昨日の不思議な体験がやはり嘘だったのではないかと思うほど、学校の授業は平凡退屈なままいつも通り進んでいった。
 昼休みが過ぎ、やっと5時間目が終わって最後のホームルームを迎えた頃には、教室の空気もどことなく緩み始めていた。

「今日のホームルームでは二学期の文化祭に向けて実行員を決めたいと思います」
 
 窓の方をぼんやり見ていたら、担任の藤原(ふじわら)の声が聞こえてきた。その後カツカツと何やら黒板にチョークで記す音。
 そんな声と音を聞き流しながら、俺の頭の中を支配していたのは、やっぱり昨日の出来事だった。

 本当に、真那ともう一度会うことができるのだろうか?
 
 俺はそんなことを思うと、ズボンのポケットに左手を入れて、真那からもらったオルゴールの感触を確かめる。
 ぎゅっと握りしめるとそれは確かな硬さを持っていて、ちゃんとこの世界に存在することが伝わってくる。夢じゃない。昨日俺はあの公園で本当に真那と出会ったのだ。そして彼女は俺に約束したのだ。だから、次も絶対に……
 自分に言い聞かせるようにそんなことを心の中で呟いていた時、再び藤原の声が聞こえてきた。

「それでは実行員のペアをくじ引きで決めたいと思います。先生がくじを作ってきたので、順番に回して一つずつ引いてください」
 
 その言葉に、クラスメイトたちが一斉にざわつき出す。中には悲鳴なのか、雄叫びなのかよくわからない声を発してる奴もいる。俺はといえば、めんどくさい展開にあからさまに大きなため息をつく。どうせするなら挙手制にして、やりたい奴にやらせればいいのに。
 そんなことを愚痴ったところで担任が決めたことを覆せるわけでもなく、空き缶に大量の割り箸がささったいかにもお手製感たっぷりのくじは、ベルトコンベアーに乗せられたように窓際の席から順に流れていく。チラリと黒板を見ると、『文化祭実行委員』と大きく記された下に、『12』と『34』と数字が書かれているので、どうやらあの二つの数字のどちらかを引いてしまうとハズレらしい。

「ラッキー! 俺じゃなかった」「良かった! 私じゃない!」「あっぶねー、1つ違いで当たるとこだった……」
 
 次々に発せられる嬉しそうな声を聞いているとそれだけで憂鬱になってきた。いくら当たる確率が低いとはいえ、このまま誰も当たらず俺のところまで回ってきてしまうのは危険だ。ここは早いところ誰かが当たってくれた方がありがたいのだが……
そんなことを思っていた時、聞き覚えのある声で小さな悲鳴が聞こえてきた。その直後、視界の隅で小さく手があがったのが見える。

「12番……私です」
 
 小声でそう言いながら恐る恐る手を挙げていたのは、前の方に座っている椿だった。彼女は恥ずかしそうに顔を伏せている。

「よし、じゃあ一人目は篠峰さんで決定ね」
 
 落ち込む椿とは反対に担任は嬉しそうな声でそう言うと、チョークで軽快な音を立てながら黒板に椿の名前を書いていく。それを見て、俺は内心ほっとする。
 できれば実行委員なんてポジションは避けたいところだが、これで万が一当たってしまったとしても相手が椿ならやりやすい。他のクラスメイトだったら面倒なことなどは頼みにくいが、気の知れた相手だったらこっちも楽だ。
 そんなことを思いながらチラッと椿の方を見た時、彼女が助けを求めるような目でこちらを見ていることに気づいた。なので俺は小さく口パクで「ドンマイ」とだけ伝える。

「よっしゃー! 俺33番でぎりぎりセーフ! ほら次、歩の番だぞ」
 
 危機を回避できたことがよっぽど嬉しいのか、目の前で真一が立ち上がりながら俺にくじを渡してくる。

「相方椿ちゃんなんだし、ここは夫婦揃ってもう一人は歩で決定だな!」

「誰が夫婦だよ……」
 
 真一の言葉で教室中にドッと笑いが起こる中、俺は呆れた表情を浮かべると奪うようにくじを受け取る。視界の隅では間接的に被害を受けてしまった椿が、顔を赤くして頭を伏せていた。
 俺は何の躊躇もせずに缶の手前に入っている割り箸を一本取り出す。どうせこういうのは、悩めば悩むほど結果が良くならないに決まっている。俺は引き抜いた割り箸の先端を上にすると、そこに記されている数字を見た。

「さんじゅう……いち」
 
 3という数字が見えた瞬間ヒヤッとしたが、どうやら俺も厄介ごとを免れることができたらしい。目の前ではそんな俺の結果を知った真一が、わざとらしく残念そうに肩を落としている。

「なーんだ、歩も当たらなかったのか」
 
 つまらなさそうに余計なことをぼやく真一に、「何期待してんだよ」と俺は目を細めて言った後、手に持っていたくじ引きを後ろの席へと回した。とりあえずこれで今年の文化祭は面倒なことに巻き込まれなくて済みそうだ。
 早く席に座りなさいと怒られながらクラスの笑いを取っている真一を横目にそんなことを思っていると、今度は後ろの方から和輝の声が聞こえてきた。

「34番、俺です」
 
 ハッキリとした声でそう言った彼は、椿と違って堂々とその手を挙げていた。

「じゃあこのクラスの文化祭実行委員は篠崎さんと松本くんで決定ね。今度のホームルームでは出し物を決めるから、その時は二人に司会進行をお願いします」
 
 それでは実行員委員をやってくれる二人に拍手、という藤原の言葉を合図にパチパチと賑やかな音が響いた。俺も形だけ両手を動かすと、くじによって選ばれた二人を見比べる。
 椿と和輝。まあバランスは取れていると思うので悪くはないだろう。