ガレージから一歩出ると、相変わらず容赦のない陽射しが俺たちを出迎えた。
 自分の気持ちとは裏腹なほど澄み切った空の下を歩いていると、子供たちが楽しそうに遊んでいる声が聞こえてきた。俺はあえて公園が視界に入らないようにしながら、ただ黙ったまま椿の前を歩く。

「……せっかくの休みだったのに、ごめんね」
 
 不意に背中越しから椿の声が聞こえてきて、俺は小さく息を吐き出す。

「別に椿が謝る必要ないだろ……」
 
 俺は覇気のない声でそう呟くと、「それに」と言って言葉を続ける。

「今日はあいつの……真那の一周忌だからな」

「……」
 
 俺の言葉に、椿からの返事はなかった。
 一周忌。口ではそう言ったものの、俺自身、あれから季節が四度も変わったなんて未だに実感が持てなかった。
 そんなことを思ってしまうほど、自分の心は、もうずっと忘れてしまっている。この世界には、時間が流れているということを。
 足下に向けていた視線をふと空の方へと向けると、いつか真那と一緒に見たことがある鳥が山の方へと飛んでいく。
 翼を広げて自由に空を舞うその姿を見ていると、何故か胸が無性に締め付けられるような気がしてしまい、俺はそっと瞼を閉じた。
 精一杯に翼を広げて、自分の夢を目指していた真那は、ある日突然その翼を奪われてしまった。
 一年前の夏のあの日、学校帰りに自転車でいつものように俺の家のガレージに向かっていった真那は、交差点で無茶な横断をしてきたバイクと激突してしまった。
 近くで事故を目撃していた人が急いで救急車を呼ぶも、到着する頃にはすでに真那の意識はなく、彼女は病院に搬送されるとすぐに息を引き取ってしまったのだ。
 それは、夢に向かって真っすぐ歩み続けた女の子にとってはあまりにもあっけなく、そして短過ぎる人生だった。
 
 どうして……真那が? 
 
 親父に事故のことを聞かされてすぐに病院に向かった俺だったが、病室の扉の前で立ち止まったまま中に入ることはできなかった。
 扉一枚隔て聞こえてくる、椿と彼女たちの両親が泣き崩れる声が、あまりにも痛々しくて、心が引き裂かれてしまいそうだったから。
 だから結局、俺は真那の最期の姿を見ることができなかった。
 信じたくなかったから。受け入れたくなかったから。
 俺にとって真那はいつも太陽みたいな人で、天真爛漫な女の子で、底抜けに元気で明るくて……だからそんな彼女が事故に遭ってこの世界から消えてしまうなんてありえないと。きっと真那のことだから、いつものようにガレージにやってきて、またあのうるさい音を鳴らしながら自分の好きなことに夢中になっているはずだと。
 真那の葬式に参列した帰りであっても、俺は頑にそんなことを思っていた。震える指先をきつく握りしめながらそんなことを願っていた。 
 たとえそれが、もう二度と見ることができない当たり前の景色だったとしても……

「ちゃんと……向き合おうと思って」
 
 不意に椿の声が聞こえてきて、「え?」と俺はその場で立ち止まって振り返った。すると同じように彼女も足を止める。

「私さ……お姉ちゃんがいなくなってから、ずっとそのことから逃げてた。私にとってお姉ちゃんは憧れで、太陽みたいな人だったから……どうしても、受けれられなくて……」

「……」
 
 ぽつりぽつりと雨粒が落ちるように、彼女の唇から言葉が溢れる。俺はその言葉に耳を傾けながら、少し顔を伏せている椿のことを見つめる。

「でも私がいつまでもこんな調子じゃダメだよね。お母さんもお父さんも辛いはずなのに、いつも通り自分に接してくれてる。歩も、歩のお父さんだって……。だから、そろそろ私も前を向かなきゃって思って」

 椿はそう言うと伏せていた顔をゆっくりと上げた。真那と似た綺麗な瞳が、俺の顔を静かに映す。

 俺は……
 
 椿の言葉に、どんな言葉を返したらいいのだろうと思いそっと視線を伏せた時、彼女がきつく握りしめた拳が僅かに震えていることに気付いた。そんな姿を見てしまうだけで、わかってしまう。椿は、自分の言葉以上に、姉の死と精一杯向き合おうとしているのだと。そのことが、痛いくらいに俺の胸にも伝わってくる。
 結局何一つ言葉が思いつかないまま黙っていると、ふっと優しい笑みを浮かべた椿が先に歩き始めた。俺はそんな彼女の後ろ姿を見つめる。
 自分よりもほんの数歩先にいる椿の背中を見ているだけで、なんだか俺だけが、違う世界に取り残されているような気がした。