせたまま、部屋を出ることにした。


「おっと」

 つま先に刀の鞘が当たった。片手で持ち上げようとしたら、思わぬ重量感でびっくりする。

 脇差と二本合わせたら、両手でやっと抱えることができるくらいの重さだ。これを振り回されたりしたら、さすがに危ない。

 相手の正体がわからないので、武器になりそうな刀を取り上げることにした。本物であるはずはない──だって、本物だったら銃刀法違反じゃん──けど、長くて固くて重い時点で危ない。叩かれたら痛いし血が出る。最悪死ぬ。

「寮生にも知られないようにしなくちゃ」

 私は刀と脇差を、管理人室の鍵がかかるロッカーにしまいこんだ。



 翌日。まだびゅうびゅうと強い風が吹いており、暴風警報が発令された。休校になった寮生は、いつまでたっても食堂に現れなかった。

 いつもは七時には朝食をとるというタイムスケジュールになっている。が、休校となるとみんな好きな時間まで寝ているのだろう。

「誰が早朝から準備していると思っているのか……」

 味噌汁をかき混ぜるお玉を、力任せに折りそうになる。