週が開けると、夏の暑さはいっそう厳しさを増した。
 いまだクーラーではなく扇風機しか付いていない教室の中はもはや蒸し風呂状態で、俺はシャツの第二ボタンまでを外すと、胸元を掴んでパタパタとあおぐ。目の前では自分よりも暑そうにしている真一がシャツのボタンを全開にして、中に着ているTシャツを掴んで同じようにパタパタとあおいでいた。

「セクシーだろう?」

「……うるせーよ」
 
 何のアピールなのか、こちらに向かってTシャツをチラチラとめくり上げてくる真一の顔を、俺は変質者かはたまた犯罪者でも見るような目で睨んだ。この暑さの中、さすがにいつものように真一の相手をすることはできない。それに頭の中は、真那との約束のことでいっぱいだった。
 真那とは先日、彼女がやりたかったことを俺が叶えると大見得きって約束したものの、肝心の叶えるべきことがまったく浮かばない。
 発明品の材料を集めるとかならまだしも、『女の子らしいこと』という抽象的すぎる願いごとは、男の俺からすればまったくの未知の領域だった。
 しかも相手は真那だ。その女の子らしいという内容も、普通の女の子と違うような気もする。それに、時間も限られている。
 会えるのは週に一度、しかもたった10分間だけ。
 そんなわずかな時間の中で、叶えられることがどれだけあるのかわからない。けれど、それでも俺は真那の力になりたいし、そして何より、彼女に会いたい。
 そんなことを考えている間も目の前に座っている友人は、飽きもせずにずっとふざけていたが、さすがに限界になったようで「あちぃ」と声を漏らしながら机の上に上半身を預けていた。

「おい歩……今日の最高気温36度らしいぞ」
 
 そう言って真一は犬が体温調整するみたいにだらりと舌を出して一人うーうーと唸っている。

「だったらこの調子だともうすぐ40度だな」

「マジかよ……そこまで暑くなったら、さすがの俺も試合中に溶けるぞ」
 
 真一はそう言うと、この世の終わりだといわんばかりの悲痛そうな表情を浮かべる。ほんとこいつは感情表現豊かだなと変なところで感心していると、何か良いことでも閃いたのか、「あッ」と声を漏らした真一がガバッと上半身を起こした。

「そうだ歩、海だよ海!」

「は? 何だよ急に」

「いやーこんなけ暑いと海に遊びに行くしかないっしょ! それに……」
 
 先ほどまでの死にかけていた姿はどうしたのか、そこで言葉を止めた真一は嬉々とした表情を浮かべながらぐるりと教室の中を見渡す。そして今度は下心がたっぷりと溢れた顔を俺に向けてきた。

「目の保養にもなるぞ!」

「……」
 
 誰かクラスの女子でも誘うつもりなのか、うーうー唸っていた時とは比べものにならないような元気な声でそんなことを言ってくる真一。 
 俺はというと、そんな彼に向かってこの暑さも忘れるような冷たい視線を送る。が、一人スイッチが入った相手は止まらない。

「な、歩だったら誰誘う? やっぱ椿ちゃんか? 見たいのは椿ちゃんか?」

「何勝手に話し進めてんだよ。誰も誘うわないし、そもそも俺は行かないって」

「マジかよ! そんなノリ悪いこと言うなよ歩、チャンスはこの季節しかないんだぞ!」
 
 お前はそれでも健全な男子高校生かと意味不明な言葉を付け足してきた相手を、俺は「はいはい」と言って軽く受け流す。
 そしてそのまま視線を話題に上がった人物の方へとふと移すと、椿はどこか浮かない表情を浮かべながら友人たちと話していた。おそらく、間もなく始まろうとしている自分主導のホームルームにプレッシャーでも感じているのだろう。

「そういや椿ちゃんと和輝のやつ文化祭の実行委員に選ばれたけど、出し物何にするんだろうな?」

 ふとそんなことを口にしてきた真一に、俺は「さあな」と返事を返す。

「とりあえず楽な出し物だったら何でもいいよ」
 
 俺はそう言うと去年の文化祭のことを思い浮かべた。あの時は誰が言い出したのかわからないが、問答無用でクラスの出し物はミュージカルと決まってしまい、夜な夜な遅くまで学校に残って練習をする羽目になってしまったのだ。まさに自分にとって、最悪の文化祭だった。
 
 ……練習が必要なものだけは絶対に無しだな。
 
 そんなことを一人考えていた時、無駄なことをよく閃く真一が「そうだ!」と嬉しそうに言ってきた。

「もし演劇とかになったらさ、俺と歩で『美女と野獣』とかどうよ?」

「なんで文化祭で体張って罰ゲームしないといけないんだよ。やるならお前一人でやれって」

「いやいやいや、俺一人だと誰が野獣役するんだよ」

 お前が美女かよ、と思わずツッコミそうになった時、頭上からチャイムの音が鳴り響いて会話は強制的に終了された。ガヤガヤと賑やかだった教室の空気が、チャイムの音によって徐々に静かになっていく。
 そんな空気を感じながら、俺は教卓の方へと向かっていく椿と和輝の後ろ姿をぼんやりと眺めていた。