伸びてきた筋肉質の腕は、私の顔の横を通りすぎて、後頭部に回った。

 触れていないのに彼の指の感触が髪から伝わってくるような気がする。

 颯ちゃんの香りに包み込まれ、その甘い香りに酔う私は、真っ赤になって硬直するしかない。

 彼の長い腕が、元の場所に戻った。彼の手には赤いかんざしがあった。

「こちらの髪飾りは不要です」

 お客様のお料理に細かな細工が入らないように、とのことだった。

 抱きしめられたわけでもない。ただ彼が数センチの距離まで近づいただけだ。

 それなのに恋愛初心者の私は卒倒しそうになっている。
 声が出ず、動けもしない私に厨房から大声がかかった。

「一香、なにぼうっとしてんねん! 暇やったら、こっち手伝え!」

「う、うんっ! 今行くっ‼」

 颯ちゃんは、赤いかんざしをそっと棚の上に置いた。

   *

 今日はオープンと同時にたくさんの人がやって来た。
「ほんまにイケメン。芸能人ちゃうん?」

「てくてく京都の写真、そのままやん。いや、本物のほうがかっこいいかも⁉」

 お客さまはおでこを出した颯ちゃんの着物姿に、打ちぬかれている。

 そんな颯ちゃんから「いらっしゃいませ」「ようこそ起こし下さいました」と声をかけられるだけで、皆、気絶しそうになっている。

 わかる、わかるよ……っ! と思いつつ、私は自分の仕事についた。