青木さんの奥さんは、お香が大好きだった。その中でも令月香のラベンダーのお香の大ファンだったそうだ。

 青木さんの奥さんは、毎朝お気に入りのお香をたいていた。妻の笑顔とラベンダーの香りは、青木さんの心も穏やかにしてくれ、青木さんもラベンダーの香りを好きになった。

 ラベンダーの香りは、二人の幸せの象徴になった。

 そんなある日、彼女が買い物にでかけた途中、交通事故に合い、帰らぬ人となった。

 彼女が何を買いに行こうとしていたのかはわからない。
 けれど、青木さんは、令月香のお香ではないかと考えた。ラベンダーのお香のストックが切れていたからだ。

「一香、ラベンダーのお香を全部売ったのは私や。知らんふりしてごめんな。お客様の個人の話を伝えることはできひんかったんや」

「うん」

 それほどの理由なら、私だって理解できる。

 彼は、私の手元のラベンダーを見てもう一度頭を下げた。

「そのラベンダーを売ってくれへんか。この店にラベンダーがあると知ったら、アイツはまた買いに来るかもしれん。もう痛い思いはさせたくないんや。ウチに全部あるからな。買い取ったからな。だから、安心してここにいてくれって、そう言うつもりなんや……」

 彼女が帰ってくるであろう五山の送り火まで、このラベンダーのお香をすべて買うつもりだったのだろうか。

 ふと思い、聞いた。

「五山の送り火まで……ですか?」

「いや、できれば、五山の送り火が終わっても、帰らないでほしい……。ずっとそばにいてほしい。ラベンダーの香りでアイツを引き留められるなら、ずっと買い取りたいと思ってる」

 そんなことは現実には不可能だ……
 みな、そう思っていた。けれど、誰も言えなかった。

 それほど、彼は追いつめられていることがわかったから。

「見えなくてもいい。声が聞こえなくてもいい。魂だけでもいいから、ずっとそばにいてほしいんや……」