教室に入ると、すでにほとんどのクラスメイトは到着していて、その中には明日香たちと楽しそうに話している椿の姿もあった。そのまま俺が自分の班のところへ向かおうとした時、視界の隅でこちらに気付いた椿が立ち上がるのが見えた。

「おはよ」
 
 目の前までやってきた椿が、どこか恥ずかしそうにしながら言ってきた。

「おう、もう体調は大丈夫なのか?」

「うん……」 
 
 少し伏し目がちに返事をする椿に、「そっか」と俺は安心したように息を吐き出す。すると椿はまだ何か言いたいことがあるのか、胸元で握った指先をもじもじとさせながら、チラリと様子を伺うように俺の顔を見上げてきた。

「昨日はラインしてくれてありがと。その……嬉しかった」
 
 教室の賑やかな喧騒のせいで最後の言葉が聞き取れず、俺は「え?」と首を傾げる。すると椿は小さく首を振って、「ううん、何もない」といつもの笑顔で答えた。そしてそのままくるりと背を向けると、明日香たちのところへと戻って行く。
 花火の時のことは結局何も聞けなかったが、とりあえずいつもの椿に戻っているようだ。
 俺はそんな彼女の背中を見てほっと息を吐き出すと、再び自分の班の方へと足を向けた。

「お? 社長出勤ですか?」
 
 珍しく早く来ていた真一が茶化すような口調で言ってきたので、俺は呆れて肩を落とす。

「いつもお前の方が遅いだろ」

「失礼な奴め。五回に一度は早く来てるぞ」

「週一かよ」と俺は軽く笑って突っ込みを入れると、座布団がわりに広げられいるダンボールへと腰を下ろす。見ると目の前には、カフェの装飾で使うために細かく切り刻まれた折り紙が色ごとに紙コップに並べられていた。
 見るからに骨が要る作業に、思わず盛大なため息が漏れる。

「おいおい、来た瞬間にため息つくなよ。やってると意外と楽しいぞ、これ」

 そう言って真一はいつかの仕返しのつもりなのか、やたらと分厚い折り紙の束を渡してきた。赤やピンクと華やかな色をしたその折り紙とは対照的に、自分の心はますますグレーになっていく。
 俺はげんなりとした表情を浮かべたまま右手を伸ばすと、真一が差し出している折り紙の束から半分だけを引き抜いた。すると「せこッ!」とすかさず彼の突っ込みが入るが、そこはあえて無視する。

「しゃーねーな。今度昼飯奢れよ」

 真一はそんな言葉を呟くと、しぶしぶといった様子で残った折り紙の束も自分のノルマに足して作業の続きを始めた。そんな彼に感謝しながらも、「昼飯は却下で」と呟いた俺は同じようにハサミを握ると作業を始める。
 面倒だなと最初は思っていたものの、やってみると案外気晴らしになるようで、俺は無言で作業を続けていた。何もしていなければ否が応でも真那のことが頭の中に浮かんでしまい、そのせいで不安に心を飲み込まれてしまいそうになってしまう。それを少しでも小さくしていくかのように、俺は折り紙を細かく切り刻んでいく。
 しばらくそんな作業を続けていると、不意に背中越しから誰かが近づいてくる足音が聞こえてきた。

「おい真一。雨降ってるけど、みんなのユニフォームちゃんと部室に戻したのか?」
 
 頭上から聞こえてきた和輝の声に、「やっべ!」と真一の顔が青ざめる。

「お前、三宅先輩にブチ殺されるぞ。早く戻してこいよ」

 やばいやばいやばい、と小声で連呼しながら慌てて立ち上がる真一の姿に、同じ班の女子たちがクスクスと肩を震わせていた。真一はそんな彼女たちに向かって「ごめん! すぐ戻るから」と言った後、教室の扉を飛び出して行った。俺はそんな彼の後ろ姿を見て、呆れてため息をつく。

「あとカフェの制服の刺繍で二人ぐらい手を借りたいんだけど……」
 
 残った俺たちを見て和輝が言った。その言葉に、俺も同じように班のメンバーの顔を見回す。真一を除けば残っているのは俺と女子二人だけ。いちいち分かりきったことを聞くなよと思いながら、俺は無言のまま作業を続けた。

「刺繍だったら、私たちが手伝おうか?」

 俺の様子に気を遣ってくれた一人の女子が和輝に向かってそんなことを言った。すると隣に座っていたもう一人の女子が、「工藤くん、一人で大丈夫?」と心配そうに声をかけてきた。もちろん刺繍なんてできないしやりたくもないので、俺は「ああ」とぶっきらぼうに返事をする。

「そしたら二人とも頼むよ。ありがとう」
 
 そう言ってニコリと微笑む和輝に、彼女たちはこくりと頷くとそのまま立ち上がった。俺はそんな3人をあえて見ずに一人黙って作業を続ける。何か一言ぐらい言ってくるのかと思ったが、結局和輝は何も言わずに二人を連れてそそくさと離れていった。
 
 まあ今のあいつからすれば、俺なんていてもいなくても一緒だろうな。

 俺はそんなことを思うと小さくため息を吐き出す。そして変わり果ててしまった友情を自ら断ち切るように、ハサミをひたすら動かして一人作業を続けた。すると今度は別の足音が近づいてくることに気づく。