「はい!?」
「この器に入っている緑色のコレはなんだ?」
「それは、バジルソースにマヨネーズを加えたソースです。ニョッキをそれにつけてお召し上がりくださいっ!」
「わかった、ありがとう」

 魔王様はジャガイモニョッキをバジルマヨソースにつけて、一口でひょいっと食べていく。そして一言、「旨いな」と言った。私の肩の重荷が、すっと軽くなっていくような気がした。

 魔王様はそれから、パクパクとニョッキを食べていく。味を試すように色とりどりのニョッキを、様々なソースに付けていく。一口食べるごとに「おいしい」とか「旨い」とか言ってくれるので、作った私も何だか嬉しくなってきた。

 そして、その様子をじっと見ていたエミリア様が小さく喉を鳴らすのが見えた。それに気づいた魔王様は、エミリア様に微笑みかける。

「エミリア、一緒に食べよう。一口だけでも」

 促されたエミリア様はフォークを握った。そして、最も苦手であろうホウレンソウのニョッキにフォークを突き刺す。そしてトマトソースを付けて……。

(食べた……!)

 と言っても、端っこを小さくかじっただけ。それでも、あれだけ嫌がっていたエミリア様が、ついに、ちょっとだけでも食べてくれた! それが嬉しくて、私は小さくガッツポーズをする。魔王様の近くに控えていたエゴールも、目を大きく丸めて驚いていた。

 でも、魔王様の表情は変わらず……我が子を見つめる目は優しさに満ち溢れている。

「どうだ? おいしいか?」
「……わかんない」
「ちょっとしか食べていないからだろう。もっと、たくさん食べたらどうだ?」

 促されたエミリア様は、先ほどよりも多く食べていく。そしてもぐもぐと口を動かしていく。それを、何度も何度も繰り返していく。ホウレンソウニョッキを食べ終えたら、次はカボチャニョッキにチーズソースを付けて、また少しずつ食べていく。魔王様はその様子を見ながら、同じように食事を続けた。

 食堂は、シンと静まり返る。だけどそれは緊張感に包まれたものではなく、どこか安心できる空気が流れているような気がした。

「……ごはんって、こんなにおいしかったかな?」

 エミリア様の声が、静かな食堂に響く。エミリア様の食事のスピードはとてもゆっくりだったけれど、今このひと時と食事を合わせて味わおうとしていることだけは伝わってきた。先に食べ終えてしまった魔王様は、席を立つことなく、エミリア様が「ごちそうさま」と言うまでずっと寄り添い続けていた。

***

「でも全部は食べてくれないんだな~!」

 私は食器を片づけてから、調理室に戻っていく。魔王様のお皿は空っぽだけど、エミリア様の食器にはまだ半分ほど残っている。特に、ホウレンソウのニョッキは口に合わなかったみたいだ。けれど、今までだったら絶対に食べてくれなかったであろうものを食べてくれただけ、良しとしなければ。私は後片付けを始めようと服の袖をまくる。その時、調理室のドアをノックする音が聞こえてきた。

「ん? エゴールかな? どうぞ、開いてるけど」

 しかし、ドアを開けたのは予想外の人物だった。

「忙しい所すまない」
「ま、魔王様!? いえいえ、魔王様こそ、今日はありがとうございます!」

 私の「エミリア様と一緒に食事を取って欲しい」という突拍子のない提案を、魔王様は快諾してくれた。きっと今日だって書類の山がうず高く積まれているはずなのに、ちょっと申し訳ない気持ちになる。しかし、魔王様は首を横に振った。

「礼をするのはこちらのほうだ。ありがとう、コユキ」
「あはは……。でも、エミリア様残しちゃったので……今日は半分成功って感じですかね」
「とても旨かったのだがな。でもこれで、エミリアの好き嫌いが少し減ったのだと少し安心できた」
「いいえ、好き嫌いはなくなってませんよ」

 私がそう言い切ると、魔王様は目を大きく丸めて驚いていた。

「だ、だって食べていたじゃないか! 嫌いな野菜が使われていたニョッキを!」
「あれは、好き嫌いを克服したから食べたんじゃなくて……きっと、魔王様との時間を楽しみたくて、食べてくれたんだと思います」

 私はエミリア様の、食事の時のつまらなそうな顔、そしてお母さんの肖像画を見つめている時の寂しそうな顔を思い出していた。

「私にも、身に覚えがあったから分かったんです。きっとエミリア様も、一人でご飯食べているうちに、次第に味気がなくなってしまったんだと思います」

 私は、自分自身の事を振り返る。お母さんが事故で亡くなった後、私はお父さんとの二人暮らしになった。お父さんは家庭を顧みない仕事人間タイプで、毎晩仕事で遅く帰ってきて家事をする暇もなく、そしてそんなものはお金さえ出して解決すればいいと思っている節があった。洗濯や掃除はハウスキーパーさんに依頼して何とかなっていたけれど、食事だけは……お父さんの中では、そんなに重要な物ではなかったらしい。私は毎日お金を渡されて、コンビニでお弁当を買ってくるように言われていた。

 夜一人で近所のコンビニに向かい、いつもと同じお弁当を買う。真っ暗な家に帰ってきて、電子レンジで軽く温めてから、ひとりぼっちの食卓テーブルでそれを食べた。そのお弁当の、まずい事まずい事。何だか味がしないものを噛んでいるみたいだった。でも、残したら天国のお母さんに叱られると思って無理やり飲み込んだ。

 コンビニのお弁当が悪いんじゃない、これはきっと私の気持ちの問題なのだと、もう少し大きくなってから気づいた。私は料理を覚えて、自分の分の夕食は自分で作るようになった。これで美味しくないお弁当から解放される……そう思ったけれど、だめだった。どれだけ味を濃くしても、美味しくなんてない。

 これはきっと、ひとりぼっちでご飯を食べているからだとその時になって気づいた。今まではお母さんと一緒にご飯を食べていたから美味しかったんだ、学校の給食はみんなで食べるから味がするんだ。寂しさは、私から味覚を奪っていった。