「そう言えばこのオルゴールを直してほしいと言っていたね」
不意に聞こえてきたその言葉に、俺は慌ててコクリと首を動かす。
「はい。実は少し調子が悪くて……見てもらえないでしょうか?」
ふむ、と真那のお爺さんは息を吐き出すと、カウンターの奥にある台の上にオルゴールを置いた。そして両手で優しく包み込むと蓋を開けようとする。
「あ、そのオルゴール……」
俺が話し切る前に、真那のお爺さんは開かないオルゴールに不思議そうな表情を浮かべたかと思うと、すぐに何かに気付いたようで「真那らしいな」と微笑んだ。そして壁に掛けている小さな工具をいくつか手に取ると静かに椅子に座った。
「……」
黙ったまま見守る自分の視線の先で、真那のお爺さんはじっとオルゴールを見つめたまま慣れた手つきで工具を握った指先を動かしていく。その姿はどことなく、家のガレージでよく何かを作っていた真那の姿に似ているような気がした。
しばらくすると、パチンという音と共にオルゴールの蓋が開いた。俺は一瞬ドキッとして慌てて辺りを見回すも、先ほどと変わったところはない。どうやら時間はいつも通り流れているようで、代わりにオルゴールからはメロディが流れてこない。
「あれ、音が鳴らない……」
不安に思った俺がそんな言葉を呟くと、真那のお爺さんが小さく微笑む。
「中身を見るために違う開け方をしたからね。今は鳴らないだけだよ」
真那のお爺さんはそう言うと、小さなルーペを手に持ってオルゴールの中を覗き込む。
「ほう……真那のやつ、また随分と変わったものを作ったようだ。こんな仕組みは初めてみたよ」
「直せそうですか?」
俺は真那のお爺さんの横顔を真っ直ぐ見つめたまま尋ねた。すると「どれ、見てみよう」と言って真那のお爺さんは孫の作った作品に再び工具を入れていく。静かな店内に、カチャカチャと金属が擦れ合う小さな音だけが響いた。
しばらくそんな状況が続いた後、不意に手を止めた真那のお爺さんが今度は考え込むように目を瞑った。そして短い息を吐き出すと、言葉を選ぶようにゆっくりと口を開く。
「……すまない、歩くん。どうやらこれは直せそうにない」
「え?」
その言葉に、俺は思わず声を漏らした。すると真那のお爺さんが静かに続きの言葉を話す。
「真那のやつ、どんな方法でこれを作ったのかわからないが、これはかなり特殊な構造になっているようだ。分解して組み立てることはおそらく可能だが、心臓部のパーツがかなり消耗していてね。これを変えるとなるとこの店にある部品じゃ出来ないんだよ」
「そんな……」
呆然と立ち尽くす自分の前で、真那のお爺さんは再び考え込みながら椅子に深く座り直した。
「ドイツにいる友人ならもしかしたら直せるかもしれないが、しばらく預かることになるだろう……」
「どれくらいですか?」
「具体的にはわからないが、おそらく半年ぐらいは預かることになるかもしれない。それに、確実に直せるとは約束できない」
「そうですか……」
落胆の色を滲ませながら、俺は大きく息を吐き出した。今の自分には半年も待っている時間はない。それに預かってもらったとしても、直るかどうなのかもまだわからないのだ。
俺は伏せていた顔を上げるとゴクリと唾を飲み込み、どうしても気になっていたことを口にした。
「あの……そのオルゴールは、あとどれくらい鳴らせますか?」
震えそうになる唇に必死に力を入れて、俺は尋ねた。すると真那のお爺さんは「うむ……」と唸るような声を漏らして顎をさする。
「おそらく……あと一度は鳴らせると思うがそれ以上は難しいだろう。それに動いたとしてもいつまで鳴り続けるのかはわからない」
「そんな……」
あと一度。その言葉が、鋭い刃のように胸に突き刺さった。
真那とこれからも会えると思っていた自分にとって、それはあまりにも短すぎる宣告だった。俺はぎゅっと拳に力を込めると、すがるような思いで口を開く。
「何か……何か他に方法はありませんか? お金ならちゃんと払います。だから……」
必死に嘆願する自分に、真那の真那のお爺さんは小さく首を横に振った。その瞳が俺の顔を映しながら悲しそうに揺れる。
「すまないね、歩くん。大切な孫からの贈り物なので何とかして直してやりたいところなんだが、こればっかりは……」
真那のお爺さんはそう言うと、台の上に置かれているオルゴールを見つめた。真那の手によって作られた精巧な発明とそこに詰まった想いは、すでに抜け殻になってしまったかのように蓋だけが開かれている。
俺はオルゴールから視線を逸らして顔を伏せると、ぐっと唇を噛んだ。掴みかけた僅かな希望が、音も鳴らずに崩れ落ちていく。
何も言葉にできないままただ黙り込む自分に、真那のお爺さんがそっと囁く。
「真那も幸せだっただろう」
「え?」
思いもよらないその言葉に、俺はハッと顔を上げる。すると真那のお爺さんが俺を見て優しく微笑んだ。
「自分が大事にしていたものを、ここまで大切に想ってくれる人に巡り会えたんだからね。あの子もきっと幸せだったよ」
「……」
彼女と似た真っ直ぐな瞳で、真那のお爺さんは俺のことを見つめた。胸の中に浮かんでくるのは、夕暮れ色に染まるジャングルジムでいつも嬉しそうに話しをしていた真那の姿。
彼女は自分の発明を、まるで宝物でも見つけたかのようにいつも目を輝かせながら話してくれていた。
どんなくだらないことでも、人が想像しないような突拍子なことも、彼女が口にするとそれはとても楽しげに聞こえていたのだから不思議だった。
たぶんそんな彼女の発明を、そして生き様を一番近くで見ることができたのは自分だったのだろう。
そしてあの時の俺はそんな真那の姿を、これから先もずっと側で感じることができると思っていた。そう信じていた……
不意に目元までこみ上げてきた感情を声で誤魔化そうと、俺はゆっくりと口を開いた。
「僕は……結局真那に何もしてあげることができませんでした。彼女はいつも夢に向かって一生懸命で、その姿を見るだけで僕は随分と支えられました。夢を追う大切さも、好きなことに夢中になれる心も、真那を見ていると本当に多くのことを学ばせてもらった。でも自分は……いつも大切なことを教えてもらうばかりで、結局何一つ彼女の力にはなれなかった……」
続く言葉が思いつかず、俺は静かに目を瞑った。瞼の裏に甦るのは、いつも自分の先を歩く真那の後ろ姿。
ほんとうは、少しでもいいから彼女の前を歩いてみたかった。
真那が悩んだり辛くなったりした時は、自分が引っ張れるような存在になれるようにと。彼女がつまづいた時は自分が真っ先に手を差し伸べる存在になれるようにと。
でも、その手を握りしめる前に、彼女はこの世界から姿を消してしまった。
再びやってくるであろう真那との別れに、俺の指先が小刻みに震える。結局自分は、奇跡まで起こして現れてくれた真那に対して、また何もできずに後悔だけを残すのだろうか。
言葉を失いただ立ち尽くしていると、その沈黙を優しく埋めるかのように、真那のお爺さんがそっと口を開く。
「君がそう思ってくれているだけでも、あの子にとってはきっと幸せだろう。形あるものはやがて壊れる。けれど、大切な人の為に作ったという『想い』そのものはいつまでも残るものだよ。大丈夫だよ歩くん。君の中で今も真那は生きてる」
そう言って真那のお爺さんは立ち上がると、俺の右手にオルゴールをそっと託した。握りしめた小さな真那の想いには、初めて彼女と手を繋いだ時のような温もりが宿っていた。俺はゆっくりと指先を広げると、手のひらの上にあるオルゴールを見つめる。
「きっと真那はこのオルゴールを君にプレゼントすることで、何か伝えたかったことがあったはずだ。だから君もこうやって、わざわざこんな遠いところまで訪れにきてくれた。あの子が歩くんのことを大切に思う気持ちが、オルゴールの奏でるメロディのように君をこれからも幸せに導いてくれるはずだよ」
真那のお爺さんはそう言ってニコリと笑った。
真那が伝えたかったこと。彼女がどんな気持ちでこのオルゴールをプレゼントしてくれたのか、今の自分にはわからない。
それでも、彼女のお爺さんが言うように、真那のことだからきっと意味があったのだろう。だって彼女は、自分の作ったものにはいつも情熱を込めていたのだから。
真那のお爺さんは小さく息を吐き出すと、そのままゆっくりと椅子に腰をかけた。そして台の上に両腕を置くと黙り込んでしまう。
不思議に思った俺が声をかけようとした時、真那のお爺さんの肩がわずかに震えていることに気づいた。思わず言葉を飲み込んでしまった自分の前で、真那のお爺さんは老いた手で目元を拭うと、ゆっくりこちらを向いた。
「いやー情けない。歳を取るとどうも涙もろくなってしまうようでね。つい恥ずかしいところを見られてしまった」
そう言って真那のお爺さんは照れ隠しのように右手で頭をかいて微笑んだ。
「君のおかげで久しぶりに真那に会えたような気がしたよ……ありがとう、歩くん」
不意に聞こえてきたその言葉に、俺は慌ててコクリと首を動かす。
「はい。実は少し調子が悪くて……見てもらえないでしょうか?」
ふむ、と真那のお爺さんは息を吐き出すと、カウンターの奥にある台の上にオルゴールを置いた。そして両手で優しく包み込むと蓋を開けようとする。
「あ、そのオルゴール……」
俺が話し切る前に、真那のお爺さんは開かないオルゴールに不思議そうな表情を浮かべたかと思うと、すぐに何かに気付いたようで「真那らしいな」と微笑んだ。そして壁に掛けている小さな工具をいくつか手に取ると静かに椅子に座った。
「……」
黙ったまま見守る自分の視線の先で、真那のお爺さんはじっとオルゴールを見つめたまま慣れた手つきで工具を握った指先を動かしていく。その姿はどことなく、家のガレージでよく何かを作っていた真那の姿に似ているような気がした。
しばらくすると、パチンという音と共にオルゴールの蓋が開いた。俺は一瞬ドキッとして慌てて辺りを見回すも、先ほどと変わったところはない。どうやら時間はいつも通り流れているようで、代わりにオルゴールからはメロディが流れてこない。
「あれ、音が鳴らない……」
不安に思った俺がそんな言葉を呟くと、真那のお爺さんが小さく微笑む。
「中身を見るために違う開け方をしたからね。今は鳴らないだけだよ」
真那のお爺さんはそう言うと、小さなルーペを手に持ってオルゴールの中を覗き込む。
「ほう……真那のやつ、また随分と変わったものを作ったようだ。こんな仕組みは初めてみたよ」
「直せそうですか?」
俺は真那のお爺さんの横顔を真っ直ぐ見つめたまま尋ねた。すると「どれ、見てみよう」と言って真那のお爺さんは孫の作った作品に再び工具を入れていく。静かな店内に、カチャカチャと金属が擦れ合う小さな音だけが響いた。
しばらくそんな状況が続いた後、不意に手を止めた真那のお爺さんが今度は考え込むように目を瞑った。そして短い息を吐き出すと、言葉を選ぶようにゆっくりと口を開く。
「……すまない、歩くん。どうやらこれは直せそうにない」
「え?」
その言葉に、俺は思わず声を漏らした。すると真那のお爺さんが静かに続きの言葉を話す。
「真那のやつ、どんな方法でこれを作ったのかわからないが、これはかなり特殊な構造になっているようだ。分解して組み立てることはおそらく可能だが、心臓部のパーツがかなり消耗していてね。これを変えるとなるとこの店にある部品じゃ出来ないんだよ」
「そんな……」
呆然と立ち尽くす自分の前で、真那のお爺さんは再び考え込みながら椅子に深く座り直した。
「ドイツにいる友人ならもしかしたら直せるかもしれないが、しばらく預かることになるだろう……」
「どれくらいですか?」
「具体的にはわからないが、おそらく半年ぐらいは預かることになるかもしれない。それに、確実に直せるとは約束できない」
「そうですか……」
落胆の色を滲ませながら、俺は大きく息を吐き出した。今の自分には半年も待っている時間はない。それに預かってもらったとしても、直るかどうなのかもまだわからないのだ。
俺は伏せていた顔を上げるとゴクリと唾を飲み込み、どうしても気になっていたことを口にした。
「あの……そのオルゴールは、あとどれくらい鳴らせますか?」
震えそうになる唇に必死に力を入れて、俺は尋ねた。すると真那のお爺さんは「うむ……」と唸るような声を漏らして顎をさする。
「おそらく……あと一度は鳴らせると思うがそれ以上は難しいだろう。それに動いたとしてもいつまで鳴り続けるのかはわからない」
「そんな……」
あと一度。その言葉が、鋭い刃のように胸に突き刺さった。
真那とこれからも会えると思っていた自分にとって、それはあまりにも短すぎる宣告だった。俺はぎゅっと拳に力を込めると、すがるような思いで口を開く。
「何か……何か他に方法はありませんか? お金ならちゃんと払います。だから……」
必死に嘆願する自分に、真那の真那のお爺さんは小さく首を横に振った。その瞳が俺の顔を映しながら悲しそうに揺れる。
「すまないね、歩くん。大切な孫からの贈り物なので何とかして直してやりたいところなんだが、こればっかりは……」
真那のお爺さんはそう言うと、台の上に置かれているオルゴールを見つめた。真那の手によって作られた精巧な発明とそこに詰まった想いは、すでに抜け殻になってしまったかのように蓋だけが開かれている。
俺はオルゴールから視線を逸らして顔を伏せると、ぐっと唇を噛んだ。掴みかけた僅かな希望が、音も鳴らずに崩れ落ちていく。
何も言葉にできないままただ黙り込む自分に、真那のお爺さんがそっと囁く。
「真那も幸せだっただろう」
「え?」
思いもよらないその言葉に、俺はハッと顔を上げる。すると真那のお爺さんが俺を見て優しく微笑んだ。
「自分が大事にしていたものを、ここまで大切に想ってくれる人に巡り会えたんだからね。あの子もきっと幸せだったよ」
「……」
彼女と似た真っ直ぐな瞳で、真那のお爺さんは俺のことを見つめた。胸の中に浮かんでくるのは、夕暮れ色に染まるジャングルジムでいつも嬉しそうに話しをしていた真那の姿。
彼女は自分の発明を、まるで宝物でも見つけたかのようにいつも目を輝かせながら話してくれていた。
どんなくだらないことでも、人が想像しないような突拍子なことも、彼女が口にするとそれはとても楽しげに聞こえていたのだから不思議だった。
たぶんそんな彼女の発明を、そして生き様を一番近くで見ることができたのは自分だったのだろう。
そしてあの時の俺はそんな真那の姿を、これから先もずっと側で感じることができると思っていた。そう信じていた……
不意に目元までこみ上げてきた感情を声で誤魔化そうと、俺はゆっくりと口を開いた。
「僕は……結局真那に何もしてあげることができませんでした。彼女はいつも夢に向かって一生懸命で、その姿を見るだけで僕は随分と支えられました。夢を追う大切さも、好きなことに夢中になれる心も、真那を見ていると本当に多くのことを学ばせてもらった。でも自分は……いつも大切なことを教えてもらうばかりで、結局何一つ彼女の力にはなれなかった……」
続く言葉が思いつかず、俺は静かに目を瞑った。瞼の裏に甦るのは、いつも自分の先を歩く真那の後ろ姿。
ほんとうは、少しでもいいから彼女の前を歩いてみたかった。
真那が悩んだり辛くなったりした時は、自分が引っ張れるような存在になれるようにと。彼女がつまづいた時は自分が真っ先に手を差し伸べる存在になれるようにと。
でも、その手を握りしめる前に、彼女はこの世界から姿を消してしまった。
再びやってくるであろう真那との別れに、俺の指先が小刻みに震える。結局自分は、奇跡まで起こして現れてくれた真那に対して、また何もできずに後悔だけを残すのだろうか。
言葉を失いただ立ち尽くしていると、その沈黙を優しく埋めるかのように、真那のお爺さんがそっと口を開く。
「君がそう思ってくれているだけでも、あの子にとってはきっと幸せだろう。形あるものはやがて壊れる。けれど、大切な人の為に作ったという『想い』そのものはいつまでも残るものだよ。大丈夫だよ歩くん。君の中で今も真那は生きてる」
そう言って真那のお爺さんは立ち上がると、俺の右手にオルゴールをそっと託した。握りしめた小さな真那の想いには、初めて彼女と手を繋いだ時のような温もりが宿っていた。俺はゆっくりと指先を広げると、手のひらの上にあるオルゴールを見つめる。
「きっと真那はこのオルゴールを君にプレゼントすることで、何か伝えたかったことがあったはずだ。だから君もこうやって、わざわざこんな遠いところまで訪れにきてくれた。あの子が歩くんのことを大切に思う気持ちが、オルゴールの奏でるメロディのように君をこれからも幸せに導いてくれるはずだよ」
真那のお爺さんはそう言ってニコリと笑った。
真那が伝えたかったこと。彼女がどんな気持ちでこのオルゴールをプレゼントしてくれたのか、今の自分にはわからない。
それでも、彼女のお爺さんが言うように、真那のことだからきっと意味があったのだろう。だって彼女は、自分の作ったものにはいつも情熱を込めていたのだから。
真那のお爺さんは小さく息を吐き出すと、そのままゆっくりと椅子に腰をかけた。そして台の上に両腕を置くと黙り込んでしまう。
不思議に思った俺が声をかけようとした時、真那のお爺さんの肩がわずかに震えていることに気づいた。思わず言葉を飲み込んでしまった自分の前で、真那のお爺さんは老いた手で目元を拭うと、ゆっくりこちらを向いた。
「いやー情けない。歳を取るとどうも涙もろくなってしまうようでね。つい恥ずかしいところを見られてしまった」
そう言って真那のお爺さんは照れ隠しのように右手で頭をかいて微笑んだ。
「君のおかげで久しぶりに真那に会えたような気がしたよ……ありがとう、歩くん」