絵の具を踏むと雪と同じ足跡が残る。
床は目立たなくてつまらないけれど、白いところに飛び乗ると、くっきりと綺麗に残るからとても面白い。
立派な自分の足跡に見とれていたら、木馬の尻尾に似た頭の人が私の元へやって来た。
その人は皆からクコと呼ばれている。
クコだけは、なぜか私のことをカフェラテと呼ぶのだけれど、悪い気はしないから、呼ばれれば尻尾を揺らして返事をする。
「見て、ミツバさん」
クコに呼ばれて、今度は私の好きな匂いの人がやって来る。
「あら、素敵な足跡ね」
「アズさんが喜びそう」
「それなら乾いたのがあるから、持って行って」
丸めた何かを渡されたクコが、嬉しそうに開け放たれた扉から外へと駆けて行く。
綺麗に足を拭いてもらったあとで、私も外へと駆け出した。
お気に入りの場所に差し掛かると、草花の匂いに混じってクコの匂いがした。
「この白いのはなんだろう……」
「カイガラムシ」
花壇の前にいつも座っている綿毛そっくりの頭の人と、ときどきクコは話をしている。
他の人といるときよりも、クコは綿毛の人と一緒にいるときの方が、心なしか楽しそうに見えた。
割り込むように、ふたりの背中に向かって鳴くと、振り向いたクコが私に笑いかける。
よいしょ、と私を抱き上げて、クコはすぐそばの扉に手を掛けた。
開かれると同時に、からんからんと扉が鳴く。
見上げながら、不思議な鳴き方をするなぁ、と来るたびに思う。
「いらっしゃい、クコ」
明るい声で出迎えたその人のことを、殆どの人がアズと呼ぶけれど、アズキナと呼ぶ人がいることを最近知った。
たまに私もクコにラテと呼ばれるから、アズは私にちょっと似ている。
「アズさんにプレゼント」
「なにかしら」
くるくると巻かれたそれを広げると、アズは驚いたような笑みを浮かべる。
「雑誌見たわよ。貴方すっかり有名猫ね」
「雑誌って……? 」
「ほら、これ」
差し出されたザッシを覗き見ると、そこには私の好きな匂いの人と私に似た猫がいた。
私を床に降ろしたクコは、ラテはすごいんだなぁ、と受け取ったザッシを眺めて呟く。
なんだかよくわからないけれど、褒められるのは嬉しいから、ふたりの足元で私はささやかに尻尾を揺らした。
アズの家を出たあと、クコは路地にある家へと向かった。
その家は、私の好きな匂いの人が一番好きな場所だった。
仄暗い部屋には、長いカウンターがあって、行儀よく椅子が一列に並んでいる。
「いま出来たところだよ」
「とってもいい匂い」
席に着いたクコの元に、美味しそうな食べ物が運ばれてくる。
羨ましく思っていると、私のそばに家主がやって来た。
「さぁ、召し上がれ。君だけの特別なランチさ」
床に置かれたそれは、匂いも味も絶品だった。
「明日もおいで」
ごちそうさま、と見上げて鳴くと、家主は温かな大きな手で私の頭を優しく撫でた。
クコよりも先に食べ終わった私は、家主に扉を開けてもらい、ぬいぐるみの頭をした人のところへ向かった。
すぐ近くにその人の家がある。
その家はクコの家でもあるようだった。
薄らと開いた窓の隙間に体を滑り込ませて、長椅子に降り立つと、驚いた様子でその人が声を上げる。
「また、あんたか」
その人は私のことがあまり好きではないみたいだけれど、私は割と好きだった。
カウンターに跳び乗ると、その人は私に水の入ったマグを置いてくれる。
これはカフェラテのマグだよ、といつかクコが教えてくれた。
まどろみのなか、扉の開く音と優しい声が耳に届く。
「おかえり」
「……ただいま」
私はふたりの住むこの家が一番好きだ。