「ほ、本当にここを使ってもいいんですか?」
「もちろん。コユキに使ってもらうために作ったんだ。……もしかして、気に入らなかったか?」

 魔王様が不安そうな声でそんなことを言うので、私は全力で首を横に振る。

「まさか! むしろ、こんな立派な厨房、一人で使ってもいいのかなって感じです!」

 いつも薄暗い魔王城に似つかわしいほどの明るい内装、パステルカラーのタイルに彩られたキッチン、何口もあるコンロ、全自動の食器洗い機。それに、私の世界から【召喚させた】という最新鋭の調理家電。大学にもボランティア先の保育園にも、こんなに立派な調理室はなかった。一人で使うにはもったいないくらい。

 その中でも目玉なのが、今私の目の前にあるこの大きな冷蔵庫。何でも、冷蔵庫の前で欲しい食材を言えば何でも現れるらしい。魔国にある食材だけではなく、私の世界にある食材だってあっという間に冷蔵庫の中に入ってしまうらしい。この世界にいる魔道具士という人たちが作った最高級品の冷蔵庫らしく、まだ魔王城の厨房にも設置されていないらしい。そんなものを渡し専用の調理室に置いてもらってもいいのか、少し恐縮してしまう。

「コユキ様、ぜひ使ってみてください!」

 私以上に、私の足元にいるエゴールの方が興奮しているみたいだ。私はよし! と意気込み冷蔵庫の前に立つ。

「何にしようかな……。じゃあ、マグロ!」

 何を隠そう、私の好物の一つだ。私が冷蔵庫にそう呼びかけると、ゴトン! と何かが落ちてくるような音とともに、冷蔵庫が大きく揺れた。

「……これで、本当に入ったのかな?」
「開けてみましょう!」
「よし! 開けます!」

 私は冷蔵庫の取っ手に手をかけて、思いっきり引っ張る。開いたと思ったらドンッと扉に重みが増して、暗い影が私を覆う。

「え? ……あ、うわぁああ!」

 市場のセリ現場で見るような【大きなマグロまるまる一匹】が、私に向かって覆いかぶさってきた。私は慌ててドアを閉めようとするけれど、マグロの重量にかなわない。結局、私と同じように慌てた魔王様とエゴール、そして私の悲鳴を聞いてやって来たスライムさん達の手によって冷蔵庫は再び閉じられた。

「……はぁ、大変だった」
「もう! 気を付けてくださいよ!」
「こんなことになるなんて思わなかったんだもん! 仕方ないでしょ!」

 私とエゴールの言い争いを、魔王様はクスクスと笑いながら見ていた。そんなにほほえましいものじゃないのに、私は頬を膨らませて憤慨した。

「……次からマグロを頼むときは、切り身とかでお願いしないと」

 もちろん、肉もそうなるだろう。「牛肉!」と言って、加工場でぶら下がっているような状態のものだったり、生きたままの牛が来たら、捌くのなんて私には無理だ。

「これで、君に依頼した仕事が任せられるようになるな」

 魔王様はまだわずかに笑みを浮かべたまま、そう言った。

「これからのエミリアの食事はなるべくコユキに任せることになるが、良いか?」
「はい! がんばります!」
「いい返事だ。任せたよ」

 大船に乗った気でいてください……とまでは言えないけれど、この時の私はやたらと自信満々だった。早くエミリア様の好き嫌いを治して、元の世界に戻りたい。その気持ちで焦り過ぎていたのだと思う。

 そして、この時の私はエミリア様の実態を全く知らなかったのだ。