城下の一つの通りに到着すると、私は通りの端にある店に馬を預ける。ここは馬を預かったり引き渡したりすることを生業としているところだった。
 店主が言う。
「お忍び、というやつかい?」
「えっ」
 急にそんなことを言われて、血の気が引いた。どうして。なぜわかった。なにがいけないのか。
「よくいるんだ。どこの貴族のお嬢様か知らないけど、従者を連れてやってくる。まあ気をつけることだね。何を買うにもふっかけられるから。皆、金の臭いには敏感だよ」
 笑いながらそう言う。話をしている当の本人も、臭いに敏感な人間なのだろう。仕方なく、少し多めに銅貨を渡す。
 店の外で私たちのやりとりをじっと見つめていた王女は、首を傾げていた。
 私が傍に寄ると、口を開く。
「あの人に、何を渡していたの?」
「え……馬を預かってもらう代金ですが」
「お金がいるの?」
 そうか。王女はこんな風にお金のやり取りをしたことがないのだろう。
「ええ、土地代、というものですね」
「……まあ、大変だわ」
「何がですか?」
「私はお金を持っていないもの」
 不安げにそう言う。私は城を出るときに真っ先に財布を握ったが、彼女にはそういう感覚がないのだ。
「私のお金は王城にいただいたものです。遠慮なさらず、欲しいものがあれば買いましょう。せっかくですから」
 王女は、そう? と首を傾げる。よくはわかっていないようだったから、私はとにかく話を逸らす。
「とりあえず、歩いてみましょうか」
「そうね、そのために来たのですもの」
 広く平坦な一本道の両側に、さまざまな店がずらりと並んでいる。その道を行き交う人々、荷馬車。客引きを行う店主、活気に溢れた声。
 ここは一般的な城下街と言えた。
 そしてそれはどれも、王城にはないものだった。
 王女は何もかもが珍しいのか、とにかくきょろきょろしていた。急に走り出しそうになるから、怖くなって外套の端を持つ。
「なにかしら?」
 怪訝そうに訊ねてくる。
「あの……迷子になりそうなので」
「まあ、私、そんなに子どもではなくてよ」
 そう言って唇を尖らせるが、彼女はこの街では子ども同然だ。
 私の心の中を読んだのか、王女はため息をついて手を差し出してきた。
「え?」
「手を繋ぎましょう。それなら迷わないわ」
「えっ」
「早く」
 私はおずおずと手を差し出す。王女はそれを力強く握ってきた。柔らかな手だった。私の心臓はもう、身体の外に飛び出そうだ。
「これでいいかしら?」
「は、はい。ええと、それと」
「なあに?」
「あの……殿下……とは呼べないので、なにか呼び方を」
 声をひそめる。馬宿の店主同様、お忍びだと気付く者もいるだろうしそこまでは構わないが、それが王女だとばれるのは怖ろしい。
「エイラでよくてよ。名前もいけないの?」
 王女が生まれたとき、それにあやかろうとエイラという名前を付けられた娘は多くいるという。ならば、問題はないはずだ。
「い、いえっ。殿下さえよければ」
「……殿下とは呼ばないのではなかったの」
「す、すみません……あの……エイラ」
「よろしい」
 そう茶目っ気たっぷりに言うと、王女は笑った。開放感に満ちた笑顔だった。