やり残してしまったこと。そして、伝えることができなかったこと。
 俺にとってそれらは、真那が亡くなったしまったあの日に、この先永遠に満たされることなくこの心に刻まれてしまった。
 俺は言葉にしてしまいそうなそんな気持ちをグッと唾と一緒に飲み込むと、代わりに彼女と同じ言葉を口にする。

「真那はその……やり残したこととかないのかよ?」
 
 沈黙が耐えられなかったとはいえ、言った直後、一体自分は何を聞いているんだと激しく後悔した。
 けれど俺の言葉を気にするわけでもなく、「そりゃもちろん色々あるけどさー」と彼女は間の抜けたような声を漏らす。

「しいて言えば……もっと女の子らしいことしとけば良かったなー、とか?」

「女の子らしいこと?」

 唐突に飛び出してきた真那の言葉に、俺は一瞬首を傾げる。

「そ。私ほとんどこのガレージで過ごしてたからあんまり遊びに行ったこともないし、それにほら、恋愛だってしたことないでしょ?」

「したことないでしょ? って俺に聞かれてもな……」

 俺はそんな彼女の言葉を聞きながら、動揺を隠すようにわざとらしく咳払いをする。そんな自分を、何か言いだけな表情を浮かべながら真那がじーっと見ていた。

「……何だよ?」

 まるで自分の本心を探り当てようとするかのようなその視線に、俺は目を細めて尋ねた。すると真那はふっと一瞬柔らかな笑みを浮かべた後、「何もないよ」と言って小さく首を振った。その仕草が何となく、椿と似ているなと思った。

「あーあ。美人薄命っていう言葉はほんとだったんだねー。これだったらもっと他のことにも目を向けておくべきだった」

「……」

 どこまで本音なのかはわからないけれど、真那は空を見上げてそんなことを言った後、一人大きなため息をついていた。
 俺はそんな彼女の言葉を聞きながら、無意識に握った拳にぎゅっと力を込める。

「だったらさ……」
 
 ぼそりと呟いた自分の言葉に、真那が「え?」と再びこちらを向いた。俺はそれを合図にするかのようにすっと短く息を吸い込むと、決意と一緒に言葉を吐き出す。

「俺が叶えるよ……真那がしてみたかったこと」
 
 言葉にしてみると、それは思った以上に恥ずかしくて、俺は思わず真那の顔から視線を逸らしてしまう。すると視界の隅でポカンとした表情を浮かべていた彼女が、突然肩を震わせてクスクスと笑い始めた。

「…………」
 
 驚かれることはあっても、まさか笑われるとは思わなかった。
 俺はこの状況をどう対処すればいいのかわからず、とりあえず「何で笑うんだよ?」という意味を込めて彼女の顔を睨む。するとちゃんとその意味を受け取った真那は、「ごめんごめん」と言いながら指先で目にたまった涙を拭った。

「まさかあのちっちゃかった歩に、そんなキザな言葉を言われる日がくるなんて思わなかったからさ」

「……」
 
 一体いつの話しをしてるんだよ、という意味も加えて俺はさらに目を細めた。が、たしかに真那が言う通り、柄にもない言葉を言ってしまったのは事実なので、恥ずかしくなった俺は我慢できずに目を逸らしてしまう。……情けない話しだ。
 そんなことを思い、思わず小さくため息を漏らすと、まるで幼子に話しかけるかのような口調で真那が口を開く。

「そっかそっか。私の願いを歩が叶えてくれるのかー」

「あのな、俺は本気で……」
 
 なんだか小バカにされているような気がしてきた俺は、少しムッとした口調で口を開いた。するとそれを遮るかのように、真那が明るい声で言う。

「わかってるよ。だから嬉しいの。歩が私のことを思ってそんな言葉を言ってくれたことが」
 
 真那はそう言って嬉しそうに、そして心なしか珍しく照れたような笑みを浮かべた。そんな彼女の笑顔を見て、俺の心臓が思わずトクンと音を立てる。やっぱり俺は、今でも真那のことが……
 そんなことを思って再び強く拳を握った時、ガレージに背を向けて澄んだ空を見上げた真那が静かに呟く。

「じゃあ今度は私の番だね」
   
「え?」
 
 彼女の言葉に間の抜けたような声を漏らすと、真那はその大きな瞳に俺の顔を映した。そして俺の記憶と何一つ変わらない笑顔を浮かべながらこう言った。
「期待して待ってるから!」、と。