昭和から平成への改元があってから七度目の三月、このままでは埒が明かないと考えたものか、再開したばかりの新幹線で神奈川まで、内藤一真は疎開したことがあった。

疎開の理由には、少しだけ説明が要る。

当時は大学の二回生で、折しも後期の試験を四日後にひかえていた。

まだ成人の祝日が一月十五日であった頃で、吹田のキャンパスのそばに部屋を借りて住んでいたので、新長田の当時の彼女である藤島麻美子の家へ行くにはもっぱら、阪急線と神戸線の乗り継ぎである。

肌寒い日で、風も強くポートタワーから見える海は苛波が立っていた。

三ノ宮の改札口で待ち合わせ、南京町を漫然と手を繋いで歩いていたが、何でなのかは今となっては知るよすがもないが、麻美子は急に不機嫌になって、何を訊いても返答がない。

そのうち小さな口論になり、そのまま麻美子は新長田の実家まで帰ってしまったのである。