地下道で声をかけた老人が、まさか妖だとは思わず。

 美兎(みう)は小豆洗いの老人の機転のおかげで恥ずかしい思いをせずに済んだが。

 こんな街中で妖と出会うのは、あの大須(おおす)観音(かんのん)での人魚達との出会い以来だったので。

 ついつい、自分の視える力。見鬼(けんき)の才とやらが高まったことを忘れがちだった。あと少しで、その原因となった、先祖である空木(うつぎ)夫妻との食事会もあると言うのに。

 とりあえず、界隈に入って、座敷童子の真穂(まほ)と合流してから経緯を話せば。

 当然とばかりに、彼女から軽く頭にチョップをお見舞いされたのだった。


「あう!?」
「いーい、美兎? こいつの場合人間と見た目似てるからって、見鬼のコントロールとかしなよ?」
「う、うう……だって、本当に困ってたようだったし」
「ま、真穂様?? 儂が久方ぶりにこの辺りに来たので、悪いのは儂ですじゃ」
保鳥(ほとり)はとりあえず黙ってて」
「……はい」


 ちなみに、小豆洗いの名前は保鳥と言うそうだ。

 そして、見た目はお爺さんと孫にしか見えないのに、力の差とかで立場は逆だ。

 とにかく、再三再四言われてから、三人で一緒に楽庵《らくあん》へと向かうことになった。


「九州から珍しいじゃない? ここまで何しに来たの??」


 真穂は問い掛ければ、保鳥は背中に背負っている大きな木箱のリュックのようなものを軽く揺らした。


「儂が小豆洗いゆえ、と言いますか。楽庵の大将殿に、小豆の仕入れを頼まれまして。ならば、久方ぶりにこの辺りも寄りたいなと」
「なるほど?」
「小豆洗いさんってどんな妖さんなんですか?」
「美兎、小豆とぎとかって聞いたことない??」
「小豆……とぎ?」
「小豆洗おか〜、人取って喰おか〜? ですな?」
「え、後半の唄? 物騒ですけど」
「実際には喰いはせんのじゃ。ただの手慰みの唄じゃて」
「川のほとりで、小豆を洗う音に吸い寄せられて……で大昔の人間達は死んだって噂もあるけど」
「興味本位でしたからの」


 ほんの、少しだけ。美兎は怖い印象を持ってしまったが、保鳥は苦笑いするだけ。

 きっと、これまでにも人間達と関わりがなかったかもしれない。なら、出会ったばかりの美兎が恐れるわけにもいかない。


「えと。わざわざ九州から単身で名古屋に?」
「そうじゃ。大将殿は時期になると、儂ら小豆洗いにも小豆を注文するんじゃよ。なにせ、太宰府にまあまあ近い儂の地元では小豆の生産も盛んじゃからな?」
「あっちの界隈だと、農業とかが盛んらしいわ」
「へー? 小豆……だざいふ? なんか聞いたことがあるような??」
「太宰府天満宮のことよ、美兎? 分社は(にしき)二丁目にもあるわ。桜天神社って言うけど」
「あ、受験の時に親戚からお守りもらったわ! けど……錦にもあるの??」
「おお!! それは知らなんだ。真穂様、儂そちらにご挨拶に行きたいのですが」
「後でね、あと。人間が御霊(みたま)になったんだからって……あいつとはあんまり会いたくない」
「おや、つれないね?」
「そりゃ……って!?」


 割り込んできた男性の声に美兎も振り返ったら。

 まるで、映画などの平安貴族が飛び出してきたかのような、美しい髭を蓄えた着物の男性が立っていた。

 今の話の流れで、もしやと美兎もさすがに勘付いたが。


「お、おお!!」
「なんでいんのよ、道真(みちざね)!?」
「ふふ。面白いヒトの子と小豆洗いの様子も見に」
「絶対ぜーったい、口実でしょ!?」
「ふふ。バレたか」


 そして、隣にいる美兎に振り向くと優しく微笑んでくれた。


「あ、あの?」
「はじめまして。今は天神とも言われているが、菅原(すがわらの)道真と言うよ。わずかだが、私の気を感じたが。私の(やしろ)の守りを持っていたのなら、通りだ」
「! え、日本史に出てた!?」
「ふふふ。あと百人一首にも私の歌があったねえ??」
「ご無沙汰しておりますじゃ、菅公(かんこう)
「ああ。導きもご苦労」


 大神(おおかみ)もだが、二度目の神様との遭遇。

 美兎の頭が許容範囲を超えそうで、思わず呆れ顔の真穂に抱きついたが。この雅な神様も一緒に楽庵に行くことになったのだった。