教室を思わず飛び出してしまった私は、行くあてもなく、人気のない廊下をただ走っていた。胸にジクジクと広がっていくのはあの花火大会の時と同じ、後悔の痛み。
 
 私はまた歩に……

 悔みきれない後悔を抱えながら、私は誰もいない階段へと近づくと、そのままそこに腰を下ろす。そして両腕に顔を埋めた。走ったせいなのか、それとも胸の痛みのせいなのか、情けない息だけが唇から溢れる。
 しばらく顔も上げることができずただ座り込んでいると、ふと誰かが近づいてくる気配を感じた。

「椿……大丈夫か?」
 
 その声にゆっくりと顔を上げると、目の前には心配そうな表情を浮かべて自分のことを覗き込む和輝くんの姿。私は咄嗟に右手で目元を拭うと、「うん」と力なく頷く。

「歩のやつに、何かひどいこと言われたのか?」
 
 和輝くんは静かな声でそう言うと、私の隣に座り込んだ。そんな彼に向かって、私は小さく首を横に振る。

「私のほうが……歩にひどいこといっちゃった」
 
 そんな言葉をぼそりと呟くと、和輝くんは黙り込む。私は情けないなと思いつつも、我慢できない気持ちをぽつりぽつりと声にする。

「ほんとはね……わかってるんだ。歩には私よりもお姉ちゃんの方が必要だって。私じゃ全然歩の力になれないってことも……」

 ぎしりと痛む胸を握った拳で隠しながら、私は言った。熱を持った目元からは、今まで抑えてきた感情がとめどなく溢れてくる。

「お姉ちゃんが亡くなってからしばらくたった頃、歩がサッカー部やめちゃって学校にもあんまり来なくなって……あの時私、ほんとはすごく怖かった。もしかしたらお姉ちゃんだけじゃなくて、歩もいなくなっちゃうんじゃないかって思って……。だから、少しでも歩の力になって支えてあげたいって決めてたのに……私がこんなのじゃ、ダメだよね」
 
 そう言って私は両手で顔を覆った。自分にとって一番大切な人のそばに寄り添うことができない悔しさが、指先を伝って流れ落ちていく。 
 どれだけ想い続けても、どれだけ近くにいたいと思っても、自分のこの気持ちが、相手に届くことはない。大好きな人に、振り向いてもらうことはできない。そんな焦燥と胸を貫くような痛みだけが、行き場を失った言葉と共に心の中に溜まっていく。
 息が詰まるような沈黙が続いた後、私は涙を拭うとチラリと隣を見た。

「ごめんね。和輝くんにまでいつも迷惑ばっかりかけちゃって……」
 
 ぼそりとそんな言葉を呟くと、和輝くんは小さく首を横に振る。そして真剣な表情を浮かべたままゆっくりと口を開いた。

「俺は迷惑だなんて思ったことはないし、椿が一人で苦しむぐらいならいつだって力になるよ。……だって俺は」
 
 声音を強めた和輝くんはそこで言葉を止めると、私の顔を真っ直ぐに見つめてきた。

「……」

 深く息を吸った和輝くんは一瞬何か言いかけて唇を開くも、言葉の代わりに躊躇うようにため息を吐き出した。不思議に思った私が黙って見つめていると、彼が再びゆっくりと口を開く。

「俺で良かったらいつでも力になるからさ。だから、椿がしんどい時は頼ってほしい。一人で全部抱え込むのは辛いだろ」
 
 和輝くんはそう言うと、今度は優しく微笑む。私はそんな彼の言葉を聞いて、じわりと再び目元に熱が灯るのを感じてしまい、思わず顔を伏せる。

「ありがとう……」
 
 必死に絞り出した言葉は、届かぬ自分の想いのように、窓を打つ雨の音によってかき消されるように消えていった。