「ね、みんな元気にしてる? 椿や私のお父さんやお母さん、それに歩の家族も」
 
 不意にそんな言葉が耳に届いて、俺はハッとして視線を下ろした。すると柔らかく細められた真那の瞳に自分の顔が映る。

「あ、ああ……みんな元気にやってるよ」
 
 そう返事をした直後、胸の奥がチクリと痛んだ。
 俺も椿も、そして彼女の家族も。真那と関わりがあった人たちの心の傷が消えることは決してないけれど、何となく、それは今伝えるべきことではないと思った。
 たぶん彼女のことだから、そんなことを聞けばきっと悲しむだろう。
「そっかそっか」と嬉しそうに頷いている真那を見て、俺は尚更そう思った。それと同時に、どうしても気になっていたことを彼女に尋ねた。

「あのさ真那……こうやってまた出会えたってことは、真那はその……まだ『生きてる』ってことなのか?」

 込み上げくる不安をゴクリと唾と一緒に飲み込んで、俺は恐る恐る聞いた。ほんの僅かでもいい。ほんの僅かでも……もし、あの事故の方が現実ではなかったという希望があれば……
 戸惑いと緊張を滲ませた顔を浮かべる自分に、真那は優しい微笑みを浮かべたままそっと目を閉じる。そして、嘘偽りのないハッキリとした声音で言った。

「違うよ」
 
 その言葉に、心臓がドクリと鈍い音を立てる。さっきまで影を潜めていた黒い感情が、胸の奥底でまた疼き出す。俺は一体何を聞いているのだろう。真那は事故で亡くなったのだ。そんな都合の良い話が、あるわけない。
 顔を伏せ、返事もせずに黙り込んでいると、真那がそっと近づいてきて俺の手に再びオルゴールを手渡してきた。そして顔を覗き込んでくると、「えいッ」と言ってパチンと両手で優しく俺の頬を挟んだ。

「こら、せっかく会えたのにそんな暗い顔しないでよ」

 きゅっと目を細めてわざとらしく怒ったような表情を見せる真那。俺はそんな彼女に向かって「ごめん」と小声で呟く。こうやって再び会うことができたのに、それでも俺は、あの頃と変わらずやっぱり真那に支えられてばかりだ。  
 そんなことを思っていたら、真那が両手をゆっくりと下ろしてニコリと笑う。

「来週も、ちゃんと鳴らしてね」

「え?」
 
 不意に口を開いた真那の言葉に、俺は思わず間の抜けたような声を漏らす。すると彼女は、オルゴールを持っている俺の右手をその両手で優しく包み込んだ。

「私からの誕生日プレゼント」
 
 その声と共に、あの頃と何一つ変わらない真っすぐな瞳が俺の顔を映す。そんな真那の瞳を見ていると、不安も恐怖も戸惑いも、それら全てが泡のように消えていくので不思議だった。
 俺は気を取り直すように大きく息を吸うと、いつもの口調で尋ねた。

「本当に、また会えるんだよな?」
 
 俺の言葉に、真那は白い歯を見せてニッと笑った。そしてくるりと背を向けたかと思うと、夕陽に向かってゆっくりと歩き出す。

「私は偉大な発明家だよ? 絶対会えるに決まってるじゃん」
 
 一歩一歩地面を踏みしめながら、力強く話す真那。すると彼女は立ち止まり、夕陽を背にして再び俺の方へと向き直った。

「だから期待して待っててね!」  
 
 鮮やかな夕暮れにも負けないような明るい声が俺の耳に届いた。既視感のあるその言葉と姿に、まるで自分の方が過去へと戻ったような錯覚に陥ってしまう。
 あの時からずっと言えなかった言葉。それがまだ胸の奥で生きていることに、彼女を前にして気づかされる。
 俺は深く息を吸い込むと、震える唇に力を入れてゆっくりと開いた。

「あのさ、真那……」

 屈託のない笑顔を浮かべている彼女に、そう言葉を投げかけたその時だった。耳に聞こえていたオルゴールの音色がふいにピタリと止まった。その瞬間、無風だった空間に突然強い風が駆け抜けて、俺は咄嗟に目を瞑ってしまう。

「真那!」

 背後で鳥が羽ばたく音を聞きながら、俺は急いで瞼を開けた。直後視界に映ったのは、燃えるように赤い夕焼けと、誰もいない公園の景色だった。

「……」

 胸の奥から一気に込み上げてくる虚しさが、これが本来の現実だと痛いぐらいに告げてくる。わずかな瞬間だけ感じていた幸せは、流れ始めた時間の渦の中へと一瞬にして飲み込まれていく。
 俺は咄嗟にオルゴールに指先を伸ばすと、もう一度蓋を開けようとした。が、どういうわけか、蓋が開かないどころか、あの小さな装飾さえもピクリとも動かない。

「くそ……」

 また伝えることができなかった言葉が、行き場を失って胸の中で疼く。俺は諦めてオルゴールをそっとポケットへと入れると、さっきまで真那が立っていた場所を見つめた。
 そこは最初から誰もいなかったかのように、風に吹かれた落ち葉だけが、自由に空を舞っていた。