一学期の終わりを告げる終業式もあっという間に終わり、待ち望んでいた夏休みが始まった。……が、同じく始まってしまった文化祭の準備は思っていたよりも本格的でハードなものだった。
「あつ……」
いつもの通学路。しゃわしゃわとうるさく鳴いている蝉の音をBGMに、俺は首筋につーっと流れた汗を右手の甲で拭う。
せっかくの夏休みだというのにこうやって制服を着ていつもの道を歩いていると、自分が学生生活で一番長い休暇に身を置いているという実感がまるでない。これじゃあ、いつも通り学校に通っているのと同じだ。
開始3日目にして、早くも俺の心は文化祭の準備に絶望し始めていた。それに、オルゴールの件もあるので気が気ではない。
やっとの思いで教室に到着すると、同じ班のメンバーの女子たちがすでに作業を進めていた。ダンボールを床に敷き詰めて、その上で何やら大量の画用紙に色を塗っている。
「マジかよ……」
見るからに面倒くさそうな作業に、思わず心の声が漏れた。すると俺が教室にやってきたことに気づいた班の女子が、「あ、おはよう」と声をかけてきた。そして俺が座る場所を指差すと、その前に画用紙の束を問答無用でばざっと置く。
「これが今日の工藤くんのノルマね」
「マジかよ……」
思わずまた同じ言葉を呟いてしまう。苦虫を噛んだような顔を浮かべる俺に、指示をしてきた班の女子は異議は受け付けないといわんばかりにニコリと笑う。
俺は諦めてため息を漏らすと、ご丁寧に座布団のような形に切り取られたダンボールが置いてある上へと座る。座り心地はもちろん、悪い。
「で、今日はこれに色を塗っていけばいいのか?」
俺があからさまに嫌そうな表情を浮かべながら尋ねると、束になった画用紙を持ち上げてみた。百均とかで売っている画用紙の、ゆうに三倍の量はありそうだ。
「うん。レンガ模様にして教室の壁に貼るんだって」
班の女子はそう言うと、茶色い塗料がたっぷりと入った大きな缶を渡してきた。ちゃぷんと音を立てたその缶には、すでに人数分の大きな筆が刺さっている。
「……」
無言で筆を手に取った俺は、目の前にある画用紙にとりあえず適当に色を塗っていく。真っ白な紙に茶色が染み渡っていくほど、自分の心も滅入っていくような気がした。
これだったら茶色の画用紙を買ったほうが早かったんじゃないか? という素直な疑問は、隣に座っている女子が教えてくれた「レンガっぽい風合いを見せたいから」という謎のこだわりによって簡単に打ち消されてしまう。
決まったものは仕方ない、と無理やり自分の心を納得させるかのように力任せに色を塗っていると、慌ただしい足音と共に同じ班の真一が姿を現した。
「わりぃ! 朝練で遅れた」
そう言って自分たちに向かって大袈裟に頭を下げながら、真一は敷かれたダンボールの上にどかっと座った。俺はそんな真一を一瞥した後、教室の後ろの方を振り返る。そこには随分前から作業している同じくサッカー部の和輝の姿。俺は再び視線を真一へと戻すと、怪しむように目を細める。
「マジで朝練で遅れたんだって! 俺今日、お片づけ当番だったし」
「なんだよその小学生みたいな変な当番」
疑われたことに動揺したのか、真一が変なことを言ってきた。その言葉を聞いて班の女子たちがクスクスと肩を揺らしている。もちろん俺も。
「歩お前、今お片づけ当番バカにしただろ。この当番が無かったら我が校のサッカー部は……」
「はいはい、わかったって。とりあえずこれ、今日のお前のノルマだから」
そう言って俺は真一の目の前に置いていた画用紙に、こっそりと自分の画用紙も混ぜて彼に渡す。
「なんか俺だけ量多くない?」
「そうか? みんな同じぐらいだぞ」
「いやいやいや、俺だけ辞書みたいに分厚いって」
「あー、俺らは先に始めてたからな。もう結構塗り終わったんだよ」
ほんとかよ、と目をキョロキョロとさせて班のメンバーの手元を見る真一。そんな彼を横目に、俺は黙って作業に戻りながら声を抑えて笑うのを我慢していた。
「マジかよ……」と絶望感をたっぷりと滲ませた声で真一は呟いた後、しぶしぶ目の前にある筆を手に取ると画用紙に色を塗り始める。
再び班の空気が静かになったと思いきや、不意に真一が「あっ」と何かに気づいたような声を漏らした。
「ついに歩も時計買ったんだな!」
「え?」
その言葉に顔を上げると、真一が羨ましそうな顔をしながら人差し指を俺が付けている腕時計に向けてくる。
「いいなー、それ。新しいデザインのやつだろ? この前雑誌に載ってたぞ」
真一は人懐っこい笑顔を浮かべたまま、腕時計へと顔をぐっと近づける。時計は今この瞬間も自分たちが未来へ進んでいることを教えるかのように、一秒ずつ時を刻んでいた。
「結構高かったんじゃないか?」
「あー……そうだな」
俺は言葉を濁すと、チラリと椿のいる方を見た。文化祭実行委員の彼女は何やら忙しそうに他の班に指示を出しているところだった。と、その時ふとこちらを向いた彼女と目が合い、椿がニコリと笑うのが見えた。そんな彼女に、俺も小さく微笑む。そしてそのまま作業に戻ろうとすると、真一がニヤニヤとしながら自分のことを見ていることに気づいた。
「ほんと仲良いよなー。お前ら」
「……」
何を期待しているのか、そんな言葉で茶化してくる真一に「黙れ」と俺は端的に反論すると、手元に残っていた画用紙の半分を手に取り、彼のノルマを勝手に増やしておいた。
「あつ……」
いつもの通学路。しゃわしゃわとうるさく鳴いている蝉の音をBGMに、俺は首筋につーっと流れた汗を右手の甲で拭う。
せっかくの夏休みだというのにこうやって制服を着ていつもの道を歩いていると、自分が学生生活で一番長い休暇に身を置いているという実感がまるでない。これじゃあ、いつも通り学校に通っているのと同じだ。
開始3日目にして、早くも俺の心は文化祭の準備に絶望し始めていた。それに、オルゴールの件もあるので気が気ではない。
やっとの思いで教室に到着すると、同じ班のメンバーの女子たちがすでに作業を進めていた。ダンボールを床に敷き詰めて、その上で何やら大量の画用紙に色を塗っている。
「マジかよ……」
見るからに面倒くさそうな作業に、思わず心の声が漏れた。すると俺が教室にやってきたことに気づいた班の女子が、「あ、おはよう」と声をかけてきた。そして俺が座る場所を指差すと、その前に画用紙の束を問答無用でばざっと置く。
「これが今日の工藤くんのノルマね」
「マジかよ……」
思わずまた同じ言葉を呟いてしまう。苦虫を噛んだような顔を浮かべる俺に、指示をしてきた班の女子は異議は受け付けないといわんばかりにニコリと笑う。
俺は諦めてため息を漏らすと、ご丁寧に座布団のような形に切り取られたダンボールが置いてある上へと座る。座り心地はもちろん、悪い。
「で、今日はこれに色を塗っていけばいいのか?」
俺があからさまに嫌そうな表情を浮かべながら尋ねると、束になった画用紙を持ち上げてみた。百均とかで売っている画用紙の、ゆうに三倍の量はありそうだ。
「うん。レンガ模様にして教室の壁に貼るんだって」
班の女子はそう言うと、茶色い塗料がたっぷりと入った大きな缶を渡してきた。ちゃぷんと音を立てたその缶には、すでに人数分の大きな筆が刺さっている。
「……」
無言で筆を手に取った俺は、目の前にある画用紙にとりあえず適当に色を塗っていく。真っ白な紙に茶色が染み渡っていくほど、自分の心も滅入っていくような気がした。
これだったら茶色の画用紙を買ったほうが早かったんじゃないか? という素直な疑問は、隣に座っている女子が教えてくれた「レンガっぽい風合いを見せたいから」という謎のこだわりによって簡単に打ち消されてしまう。
決まったものは仕方ない、と無理やり自分の心を納得させるかのように力任せに色を塗っていると、慌ただしい足音と共に同じ班の真一が姿を現した。
「わりぃ! 朝練で遅れた」
そう言って自分たちに向かって大袈裟に頭を下げながら、真一は敷かれたダンボールの上にどかっと座った。俺はそんな真一を一瞥した後、教室の後ろの方を振り返る。そこには随分前から作業している同じくサッカー部の和輝の姿。俺は再び視線を真一へと戻すと、怪しむように目を細める。
「マジで朝練で遅れたんだって! 俺今日、お片づけ当番だったし」
「なんだよその小学生みたいな変な当番」
疑われたことに動揺したのか、真一が変なことを言ってきた。その言葉を聞いて班の女子たちがクスクスと肩を揺らしている。もちろん俺も。
「歩お前、今お片づけ当番バカにしただろ。この当番が無かったら我が校のサッカー部は……」
「はいはい、わかったって。とりあえずこれ、今日のお前のノルマだから」
そう言って俺は真一の目の前に置いていた画用紙に、こっそりと自分の画用紙も混ぜて彼に渡す。
「なんか俺だけ量多くない?」
「そうか? みんな同じぐらいだぞ」
「いやいやいや、俺だけ辞書みたいに分厚いって」
「あー、俺らは先に始めてたからな。もう結構塗り終わったんだよ」
ほんとかよ、と目をキョロキョロとさせて班のメンバーの手元を見る真一。そんな彼を横目に、俺は黙って作業に戻りながら声を抑えて笑うのを我慢していた。
「マジかよ……」と絶望感をたっぷりと滲ませた声で真一は呟いた後、しぶしぶ目の前にある筆を手に取ると画用紙に色を塗り始める。
再び班の空気が静かになったと思いきや、不意に真一が「あっ」と何かに気づいたような声を漏らした。
「ついに歩も時計買ったんだな!」
「え?」
その言葉に顔を上げると、真一が羨ましそうな顔をしながら人差し指を俺が付けている腕時計に向けてくる。
「いいなー、それ。新しいデザインのやつだろ? この前雑誌に載ってたぞ」
真一は人懐っこい笑顔を浮かべたまま、腕時計へと顔をぐっと近づける。時計は今この瞬間も自分たちが未来へ進んでいることを教えるかのように、一秒ずつ時を刻んでいた。
「結構高かったんじゃないか?」
「あー……そうだな」
俺は言葉を濁すと、チラリと椿のいる方を見た。文化祭実行委員の彼女は何やら忙しそうに他の班に指示を出しているところだった。と、その時ふとこちらを向いた彼女と目が合い、椿がニコリと笑うのが見えた。そんな彼女に、俺も小さく微笑む。そしてそのまま作業に戻ろうとすると、真一がニヤニヤとしながら自分のことを見ていることに気づいた。
「ほんと仲良いよなー。お前ら」
「……」
何を期待しているのか、そんな言葉で茶化してくる真一に「黙れ」と俺は端的に反論すると、手元に残っていた画用紙の半分を手に取り、彼のノルマを勝手に増やしておいた。