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お店を出て大通りを走って行く。おじさんの点けた火があたたかく通りを照らしている。でももうすぐそれも要らなくなっちゃう時間だ。急がなきゃ。大通りの真ん中すぎで右に曲がる。薄暗い路地は大通りから追いやられた闇が漂っている。一瞬、足が止まった。いつもここで、少しだけ躊躇ってしまう。家はこの先。ふっと息を吐いて、もう一度走りだそうとしたとき、路地の隅から手が伸びてきた。
――え? と思う間もなく、ぐんっと勢い良く引っ張られる。
「ひゃぅ」
おかしな声が出た。そのままその場でひっくり返ってしまう。おしりが痛い。
びっくりして見上げると、知らない男の人がいた。……誰?
あんまり身なりは綺麗じゃない。おじさんみたいな火を灯すひとじゃない。どっちかっていうと逆かな。夜の人。追いやられた闇のほう。あたしとおんなじ。ぎらぎらした目が、ちょっと怖い。
昔の知り合いかな、と思ったけど見覚えがやっぱりなくて、あたしは見上げたまま口を開いた。
「だれ?」
「おいおい、随分だなぁ。今夜ずっと見てやってたってぇのに」
「……?」
じっと顔を見る。よく、わかんない。顔に特徴もあんまりないし。
「おいおい、本気かよ。踊り子さんよ」
「……あ、今日のお客さん?」
そっか。見てくれてた人なんだ。全然、顔なんて覚えてないんだけど。
お客さんの顔ってほとんどわかんない。不思議だけど、皆同じに思えてしまう。ひとりだけ覚えてるのがおじさんだ。おじさん、ときどきお店に来てくれてたから。
「そーだよ。いくら?」
「えと」
あ、やばいな。って、わかった。こういうの、はじめてじゃない。踊り子は夜のお仕事。だからかな、踊り子じゃない夜のお仕事まで、あたしに求めてくる人がときどきいる。
にげなきゃ。
昔はそういうの、仕方ないかなって思ってた。でも、今は嫌。だって踊り子は皆に見られるお仕事だから。汚くなった体、見られたくなんてないから。
じり、と後ろにさがる。ゆっくり、ゆっくり。
「おいおい、逃げンの?」
腕をつかまれた。――ダメッ!
ぶんっ! 勢い良く振りほどく。よかった、振りほどけた。踵を返し走りだした。路地の向こう、闇の向こうに、おじさんの火がある。火のもとをたどっていけば、ママたちがいる。
「逃がすかよ!」
「っ……!」
痛い。気がついたら、地面に倒れていた。倒された。後ろに乗っかられている。どうしよう。重い。怖い。
怖い。
肩を掴まれた。押さえられた。動けない。動けない。足の間、足が割り込んでくる。嫌だ。嫌だ!
顔を上げる。おじさんの火が見える。あそこは、光があるのに。あたっているのに。おじさんの火が追いやった闇は、こんなに暗くて、怖くて、どうして――
たすけて。声が、出ない。どうしよう、どうしたらいいんだっけ。声って、どうしたら出るんだっけ。喉が震えるだけで音にならない。でも、でも!
「おじ……さん!」
「――メイッ!」
声が、した。
びっくりした。同時に、がつっと背中の上で衝撃があって、重みがなくなった。今度は、誰かに引っ張りあげられる。硬い体にぶつかった。紺色の……制服。
「おじ……」
声は制服の中に消えた。おじさんが、あたしをぎゅっと抱きしめたから。
カチャ、という音がした。点火棒の飾りがなる音だ。ひゅ、とおじさんの喉が鳴る。
「目、潰されたくなかったら、消えろ」
低い声。おじさんの、おじさんらしくない声だった。路地の空気に、ビリビリと背中がしびれる。すこしの間、誰も動かなかった。
大通りから砂埃といっしょに風が流れこんでくる。それを合図にしたみたいに、背中側で気配が揺れた。遠ざかる。闇の向こうへ。
「……はぁああああ」
大きなため息が聞こえた。顔を上げる。泣きそうな顔のおじさんがそこにいた。
「……おじさん……」
「やあ、メイ。大丈夫?」
「……こわかった」
「うん。おじさんもだ。点灯棒があって良かった。……メイを助けられて良かった」
ぎゅうっと、抱きしめられる。
……あったかい。
思った瞬間、何かがぱちんって音をたてた。それからあたし、わんわん泣いた。
おじさんに抱きしめられたまま、わんわん、泣いた。