ここを出たら死ぬつもりだった。
孤独には耐えられないから。
1995.11.12
閉じた手帳をペンと一緒に鮮やかな黄色のポシェットに押し込めば、ポシェットは今にも文句を言い出しそうなほどに膨らんだ。
背後からは幼い子どもたちの賑やかな声が聞こえ、重く閉ざされた扉の向こうで私の居ない生活が既に始まっていることに気づく。
いつかは私が居たことすらも忘れてしまうのだろうか。
私の生きた証は一体どこに残るのだろう。
風に吹かれた朽葉だけが、からからと私を追いかける。
どこへ行くの、と訊いているような気がした。
どこでもないところへ行くの、と声に出さずに答えると、朽葉はそれ以上追いかけては来なかった。
海の底に沈むように見慣れた町から離れて行けば、もう自分がどこにいるのかさえわからなかった。
淀みなく流れる上流に架けられた小さな橋を渡りきったところで、お昼を知らせるようにお腹が鳴った。
ひとけのない歩道をしばらく歩き、空腹を紛らわすように見つけた石ころを思い切り蹴飛ばす。
水たまりを跳ねた石ころは草藪の中に消え、そして辺りに甲高い音を響かせた。
訝りながら近づくと、そこには自分の背丈と変わらない鉄製の錆びた門が静かに身を潜めていた。
南京錠で施錠された門の向こうには、ひび割れた小径が森へと続き、蹴飛ばした石ころが手招くように小径の上に転がっている。
門を掴み片足を掛けると、怯んだ門は音を立てて大きく揺れた。
躊躇わずに門を乗り越え、その場から逃げるように駆け足で小径を辿って行くと、落葉した森の中に急勾配の階段が目に映った。
息を弾ませながら上った階段の先には────広場を取り囲むように、異国情緒溢れる建物が寄り添って並んでいた。
一歩踏み出した靴の先に、こつんと空き瓶があたる。
ころころと音を立てながら空き瓶は石張りの上を転がり、やがて朽ち果てた時計塔の前で動きを止めた。
よく見れば周りには顔の部分がくり抜かれた看板が横たわり、忘れ去られたように壊れたベンチが幾つかそのまま残されている。
その壊れたベンチで体格の良い一羽のカラスが羽繕いに勤しんでいた。
無意識に時計塔の陰に身を隠すと、不意に甘酸っぱいソースの匂いが鼻をくすぐった。
匂いに誘われるように静かに時計塔を離れ、路地に足を踏み入れた瞬間────路地の奥から階段を下りる革靴の音が聞こえた。
近づく人の気配に慌てて踵を返したと同時、小さな音を立てて取れかけていたコートの釦が足元に落ちる。
咄嗟に拾い上げるも急な立ちくらみに視界は歪み、男の人の呼声に振り向くこともできずに段々と足から力が抜けてゆく。
コートのポケットに釦をしまい込んだのを最後に、私の意識はそこで途絶えてしまった。