レンズ越しに、一凛のとこ花

 そっと彼女の頭を撫でて、蓮に電話をしようとした。
 けど、おもわずスマホを落として、立ち尽くしてしまう。一歩ずつたじろいで、壁にもたれかかってしまう。
 なにが起きているのか、理解できなかった。
 彼女の瞼が、かすかに震えていた。
 そして、ゆっくりと開いていく。
「菫さん」
 飛びつくように、彼女の下に駆け寄る。
 彼女はじいっとこっちを見てから、少しの間そのままでいた。
 徐に目を細めて、唇の端を上げた。
「螢、くん」
 僕は抱きしめた。
「苦しい」と聞こえても構わず、体の中に入れようとしているくらい、ぎゅっと抱きしめ続けた。
「ごめんね、螢くん」
 細い声で言って、腕を背中に回してくれた。
 弱いけど、すごく力強かった。
「どうして、謝るんですか」
「だってもう……ね? 写真、がんばってね」
 本当に、申し訳なさそうに目を落としているのが横目に見える。
 どうして、菫さんはこんなにも強いんだろう。
 こんなときでさえ、僕のことなんか考えている。
 いつも聞いてくるけど、写真なんて、どうだって良いじゃないか。
 でも思えば、彼女はずっとそうだったのかもしれない。
 相手のことばかり考えて、自分のことなんて後回し。
 不器用な人だなって、どんくさい僕のくせに思ってしまう。
 だからこそ、恋をしてしまった。
 そんな彼女に言われたいのは、ごめん、なんかじゃない。
 僕は腕の力を緩めて、体を離す。左右に首を振り、彼女の肩を掴んで、くりっとした大きな瞳を見据えた。
「だったら、他の言葉が良いです」
 一度口を開いてから、飲み込むように口を閉ざして、告げた。
「ありがとうって、言ってほしいです」
 ある言葉は、押し込むことができた。
 けれど、目から溢れ出てくるものは、我慢することができなかった。
 菫さんは、ふふっと小さく笑った。
 僕の唇の端に、ゆっくり指を添えた。僕より一回りも細い指は、とても震えていた。それでもぐいっと、無理やり引っ張ってきた。
「私は、あなたの花になれたかな?」
 目頭が熱くなってきて、喉に力を込めて押し込む。それからにいっと唇を広げて、目を細めた。
 そして、大げさかなってくらい僕は笑った。
 控えめだけど、精一杯、彼女は目を細めて笑った。
 ひらひらと風にそよぐ花びらのように、彼女は首を傾けた。
「ありがと」
 彼女の瞳は、本当に笑っているように見えた。
 そして、花びらが舞い散るみたいに、ひらりと瞼を落とす。
 いくら声をかけても目を覚まさなくて、もう、二度と奇跡は起こらないんだって、なんとなく悟ってしまった。
 それでも零れ落ちそうになるものを必死に堪えて、僕はカメラを取り出して、彼女をレンズ越しに覗く。
 彼女との、最後の約束を守らなくてはいけない。
 ピントを合わせて、シャッターを切ろうとするけど、雨にけぶるみたいにぼやけて、なにも見えなかった。
 手も、小刻みに震えていた。
 カメラの故障なんかじゃなかった。
 彼女が起きている間は、たぶん、僕は笑えていたと思う。
 とはいえ、そろそろ限界なのかもしれない。
 目にある水たまりが、一気に溢れ出してしまう。
 もう、泣いても良いよね、菫さん。
 ぼんやりと、レンズ越しに見えていた。
 最後の最後に、菫さんはまるで。
 すみれの花を咲かせるみたいに、愛おしく笑っていた。