「急に俺を押さえつけていた圧迫が無くなって、体が軽くなった。驚いて一拍置いたあとに開けた視界に映ったのは、おそらく兄さんに体当たりで飛ばされたんだろう眼鏡の姿と、その勢いのまま髭に覆いかぶさって抑え込んでいる兄さん。そして、最後の力で斧を振りおろした父さんの姿だ。斧を振り下ろすと同時に、父さんが叫んだ。『行け、生きるんだ!お前は何も悪くない』ってね」

体が震える。
暖炉に火を焚べておけば良かったと今更思ったところで仕方がないことだけれど、寒さだけではない腹のそこからの震えを抑えることに必死だった。
タキも震えているようだけど、もしかしたらアタシの視界がただ歪んでいただけなのかもしれない。

「傷を負った髭から離れて、父さんが俺に近づいてくる。嫌だ嫌だと首を振る俺を強い力で抱きしめてくれた。その腕の中で部屋を見渡せば、結果的に俺が一番軽症で。その背中に腕を回すと、手には生温かい感触が伝う。『行け、生きろ』。耳元でしっかりと発せられた言葉にその血に濡れた腕から、抜け出した。額から血を流し、身体もボロボロに傷つけられた兄さんが俺を見て笑った。いつの間にか眼鏡も髭も起き上がっていて、その剣が父さんに容赦なく振り下ろされる瞬間を見た。弱まっていく腕の中で見た母さんは……、母さんはもう、動くことは無かった。がくがくと震える足が、顔に伝染したんじゃないかって思うくらい、首を横に振り続けたよ。嫌だ、行きたくない、と。一緒に逝きたい、と。けれど父さんも兄さんも、それを許さずに、眼鏡が俺に銃口を向けた瞬間、背中を押された」

こんな記憶、消してしまえたらと運命を呪うだろう。
どうしてこんな事になったんだと、神を恨むだろう。
ただその瞳が人と違った、それだけで。
それだけで、人は、他人を忌み嫌うことができる生き物だ。
自分とは違う、それだけで得体のしれない何かと認識して、平気で傷つけることができる生き物だ。

「そこには愛情と憎悪と混沌が渦巻いていたよ。ちらりと見えた鏡の奥で、俺の瞳は月もないのに色が変わっていた。……血の色、赤色にね。満月もないのに瞳が色を変えたのはその時だけだ。その瞬間に悟ったよ、もう家族と平和に暮らしていけることは無いんだって。そう思ったら、走って逃げるしかもうできなかった。大切な、こんな俺を愛してくれた家族を見捨てて」