脈絡のない台詞。けれども、竜太の言葉に亜紀が微笑む。そのときの亜紀の瞳。初めて見たときから気になっていたその瞳に、真名は意味を見つけた。この瞳は見鬼の才の持ち主ではない。遠くを見る瞳でもない。遠くを――未来を見るのをやめた人間の瞳だ。

 ふたりを包む靄のような黒い煙が一層濃密になった気がする。

 不意に直感した。

 亜紀は竜太がメジャーになれないと分かっているのだ。たぶん、メジャーデビューの話は噓。空きはその噓を見抜いているのだ。夢みたいな話をちらつかせて、女に寄生しているだけの男だと見抜いている――。

 けれども、亜紀自身がその夢みたいな話に浸るのを選んでいるのだ。

 亜紀は何を見るのも辞めている。
 だから、あんな目を――光のない遠い目を――しているのだ。

 怖い、と真名は思った。
 竜太は噓をついている。
 亜紀はその噓をすべて飲み込む暗い瞳をしているのだ。
 悪霊や悪魔やあやかしも怖い存在がいるが、それ以上に怖くなった。真名のその想いが伝わったのか、竜太がますます不機嫌になった。

「家賃のこととか、別に取材と関係ないっすよね? あんた、取材にかこつけて、他人のプライバシー探るのおかしくね? だいたい幽霊だ何だって、インチキ雑誌じゃねえの?」

「竜太! 変なこと言わないで。妙なすすり泣きとかが聞こえて、相談したのは私の方なんだから」

「だったらおまえもおかしいんじゃねえの? この際だから言わせてもらうけど、そういうの、俺、全然信じねえから」

 突然、目の前でふたりが言い合いになる。真名がどうしたらいいかうろたえている間に、泰明が割って入った。

「まあまあ。うちみたいな雑誌はあくまでも信じる信じないはいろいろですから」

 泰明がなだめる。にこやかな愛想笑いの振りをしているが目がまったく笑っていなかった。何となく毒気を抜かれたように、亜紀と竜太は矛を収める。

 けれども、取材という感じではなくなってしまった。しかも、日は暮れてきたが、まだ件の声は聞こえない。泰明は、その声が聞こえるという夜まで、少し辺りで時間を潰してくると言ってアパートから一度退室することにした。真名も当然それに続く。自分の不用意な言葉で竜太の機嫌を損ね、ケンカさせてしまったと、真名はまともに亜紀たちの顔が見られなかった。


 駅前のコーヒーショップまで戻り、真名と泰明は一服することにした。日が暮れてて暗くなってきたが、相変わらず混み合っている。BGMと脚のざわめきが温かかった。甘い物と飲み物をそれぞれ頼む。泰明がコーヒーをブラックで啜っている前で、真名がうなだれていた。

「タバコの煙って苦手なんだよな。――神代、紅茶、冷めちゃうよ?」

「はい……」真名が紅茶に手をつけず、代わりにため息をついた。「ごめんなさい」

「どうした」

「私が、家賃のこととか、変なことを聞いたので……」

 泰明が注文したアップルパイを食べる。さらにコーヒーを飲む。

「〝取材は命がけ〟」

「え?」

「俺が昔、この仕事を始めたばかりの頃に編集長から言われた言葉」

 真名は小首を傾げた。「〝取材は命がけ〟……」

「取材される側にとって、取材なんて受けなくてもいいのさ。今回は違ったけど、たとえば家系の因縁がらみの取材になったら、家のもめごとや親族や自分の悪事を話してもらう必要が出てくる。それも、たった数分前に顔を見たばかりの相手にだ」

「そう、ですね」真名が紅茶のカップで手を温める。

「記事にするためには、深く聞かなければいけない。ただでさえ話したくない内容を根掘り葉掘り。分からないところがあったらどんどん突っ込んでね。そうなれば――どうなると思う?」

「どうなる、ですか……?」

 泰明はさっさとアップルパイを片付けてしまった。

「何でおまえにそこまで話さなければいけないんだって、怒り出すのさ。出ていけ、とな」

「え……」

 人によっては逆に泣き出す人もいると言う。要するに、取り乱すのだと泰明が説明した。

「けれども、俺たちは記事にしなければいけない。それは自分たちの食い扶持のためじゃない。怪異現象をいかに乗り越えるかという智慧を共有するため。その記事を読んだ陰陽師が、同じように苦しんでいる見知らぬ土地の人を救う力を手にするため。だから〝取材は命がけ〟」

 泰明がコーヒーを飲み、真名も初めて紅茶を口にする。