<霊感少女の日常>

満員電車は幽霊が多い。子どもの霊、大人の霊、おじいさんの霊。あまりにも多過ぎるので、誰が人間で誰が幽霊なのか時々わからなくなる。これじゃあまるで満員電車じゃなくて、幽霊電車だ。


 そんなことを考えながら、目の前の二十代後半くらいの女の人に憑(つ)いている霊を観察しているわたし。紺色のスーツをびしっと着こなしたその人は、目にパンダみたいな隈(くま)がびっしりこびりついている霊にとりつかれてた。

おそらくこの人の元彼で、死んでしまったんだろうな。頭の中で勝手に見当をつけていると女の人の方じゃなく、幽霊の方と目が合ってしまい、慌てて逸(そ)らす。三十秒ほど、携帯をいじってからもう一度幽霊の方を見ると、幽霊はわたしを舐(な)め回すような目でじっくり見ていた。思わず舌打ちしたくなる。


 幽霊たちは、みんな生きている人間に自分の存在に気付いてほしくてしょうがない。だから霊感を持っているなんて知られると、後々面倒なことになるのだ。


 高校の最寄り駅を降りて徒歩七分のところに、わたしが通う県立桜ケ丘(さくらがおか)高校はある。県立トップの進学校に通うここの生徒たちは、選(よ)りすぐりの優等生ばっかり。

常識的な長さのスカート丈、一番目まできちんと止められたボタン、通りに連なった蟻(あり)んこみたいな黒髪の頭。ある者は友だちと昨日のテレビの話をしながら、ある者はヘッドフォンで音楽を聴きながら、ある者は携帯をいじりながら、黙々と足を動かしていた。


「稜歩(いつほ)、おはよー!」


 教室に入るなり、朋菜(ともな)たちが声をかけてくる。朋菜と沙智代(さちよ)と波瑠(はる)が見入っているのはティーンズファッション誌。セール前のこの時期らしく、誌面にはでかでかと「この夏のマルキューはバク安!」と赤い文字が躍っている。


「それ、今月のポップティーン?」

「そう、最新号! 稜歩はどれがいい?」


 うきうきと声を弾ませる沙智代の長い髪が揺れる。


「うーん。このデニムのコンビネゾン、可愛いなって思った」

「沙智代ともさっきそう言ってたんだよ! せっかくだし、四人でおそろする?」


 朋菜が校則違反のマニキュアを塗った爪をきらきらさせながら言う。


「えー、わたしはいいかなぁ。こういう、短いのはちょっと。脚が出ちゃうでしょ?」


 波瑠がおっとりと言った。波瑠は朋菜と沙智代とは少しタイプが違って、おっとりしたお嬢さん系だ。実際お金持ちなので、バイトもしてない。


「脚出した方がいいじゃん! せっかく夏なんだし」

「わたし、朋菜みたいに脚細くないもん」

「えー。それ言ったら、あたしの方が太いよぉ」

「沙智代は脚、そんなに太くないって」


 そう言う朋菜の肩越しには、今日も両の目を赤く血走らせた男の霊がいる。いつも怖い顔をしているこのおっかない霊がわたしは本当に苦手だ。


「そもそも脚って、どうしたら細くなるの? よく、むくみが良くないっていうけれど、わたし、むくむってどういうことかわからないんだよね」

「うちもそれ思った! むくみって、マジ謎だよね? むくむとどうなるの? 沙智代知ってる?」

「あたしもわかんないやー。稜歩、知ってる?」

「え」


 つい、間の抜けた声を出してしまう。毎度のことながら、朋菜に憑いている霊が気になって仕方なくて、すっかり話を聞いていなかった。


「ごめん、えっと、なんの話だっけ」

「だからー、むくみの話だってば」


 朋菜がちょっと怒った顔をする。


「稜歩って時々、人の話聞いてないよね」
「ごめん」


 素直に謝った。こんなことは昔からしょっちゅうなんだけど、朋菜に憑いている霊がかなり怖いから余計に気になってしまうんだ。でもそんなこと、誰にも言えない。言えるわけがない。


「むくみって、脚を指で押せばわかるんだって。三秒押しても、赤い痕が消えなかったらむくんでる印」
「へー、初めて知った!」


 沙智代が目を輝かせ、朋菜と波瑠もへぇーと頷(うなず)いている。よかった。始業前、いつもの四人組でのおしゃべりの楽しい時間、うっかり雰囲気をぶち壊したらいつハブられるかわからない。


「稜歩って、頭いいよねぇ。わたし、期末さんざんだったから落ち込んじゃうよぉ」


 波瑠がしょげた声を出した。県立トップの桜ケ丘は優等生ばかりが集まるけれど、自分よりもっと頭の良い人がいくらでもいることを、入学後思い知らされることは珍しくない。波瑠の悩みは、桜ケ丘ではありふれた悩みだ。


「うちはもう、勉強は諦めたわー。受験で頑張ったんだし、これからは恋とファッションに生きる!」


 堂々と宣言している朋菜は、桜ケ丘に入った途端落ちこぼれ、今は週四回学校の近くのマックでバイトしている。お金を貯(た)めて服やコスメをしこたま買いたいらしい。


「あたしも朋菜に賛成。ま、宿題だけはちゃんとやってればうちの高校、そんなにまずくないよ。MARCHには入れる」


 沙智代の言うMARCHというのは関東圏のAランク大学の通称。早稲田(わせだ)や慶応(けいおう)は無理でも、三年生になってから死ぬほど勉強すれば誰でも入れる大学だ。桜ケ丘の生徒なら。


「桜ケ丘入ったら安泰だな、とは思ってたけど。でもこんなに成績悪いと、正直心配になる」
「波瑠は塾も行ってるんでしょ? 大丈夫だよ。まずいのは朋菜とあたし」
「そうそう! 時々、授業何言ってんのか全然わかんないことあるしね」


 朋菜も沙智代も波瑠も、そしてわたしも、本命は私立で、記念受験で桜ケ丘を受けて、まぐれで受かってしまったということが共通している。うちの場合は桜ケ丘に受かったとなったら、これでお金がかからないと両親とも今にもお祭り騒ぎを始めんばかりに喜んでいた。

 喜ばなかったのは、進路指導の先生だ。


「自分のレベルに合っていない高校に入ると、後で苦労するぞ。家庭の事情もあるだろうけれど、よくよく考えて決めなさい」――


 その時はよくわからなかったけれど、高校に入って三ヵ月ちょっと過ぎた今、ようやくその意味を理解している。