そして、私だけ固まってしまった。

 入ってきたお客様は、二十代後半から三十代前半くらいの男性だった。その人は背を丸め、長く伸びた前髪で、目を隠すようにして入ってきたからだ。

 その人に清潔感はない。だらしなくよれたTシャツを着た男性だった。
 香り専門店である令月香に来られるお客様にはあまり見られない風貌だったので、私は戸惑ってしまった。

 けれど、お客様に声をかける祖母の色は変わらない。
 いつものように穏やかな桜色をまとって、男性に微笑みかける。

「本日はどのような香りをお探しですか?」

 いつも以上に柔らかに祖母が語りかけた。ゆらりゆらりと揺れ動く桜色は、彼のことを心配しているようにも見える。

「今日もラベンダーのお香を」

 長い前髪の中から目をあげて、彼は言った。

 いつの日か、この店のラベンダーを買い占めた男性がいたと祖母は言っていた。

 もしかして、その男性だろうか。祖母は知り合いの男性だから、全て売ったのだろうか。

「申し訳ありません。ラベンダーのお香は、今日も全て売り切れておりまして」

「他の客に売ってへんやろうな」

 伸びた間から見える目つきは鋭くて、私は思わず、息を飲んだ。

「在庫補充した後はお売りいたしましたよ? ラベンダーの香りは老若男女問わず人気ですので」

「老若男女って誰や⁉ 女か!」

 男性の大声に、思わず後さずってしまう。彼から放たれるあまりにも強い圧から逃げ出したいと思うのに、祖母の色は変わらない。祖母は冷静に話を続ける。

「ええ。かわいらしい女性でしたよ。制服を着ておられたから、高校生くらいかしら」

「高校生か……それやったらええ。他にはいないやろうな」

「はい」

 祖母が微笑むと、彼は勘定台に立つ私に目を向けた。

「なんで、そんなに怯えてるんや?」

 彼が私に向けてズンズンと歩いて来る。

「お客様!」

 そう声をかける祖母の言葉など聞きもせず、男性は私の目の前まで来た。
 とっさに私は、勘定台の隅に置いておいたラベンダーのお香を手にする。そのお香からほんのりとラベンダーの香りがした。

「今、何を隠した⁉」

 投げかけられる怒鳴り声に、体が動かなくなった。
 私の手から半分姿を出したラベンダーのお香に彼の視線がうつったのが分かった。

 彼にばれてしまった。うまく隠せなかった。そう動揺した私は、慌てて握りなおそうとしたが、うまくつかめず、お香は手の中から跳ねるように飛び出し、床へと落ちた。

彼の目の色が光る。

「なんでそれを隠してんねん!」