「大丈夫です。酷な思いなんかしていません」

やめてよ、急に優しくするの。私はこれまで一度だって人前で泣いたことがないんだから。これからもそうなんだから。

「この怪我は私の不注意です。どこのスーパーも同じように人手不足の中、みなさん立派にやっていらっしゃいます」

でももうダメだった。小さな明かりが揺れ、光の粒になってポロリと落ちた。頬を拭ったら泣いていることがばれるから、そのまま真っすぐ前を向く。

「痛くなんかありません」

本当は痛い。傷跡が残るのかもしれないと思うと怖い。でも辛いのはそこじゃない。

「努力でこなせないものはないと思ってきました。こなせないのは努力が足りないからだって。でも今の私はいくら踏ん張ってもできなくて、自分は百パーセント奮い立てていないんじゃないかって悔しくて……」

「畑違いのあなたがすんなりこなしてしまったら、あのパートさん……矢部さんの立場がないでしょう」

矢部さんの猛獣ぶりを思い出したのか彼の声が少し可笑しそうに緩み、それから諭すように柔らかくなった。

「すべてをこなせる人間より、限界を知っている人間の方が強くて大きいですよ。人の上に立つ人材はそうあってほしいと思います」

現場には現場の誇りがあるということ。今までの私は部下にもアパレルショップのスタッフにも製造会社にも、自分の物差しを押し付けるばかだった。
この異動は私にそれを教えようとしたのだろうか? だとしたら余計に自分が恥ずかしくなる。

コーヒーを口に含むと、甘くてしょっぱい味がした。 窓の外のまばらな灯りは民家が多く、小さく優しい光が後方に流れていく。これ以上涙を零さないよう、私は唇を固く結びながら窓の外を見つめていた。