「おはよ、歩」
 
 翌日、いつものように教室に入ると、扉近くの席でクラスメイトと喋っていた椿と目が合った。
「おう」と返事を返せば、椿は側にいる友人に小さく手を振った後、俺の方へとやってくる。

「昨日はありがと。お姉ちゃんも歩が来てくれて喜んでくれてたと思う」

 少し顔を伏せながら話す椿の言葉に、俺の心臓が思わずドクンと跳ねる。
 その瞬間脳裏に浮かんだのは、昨日公園で起こったあの信じられない出来事。この耳に届いた声も、触れた手のひらの温もりも、何もかもハッキリと覚えているはずなのに不思議なほど現実感がない。まして一晩経って振り返ってみると、あれはやっぱり夢だったんじゃないかと疑ってしまう。
 俺はそんな疑念を振り払うようにポケットに入れた左手で真那からの贈り物をぎゅっと握りしめた。そして何食わぬ顔で椿に言葉を返す。

「ああ、だったら良いけどな」
 
 まさか死んだはずの姉に会うことができたなんて馬鹿げたことを言えるはずもなく、俺は端的にそんな言葉だけ伝えると自分の席へと向かう。いつも通りの見慣れた教室の風景を見ていると、ますます昨日の出来事が嘘のように思えてくる。

「おっす歩! ってどうしたんだよ、朝一からそんな浮かない顔して」
 
 教室の真ん中近くにある自分の席に着くと、すでに前の席に座っていた真一(しんいち)が声をかけてきた。

「べつに。何もないって」

「ほんとか? なんかお化けでも見たような顔してたぜ」

「どんな顔だよ」と俺は呆れた口調で返事をするも、真一の言葉に再びドキリと心臓が疼いた。直後、反射的に椿の方を見てしまったが、彼女は俺の視線には気づかずに楽しそうにさっきの友人と話しをしていた。
 そんな椿の姿にホッと胸を撫で下ろした時、目の前にいる真一が再び口を開いた。

「そういや智志のやつが今度バーベーキューしようぜって話してたんだけどさ、歩もどうよ?」

 人懐っこい笑みを浮かべながらそんなことを尋ねてくる相手に、「いや俺は……」と口を開きかけた時だった。今度は背後から別の声が聞こえてくる。

「真一! 今度の練習試合の相手、布施高らしいぞ」
 
 そう言って現れたのは、白いエナメルバッグを肩にかけた和輝(かずき)だった。和輝は俺のほうを一瞥することもなく真一に話しを続ける。

「今回は2年だけの試合もやるみたいだから、監督がお前らでポジション決めとけってさ」

「お、マジか。なら俺フォワード」

「ばか、ちゃんと話し合って決めろってことだろ」

 和輝はそう言うと、真一の肩をパシンと軽く叩く。

「だから今日の昼休みに俺たち2年だけで集まってミーティングしようぜ」

「さっすが張り切るねー、次期キャプテン!」
 
 真一がおどけた口調でそんなことを言えば、「からかうなって」と和輝が笑いながら再び肩を叩いていた。
 俺はそんな二人のやり取りを黙って見ていたが、和輝が自分の席へと戻ろうとした時に運悪く目が合ってしまう。すると案の定、相手は先ほどまでとは違い冷たい目で俺のことを睨んだ後、何も言わずに自分の席へと向かっていった。

「……和輝のやつ、そろそろ歩のこと許してやればいいのにな」

「別に俺は気にしてないからいいって」
 
 呆れたような感じで話す真一に俺は素っ気ない口調で答えると、机の横にかけた鞄のチャックを開けて中から教科書を取り出す。そういえば、朝から小テストがあったような……
 そんなことを思い出し、憂鬱になりながら数学の教科書を机の上で広げた時、不意に真一がぼそりと口を開いた。

「そういえば椿のねーちゃんって昨日一周忌だったんだよな」
 
 その言葉を聞いた瞬間、思わず教科書のページをめくる手が止まった。俺は動揺を悟られないように、「ああ」とあまり興味がないような空返事をする。
 するとそんな俺の様子を気にすることもなく、真一は椿がいる方を見つめながら話しを続けた。

「椿ちゃん、ああ見えても結構無理してるんだがらお前がしっかり支えてやれよ」

「……わかってるって」
 
 俺は少しぶっきらぼうに返事を返すと、顔を上げてチラリと椿の方を見た。するとたまたまこちらを振り返った椿と目が合い、彼女がニコリと笑って小首を傾げる。
 そんな彼女に俺は特に何もないという意味を込めて小さく首を振った。