「一つ、お願いがあるの」
「なんですか?」
 菫さんは僕の服の裾を握って、二回引っ張る。こっちに来て、ということだと思って、そっと彼女のそばに顔を近づけた。
 彼女は、耳元で囁いた。
「――」
「えっ、どういうことですか?」
 僕はおもわず目を見開き、聞き返してしまった。けど菫さんは小さく笑って瞼を落とし、眠ってしまった。
 いったい、どういう意味なんだろう。
 本当にこれが彼女の望みだとしたら、とうてい僕には理解できないことだと思った。でも今は確かめようがないから、ひとまず叶えてあげるしかなかった。
 体が冷えないように、布団を首元までしっかりかけてあげから、僕は椅子を窓の近くに置いて座った。
 窓の外からは、さっきの海が一望できた。
 今日は、楽しかったな。
 いっしょに旅行に来られたこともそうだけど、いっしょにゲームをしたり、カップルだと勘違いされたり、二人で並んで海を眺められたり、
 そのせいで僕は今日、けっこう浮かれていたのかもしれない。
 植物病だって、忘れてしまうくらいに。
 他の人からすれば、どう見ても普通の女性で、どこをどう見ても植物病には見えないんだと思う。
 見えてないから、他の人と同じように接することができる。見えかただけでがらりと、なにもかもが変わってしまう。
 見えかた、か。
 僕はどんなふうに、これから菫さんを見れば良いんだろう。
 植物病としてなのか。
 それとも、忘れてしまえば良いのか。
 だけど、どっちを選んだとしても、間違えているような気がしてならなかった。もう、わけが分からなかった。
 窓に反射している自分の顔が見えて、僕は一気にカーテンを閉め切って、下を向いてしまう。
 とても、情けない顔をしていた。僕は大きく深呼吸をして、手の力を緩め、近くにあった水をいっきに飲み干した。カーテンがしわくちゃになっていた。
 薄く夕日が差し込んでくる天井を見上げながら、そっと瞼を落とす。
 僕はカメラを手に取り、電源を入れた。
 彼女のお願いを、叶えるために。