俺は小さくため息を吐き出すと、右手に握っていた歯車をそっと机の上に戻す。そして真那の机に背を向けて再び階段に戻ろうとした時、ふと頭の中に、彼女と最後にこの場所で話した時のことを思い出した。
 あの日、真那は珍しく親父が仕事が終わってからも一人ガレージに残って作業を続けていた。よほど夢中になっていたのか、俺が家族と晩飯を食べ終わっても真那はずっとこの場所で一人黙々と何かを作っていた。
 呆れた俺が、母親が作った差し入れのおにぎりを持って行くと、さすがの真那も疲れ果ててしまっていたようで、彼女は作業机に頭を伏せて寝ていた。
 むにゃむにゃと寝言を言いながら気持ちよさそうに寝ているその横顔を見ていた時、机の引き出しから何かが飛び出していることに気がついた。
 何だろう? と気になった俺はこっそりと開けてみようと手を伸ばしたのだが、「開けちゃダメ!」とタイミングよく目を覚ました真那によって止められてしまった。そのせいで俺は、危うく引き出しに指を挟みそうになったのだ。
 瞼の裏に浮かぶそんな些細な彼女とのやり取りでさえも、今となってはもう、どれだけ望んだとしても二度と訪れることはない。
 俺は再び机に向かって振り返ると、あの時と同じように引き出しへとそっと手を伸ばす。もう咎められることもなく簡単に開けることができる事実に、胸がギシリと痛くなる。
 ゆっくりと姿を現した引き出しの中には、生前真那が使っていた工具やパーツが綺麗に並べられていた。
 と、その時。引き出しの奥の方に、この空間には不釣り合いなものがあることに気づいた。 
 それは小さな白い箱で、淡いピンクのリボンが丁寧に巻かれている。そして箱の下には、白い封筒のようなものも置かれていた。
 
 何だろう?
 
 俺はその箱をそっと取り出すと、机の上に置いてみる。見れば見るほどそれは、真那のイメージとは合わないような女の子らしいデザインだった。
 
 そんなことを言えば真那のやつ、きっと怒るだろうな。
 
 拗ねたように頬を膨らませる彼女の姿を脳裏に描き、俺は自嘲じみた笑みを浮かべた。そして再び引き出しの中へと手を伸ばすと、今度は封筒を手に取ってみる。こちらは特に何のデザインもなく、レターセットについてくるようなよくある封筒だった。
 その封筒を持ち上げた時、不意に視界に入ってきた文字を見て、俺は思わず息が止まった。

 歩へ。

 真っ白な封筒には、たった一言、自分の名前が記されていた。予想もしなかった展開に、ドクンと心臓が激しく脈を打つ。俺は呆然としたまま、その封筒を凝視した。
 
 これは、一体……。
 
 様々な疑問が頭の中を駆け巡る中、俺は乱れ始めた呼吸を落ち着かせようと深く息を吸った。そして小刻みに震える指先で封筒をゆっくりと開けると、中に入っていた一枚の便箋を取り出す。

「……」
 
 俺はゴクリと唾を飲み込むと、折り曲げられた便箋をそっと開いてみた。そこには見慣れた、そして今ではもう二度と見ることができない彼女の手書きの文字で、自分へのメッセージが綴られていた。
 それは偶然にも、誕生日を一週間後に控えた自分が、一年越しに真那からもらった誕生日プレゼントだった。