「ほらやっぱり歩くんだ。もしかして一人なのかな?」
 
 そう言って明日香はにやにやとした笑みを浮かべると、意味深な視線を向けてくる。私がその視線の意味に気づきながらも黙っていると、耳元に顔を寄せてきた明日香が「チャンスだよ!」と嬉しそうに囁いた。

「でも……」

「だーいじょうぶだって! 茉希と陽菜には私から説明しておくから。ね?」
 
 明日香は小さくウィンクすると、急かすように私の背中を押してくる。

「ちょ、ちょっと明日香ったら……」

「ほらほら、早くしないと恋のチャンスが逃げちゃうよ!」
 
 えいッ、と何度も背中を押してくる友人に、私は諦めてため息をつくと、歩がいる方へと向かって一歩踏み出す。そしてそのまま歩へと近づいていく途中、チラリと明日香の方を振り返ると、彼女は「頑張ってこい!」と両手を振っている。
 もう、と頬を小さく膨らませた私は、再び前を向くと歩の背中を見た。誰かを探しているのか、それとも待ち合わせしているのかはわからないけれど、どうやら今は本当に一人のようだ。
 私は巾着を握っている両手にぎゅっと力を入れると、早まっていく呼吸を落ち着かせようと大きく息を吸う。
 なんだが、帯に締められた身体がさっきよりもキツく感じる。胸の奥で大きく太鼓を叩く心臓を、カランカランと響く下駄の音で誤魔化しながら、私は少し歩調を早めて歩の後を追った。
 提灯や屋台の光がそう見せるのか、少し前を歩く彼の背中は、なんだかいつもより大きく感じた。昔、一緒にお祭りに来た時は私とそんなに変わらなかったはずなのに、流れた年月の分だけ、彼の背丈と、私の気持ちは大きくなっていたようだ。
 私は、歩を見失わないように少しだけ早足で近づいていく。いつもなら気軽に話しかけることができるはずが、明日香たちにからかわれたせいなのか、なぜか妙に緊張してしまう。

 声を掛けたら、何を話そう。
 
 そんな考えばかりが、ぐるぐると頭の中を回ってしまう。けれど人混みに消えていきそうな歩の背中を見てこのままだといけないと思った私は、すっと短く息を吸った。

「歩!」
 
 祭りの喧騒の中を自分の声が駆け抜ける。その声に気づいた歩が目の前で静かに立ち止まった。

「椿……」
 
 きょろきょろと辺りを見回していた歩は、後ろにいる私のことに気付いて声を漏らす。振り返ってくれた彼に話しかけようとした時、私は口元まで出かかっていた言葉を一瞬喉の奥へと押し込んでしまう。
 なんとなく、歩の様子がいつもと違うような気がしたからだ。
 けれど呼び止めておいて何も話さないのもおかしいので、私は再び息を吸うと今度こそ口を開く。

「歩もお祭り来てたんだね」

「まあな……」
 
 歩はそう呟くと何故か気まずそうに目線を伏せた。そんな彼を不思議に思い、私は首を傾げる。すると沈黙を埋めるかのように、歩がぼそりと口を開いた。

「今日は……浴衣なんだな」

「え?」
 
 その言葉に、思わずカッと頬が熱くなったのがわかった。私は慌ててそれを隠そうと、歩の顔から目を逸らす。

「……」
 
 耳の奥で心臓の音が早鐘を打つのを感じながらも、私は「似合ってるかな?」と歩に聞いてみたかった。が、結局緊張と恥ずかしさのせいでどうしても声にすることができなかった自分は、代わりの言葉を口にする。

「歩は……誰と来てるの?」
 
 私がおずおずとした口調で尋ねると、歩は小さく息を吐き出した後、ぼそりと呟く。

「一人だよ。ちょっと祭りの雰囲気でも味わおうと思ってな」

「そうなんだ……」
 
 一人、という彼の言葉に、私の胸の奥がまた高鳴った。頭の中ではさっき聞いたばかりの明日香の声援がリフレインする。