「……いつから気づいていたのですか?」

 雲が太陽を隠した。彼女の美しいレモン色が儚げに揺れている。

「あなたが現れた時からです。聞香処に来られた雪乃さんと、今日ここに現れた雪乃さんとは全く違う香りがしました。今日の雪乃さんは、違う香水をつけておられるのかと思いましたが、違和感がありました。なぜなら僕は、その香りをどこかで知った懐かしい香りだと感じてしまうからです」

「………っ」

「香りはその時の記憶を運ぶタイムカプセルです。それぞれの香りごとに、色々な記憶が封じ込まれています」

「…………」

「あなたから届く香りが懐かしいと思う僕は、十年前の夏を思い出しました。この香りは十年前に知った香りと同じ。―――この香りは、追風用意(おいかぜようい)だ、と」

「追風用意……?」

 首を傾げて彼女が問うた。

「ええ。追風用意とは、徒然草の中に出てくる言葉のひとつで、通りすぎたあとに良い香りが漂うように衣服にお香をたきしめておくことを表現した言葉です」

「…………」

「僕は香りで人を記憶するところがあって、十年前も、一度だけ一緒に日直仕事をした彩乃さんの香りを覚えていました。彩乃さんは高校生の中では珍しく、衣服にお香をたきしめておらましたから。彩乃さんが退学されて一年後の夏、僕は街中で彩乃さんの“追風用意”に気づき、声をかけました」

「…………」

「そして、今日も、記憶の中に残っていた“追風用意”に気づいたんです。ああ、あの時と同じ香りだ。この人は、きっと雪乃さんではなく、彩乃さんなのだろう……と気づいたのです」

「そっか……、だからなんですね……。途中でデートコースを変えてくださったのは」

 きっと颯ちゃんがエスコートしたデートは、恋文に書かれていたデートコース通りではなかったのだろう。

 彼は、少し歩いては、カフェや甘味処などに入り、散策しているよりも休憩している時間の方が長かったから。