菫さんは、僕の肩を突く。じっと、地平線のほうに目を据えていた。
「私、今なに考えてると思う?」
 とつぜんそんなことを言ってきて、僕は首を傾げてしまう。
「それは、この景色を見て、ということですか?」
 菫さんは頷き、僕は顎に指を添えていた。
 彼女のことだからきっと、きれいとか、広いとか、普通のことは言わなさそう。もっと、意味がありそうな言葉を言いそうな気がする。
「そうですね……世界が溶けてなくなってしまいそう、とかですか?」
 菫さんから、ふふっと噴き出す声が聞えた。
「それは私じゃなくて、こじらせてた螢くんが思ったんじゃないの?」
「それ、ずっと引きずるんですね」
 少し睨みつけるようにして瞼を狭めると、菫さんはもっと笑みを深くした。すると彼女は「座らない?」と段差を指さしながら言って、僕は頷いた。
 きっと、もう少し夕焼けを見ていたいんだろう。
 それは僕も、同じ気持ちだった。
 少し近づいたからか波の音が大きくなって、気づけばぼんやりと、僕たちは日の入りを眺めていた。
 なにもしない時間が、しばらく続いた。
 せっかく旅行に来たのに、という思いが頭を過ぎるけど、僕はあまり話しかける気にはなれなかった。
 そんな時間も、ありなんじゃないだろうか。
 今の僕には、なんだかそう思えていた。
 でもそろそろ時間もないから、いつまでもこうしているわけにはいかない。
 帰りましょうか、と菫さんに声をかけようとした。
 けど。
 柔らかくて、くすぐったい、石鹸の匂いをしたものが頬に触れた。
 肩に、温かいなにかが乗っかった。
 そこには、菫さんの頭があった。
 すぐそこに彼女の顔があって、呼吸の音が直に鼓膜へ触れるみたいに聞こえてくる。顔が、ぶわっと熱くなっていくのを感じる。
 どきっとしてしまった。
 幸せだと、思ってしまった。
 だけどそれは、本当に一瞬のことだった。
 おもわず目を見開き、固まってしまった。肩には遠慮を感じないような重さがかかっていき、だんだんと吐息が荒くなっていく。
 まさか……。
 とっさに菫さんの腕を掴んで、揺さぶろうとした。
 けど彼女の手が、僕の手に触れた。
「大丈夫、ただ、少し眠いだけ」
 そう言って薄っすらと笑みを浮かべ、空を仰ぎ、深く息を吐き出してしまった。とにかく、安心していた。
 でも胸は苦しくて、水の中にずっといたときみたいだった。
 菫さんは無理をしていたのに、僕は……。
 そこで僕は、ハッとなって口を半開きにしてしまう。
 菫さんが座ろうと言ったのも、話そうとしなかったのも、体が辛かったからだろうか。
 それなのに、浮かれていたせいでまったく気づかないで、いつまでも海なんか眺めて、幸せだなんてのんきに思っていた。
 彼女が植物病だって、僕は知っていて側にいるのに。
 本当に、馬鹿みたいだった。