王女の絵を、もう何枚描いただろう。数え切れないほどの絵は王女が後宮に持ち帰っているので、正確に何枚あるかはわからない。
 だが、輿入れまであと二十日、というところまできても、王女の絵を描くという仕事は変わらずにあった。
 輿入れの準備がいろいろと忙しいのか、時間はかなり減ったけれど、それでもなんとか時間を作っては、第五王子の執務室に王女が顔を出す。
 そして。どうも最近、周りの私を見る目がかなり変わってきたように思う。
 同期の者が、わざわざ居住区の私の部屋までやってきて、ぽんと肩を叩く。
「なんというか……がんばれよ」
「は?」
「いや……あのな、変な気を起こすなよ」
「変な気?」
「いや、いいんだ、わからないのなら」
 それだけ言って去っていく、などということもあった。
 王女の侍女たちが王女のいないところで私を呼び止めることもあった。
「あと少しでございますから、どうかできるだけエイラ殿下の傍にいてあげてくださいませね。私どもは殿下の幸せを願うばかりで」
 などと言って目頭を押さえ、私はその前で呆然と立ち尽くすこともあった。
 ここまで来れば、いくらそういうことに疎い私でもわかる。
 誤解されている。
 どうやら、私たちは禁断の恋をしていると思われているようだ。
 私はただ、王女が望むまま絵を描いているだけだというのに。
「なあに、ため息?」
 はっとして顔を上げる。いつものように絵を描いている途中だったのだ。
 目の前の王女は、唇を尖らせている。
「私と一緒にいるのがそんなに嫌なのかしら? だったら強制はしなくてよ」
 そう言って、ぷいと横を向いてしまう。どうやら機嫌を損ねたらしい。
「す、すみません。つい、考え事をしてしまいまして」
「考え事ってなあに?」
 身を乗り出してそう問うてくる。どうやら王女と一緒にいること以上に関心のある、その考え事とやらが知りたいようだ。
「その……」
 だが、これを王女の耳に入れていいものか。下賎な噂話で彼女の耳を汚すのには抵抗がある。
 なかなか口に出せないでいる私を見て、王女は痺れを切らしたように言った。
「早く仰いなさい」
「は、はいっ。ええと、私がですね……その……エイラ殿下に……」
「私に?」
「あの……懸想していると……思っている者がいるようで……」
「あら」
 王女はその言葉は予想していなかったのか、少々弾んだ口調になる。
「ずいぶん艶っぽい話だわ」
 まるで他人事だ。いや、他人事なのか。
「それでその……、ここにくるのはこれからは遠慮したほうがいいのかと」
「まあ、それは困るわ」
「いや、でも……そんな話が広まるとですね、殿下のご迷惑ではないかと」
「私は構わなくてよ」
 飄々としている。本当にまったく気にしていないようだ。そんな戯言を真に受けるほうがおかしい、とでも思っているのかもしれない。
 いや。
 それは本当に戯言か?
「輿入れ前の王女と従者の禁断の恋、あら、なにか物語にでもなりそうだわ。素敵ね」
「いや、素敵とか……あらぬ誤解を受けているんですよ、私だけじゃなく、殿下も」
「構わないと言ったではないの。いいのよ、放っておけば。それとも、ジルはこんな噂話の元になるのは嫌なの?」
「い、いえ、嫌というわけでは」
「じゃあ、いいじゃない」
 王女は微笑んでそう言う。まったく意に介していない。そう思うと、ふいに胸をぎゅっと押さえつけられるような感覚がした。
 その噂は、本当に戯言か?
 絵を描くことは楽しい。だが、本当にそれだけで王女を描くことが嬉しいと思うのか?
 王女が執務室に顔を出すたび、心躍る自分はいなかったか?
 ……いや、戯言だ。
 王女はもうすぐこの城からいなくなる。そしてセイラス王妃となる。
 それ以前にまず、王女である彼女と今こうして一緒にいること自体が奇跡で、私は本来ならば顔を見ることすら叶わぬ立場の人間なのだ。
 王女に懸想などと、決してあってはならない。
 あってはならないことなのだ。