彼が去ってから、私は颯ちゃんを見上げて訊いた。

「でも、どうして、和バニラの匂い袋だとわかったんですか? 彼が“ぽっぽ”と言ったから?」

 それでも、鳩屋堂さんには、他の香りの匂い袋もたくさんあった。

 けれど、颯ちゃんは迷いなく、和バニラの匂い袋を手に取ったのだ。

「ええ……、彼は甘いお菓子が禁止だった。隠れて与えては、彼が余計に辛い思いをするかもしれないと考えた祖母は、せめて香りだけでもと思い、和バニラの匂い袋を彼に持たせたと思いました。そして、もうひとつ、母親が激高したことを聞き、祖母が泣いたと彼が言ったので、この香りしかないと思ったのです」

「どういうことですか?」

 きょとんと首を傾げて問うと、颯ちゃんは鳩屋堂さんの看板を見つめて言った。

「和バニラの芳香は、怒りやフラストレーション、緊張を和らげるリラックス効果があり、気分を向上させると言われています。きっと、彼のおばあさまは、この香りがもたらす効果が、遠く離れる孫を守ると思ったのでしょう。二人きりになった娘が、孫にきつくあたらないように。そして、この香りが孫を守りますように……。そうおまじないをかけ、彼に持たせたのだと思います」

 寺町商店街を歩いていく、彼の後ろ姿を見ながら、颯ちゃんが言った。

「おまじない……」

「ええ。大切な人を思うおまじないの効力は、強いですから」

 今度は私だけを真っ直ぐに見つめて言う彼の瞳に、低い声に、私の心臓は跳ねた。

 私もこの人に、おまじないをかけてもらったことがあるからだ。


 アーケード付きの商店街にいるせいだろうか。風が抜けずに、体の中を走る熱がこもる。頬が赤くなっていると思う。

 戸惑う私から視線を外した颯ちゃんは、商店街の奥にある令月香のほうを見て言った。

「令月香にも和バニラの匂い袋を置いてもいいかもしれませんね」