高校に入学してから最初の春も過ぎて、定期テストも何とか無事に乗り越えた頃、俺が家に帰るとガレージにはまたいつもの『あの音』がうるさく鳴り響いていた。
「なあ……」
普段の声量で口を開けば、俺の声は一瞬にしてドリルの音によってかき消されてしまう。その音を操る相手といえば、目の前にある鉄板に穴を開けることに夢中だ。
そんな相手の後ろ姿に呆れながら俺はため息をつくと、今度は吐き出した以上の空気を思いっきり吸い込む。
「おいッ!」
ビクン、と俺の声に合わせて相手の肩が小さく震えた。直後、けたたましく鳴り響いていたドリル音が止む。
「あ、おかえり歩! 帰ってたんだ」
「おかえり、じゃないって。あのな……何度も言ってるけどここは俺ん家だからな」
俺はそう言うと再びため息をついた。けれど、作業着姿の相手はそんな俺を見て何故かニコリと笑う。
「もちろんわかってるよ! 今日もお邪魔してます」
屈託のない笑顔を浮かべたままペコリと頭を下げてきた人物の名は、篠峰真那。年は俺より一つ上で、だいたい毎日ここにいる。
「あれ、そういえば親父は?」
「あー、なんかお隣さんの車の調子がおかしいから見てくるってさっき出て行ったよ」
「そっか」と俺は軽く返事をすると、ガレージの中をぐるりと見渡した。壁にびっしりと吊るされた名前も知らない機材や、棚に所狭しと並べられた塗料やスプレー缶。
車がゆうに3台は駐めることができるこのガレージで、俺の父親は個人経営の整備士の仕事をやっている。
「歩のお父さんが戻ってくるまでは私が店番頼まれてるの」
「え⁉︎ それって大丈夫なのかよ?」
あからさまに不安げな表情を浮かべてそんなことを言えば、「何よ」と相手は不満そうにムッと頬を膨らませる。
「こう見えてもこの前佐藤さんのバイク直したのは私なんだからね!」
えっへんと言わんばかりに両手を腰につけて胸を逸らす真那。そんな彼女の動きに合わせて左右に括った長い髪も揺れる。
ここで変に首を突っ込んでしまうと後がややこしくなることは百も承知なので、俺は「はいはい」と適当に受け流す。
「あー、その反応は信じてないだろ!」
「信じてます信じてます。それはもう心の底から」
棒読みでそんなことを言えば、「コイツっ!」と真那が手元にあったスパナをわざとらしく握りしめてきたので、俺は慌てて「やめろって!」と両手をあげて直ちに降参する。直後、真那も俺も同時にぷっと吹き出した。いつも通りの光景だ。
真那は近所に住んでいる俺の幼なじみだ。
彼女の父親と俺の父親は大学時代からの付き合いだったらしく、互いに車が趣味ということもあってか、真那の父親は昔からよくこのガレージに遊びに来ていた。その繋がりで俺も幼い頃から真那のことを知っていた。そして彼女が、とんだ問題児だということも。
女の子といえばままごととかピアノとかに興味を持ちそうな年頃に、真那は何故か機械いじりに興味を持ってしまい、ここに来るたびによく工具やパーツをおもちゃ代わりにして遊んでいた。
祖父の影響があるとかそんな話しをチラッと聞いたこともあるが、どんな事情があるにせよ、自分とそう歳の変わらない女の子が嬉しそうに工具を握りしめている姿というのは、幼い頃の俺の目には随分と奇異に映った。……まあ、それは今でも変わらないのだけれど。
が、そんな真那の機械いじりはどうやら遊びのレベルでは飽き足らなかったようで、みるみるうちにその腕を上げていった。
今では俺の父親と一緒に車やバイクの整備をしたり、空いた時間にはガレージにいつの間にか用意されていた彼女専用の作業机でいつも何か作っている。わりと有名な女子校に通っている上、制服姿で大人しくしていれば人目を引くほどの容姿をしているのに、その辺りには無頓着。
ちなみにそんな彼女の口癖は、「いつか私は偉大な発明王になる!」という少年マンガにでも出てきそうなことをよく言っている。
「あ、思い出した! 歩ちょっとこっちこっち」
突然ガレージに賑やかな声が響いたと思ったら、真那が嬉しそうな足取りで自分の作業机と向かっていく。軽快なその後ろ姿とは裏腹に、俺の心は妙に落ち着かない。
だいたいこんな流れになった時は、ろくなことが起こらないのだが……
「じゃじゃーん! どうこの『手袋』? 凄くない⁉︎」
そう言って真那が机の引き出しの中から取り出しのは、俺が頭にイメージしていた手袋とはかけ離れたものだった。
かろうじて指を通すところが10本あることは確認できるものの、それ以上の数の配線が何故か手袋から飛び出しているのだ。しかも、手袋とは言いつつ素材も金属っぽいし。
「何だよこれ……」と半ば呆然としながら彼女が手に持っている手袋もどきを見つめていると、真那が自信たっぷりな口調で言う。
「これは私の7つ目の大発明、『血糖値が測れる手袋』! これを両手に通すだけで今日のあなたの血糖値がわかります」
「そんな星占いみたいに言わなくていいって。だいたいなんで手袋にそんな機能がいるんだよ……」
なんてことを呆れた口調で言えば、相手は何故かそれには答えずニヤリと不気味に笑う。
「まあまあそう固いことは言わず、とりあえずはめてみてちょ」
「は⁉︎ 俺は嫌だって! どうせこの前みたいに電気流れたりするんだろ」
「なッ、君は失礼な助手だなー。あれはちょっと失敗しただけで、今回のは本物です!」
「だから嫌だって! それに俺がいつから助手に……って、おい! やめろ近づくな!」
嫌だという意思表示で両手を上げたつもりが、何を勘違いしたのか、「えいッ」と真那は嬉しそうに勝手に手袋をはめてきた。
その瞬間俺は慌てて手袋を脱ごうとしたが時すでに遅しで、ピリッと静電気のようなものを指先に感じた直後、ガレージには俺の悲鳴が響き渡った。
「なあ……」
普段の声量で口を開けば、俺の声は一瞬にしてドリルの音によってかき消されてしまう。その音を操る相手といえば、目の前にある鉄板に穴を開けることに夢中だ。
そんな相手の後ろ姿に呆れながら俺はため息をつくと、今度は吐き出した以上の空気を思いっきり吸い込む。
「おいッ!」
ビクン、と俺の声に合わせて相手の肩が小さく震えた。直後、けたたましく鳴り響いていたドリル音が止む。
「あ、おかえり歩! 帰ってたんだ」
「おかえり、じゃないって。あのな……何度も言ってるけどここは俺ん家だからな」
俺はそう言うと再びため息をついた。けれど、作業着姿の相手はそんな俺を見て何故かニコリと笑う。
「もちろんわかってるよ! 今日もお邪魔してます」
屈託のない笑顔を浮かべたままペコリと頭を下げてきた人物の名は、篠峰真那。年は俺より一つ上で、だいたい毎日ここにいる。
「あれ、そういえば親父は?」
「あー、なんかお隣さんの車の調子がおかしいから見てくるってさっき出て行ったよ」
「そっか」と俺は軽く返事をすると、ガレージの中をぐるりと見渡した。壁にびっしりと吊るされた名前も知らない機材や、棚に所狭しと並べられた塗料やスプレー缶。
車がゆうに3台は駐めることができるこのガレージで、俺の父親は個人経営の整備士の仕事をやっている。
「歩のお父さんが戻ってくるまでは私が店番頼まれてるの」
「え⁉︎ それって大丈夫なのかよ?」
あからさまに不安げな表情を浮かべてそんなことを言えば、「何よ」と相手は不満そうにムッと頬を膨らませる。
「こう見えてもこの前佐藤さんのバイク直したのは私なんだからね!」
えっへんと言わんばかりに両手を腰につけて胸を逸らす真那。そんな彼女の動きに合わせて左右に括った長い髪も揺れる。
ここで変に首を突っ込んでしまうと後がややこしくなることは百も承知なので、俺は「はいはい」と適当に受け流す。
「あー、その反応は信じてないだろ!」
「信じてます信じてます。それはもう心の底から」
棒読みでそんなことを言えば、「コイツっ!」と真那が手元にあったスパナをわざとらしく握りしめてきたので、俺は慌てて「やめろって!」と両手をあげて直ちに降参する。直後、真那も俺も同時にぷっと吹き出した。いつも通りの光景だ。
真那は近所に住んでいる俺の幼なじみだ。
彼女の父親と俺の父親は大学時代からの付き合いだったらしく、互いに車が趣味ということもあってか、真那の父親は昔からよくこのガレージに遊びに来ていた。その繋がりで俺も幼い頃から真那のことを知っていた。そして彼女が、とんだ問題児だということも。
女の子といえばままごととかピアノとかに興味を持ちそうな年頃に、真那は何故か機械いじりに興味を持ってしまい、ここに来るたびによく工具やパーツをおもちゃ代わりにして遊んでいた。
祖父の影響があるとかそんな話しをチラッと聞いたこともあるが、どんな事情があるにせよ、自分とそう歳の変わらない女の子が嬉しそうに工具を握りしめている姿というのは、幼い頃の俺の目には随分と奇異に映った。……まあ、それは今でも変わらないのだけれど。
が、そんな真那の機械いじりはどうやら遊びのレベルでは飽き足らなかったようで、みるみるうちにその腕を上げていった。
今では俺の父親と一緒に車やバイクの整備をしたり、空いた時間にはガレージにいつの間にか用意されていた彼女専用の作業机でいつも何か作っている。わりと有名な女子校に通っている上、制服姿で大人しくしていれば人目を引くほどの容姿をしているのに、その辺りには無頓着。
ちなみにそんな彼女の口癖は、「いつか私は偉大な発明王になる!」という少年マンガにでも出てきそうなことをよく言っている。
「あ、思い出した! 歩ちょっとこっちこっち」
突然ガレージに賑やかな声が響いたと思ったら、真那が嬉しそうな足取りで自分の作業机と向かっていく。軽快なその後ろ姿とは裏腹に、俺の心は妙に落ち着かない。
だいたいこんな流れになった時は、ろくなことが起こらないのだが……
「じゃじゃーん! どうこの『手袋』? 凄くない⁉︎」
そう言って真那が机の引き出しの中から取り出しのは、俺が頭にイメージしていた手袋とはかけ離れたものだった。
かろうじて指を通すところが10本あることは確認できるものの、それ以上の数の配線が何故か手袋から飛び出しているのだ。しかも、手袋とは言いつつ素材も金属っぽいし。
「何だよこれ……」と半ば呆然としながら彼女が手に持っている手袋もどきを見つめていると、真那が自信たっぷりな口調で言う。
「これは私の7つ目の大発明、『血糖値が測れる手袋』! これを両手に通すだけで今日のあなたの血糖値がわかります」
「そんな星占いみたいに言わなくていいって。だいたいなんで手袋にそんな機能がいるんだよ……」
なんてことを呆れた口調で言えば、相手は何故かそれには答えずニヤリと不気味に笑う。
「まあまあそう固いことは言わず、とりあえずはめてみてちょ」
「は⁉︎ 俺は嫌だって! どうせこの前みたいに電気流れたりするんだろ」
「なッ、君は失礼な助手だなー。あれはちょっと失敗しただけで、今回のは本物です!」
「だから嫌だって! それに俺がいつから助手に……って、おい! やめろ近づくな!」
嫌だという意思表示で両手を上げたつもりが、何を勘違いしたのか、「えいッ」と真那は嬉しそうに勝手に手袋をはめてきた。
その瞬間俺は慌てて手袋を脱ごうとしたが時すでに遅しで、ピリッと静電気のようなものを指先に感じた直後、ガレージには俺の悲鳴が響き渡った。