本当に、それで良いんですか?
 そう口から零れ落ちる前に、口を閉ざしてしまい込む。聞きたかったけど、一度逃げてしまった僕に、そんな資格はない気がした。
 それに、僕が聞いたところでどうにかなるなんて、あまり思えない。それなら、このままのほうが良いんじゃないかって、考えてしまう。
 なにも言わない僕を見て、菫さんはもう片方の手で、落ちている枯れ葉を拾う。
 枯れ葉を見つめて、彼女はまた笑った。
「だから、もう少しだけ、螢くんの側で咲かせてくれないかな」
 眉を細めて、唇の端を上げる。とても整った微笑みで、僕のためを思ってのことだってことくらいなら、分かる。
 けど、それよりも引っかかる部分があった。
 もう少しだけ、と言っていた。
 つまり、菫さんはもう長くない、ということなんだろうか。
 空いた口が塞がらなくて、壊れた機械みたいに手が震えてしまった。かすかに視界が、歪んで見える気がした。でも、すぐに首を振った。
 いやいや、そんなわけない。
 どこをどう見ても、僕となにも変わらないじゃないか。
 それなのに、もう少しって。
 もし、本当にもし、仮にでもそうだったとしても、それはいったい、いつだっていうんだろう。
 そう考えているとき、出会った日のことを思い出した。
 雨が嫌いなのは、たしか。
 菫の花が、六月に散ってしまうから。
 あれはやっぱり、ただそれだけの意味じゃなくて。
「まさか、梅雨に……」
 唇が震えて口ごもってしまうと、菫さんは首を傾げた。それから少し経って、彼女はハッとして目を剥いた。
「……えっと、知らなかったの?」
 僕はゆっくり頷くと。
 菫さんはそっと目を逸らして、横髪に触れて、力強く瞼を落とす。深く息を吐き出して、目じりに手を当てて、横に首を振った
「ごめんね、もう知ってるのかと思ってて」
「いえ、その、はい、大丈夫です。」
 僕は笑みを取り繕ってはみるけど、全くできていないのは明白だった。
 てっきり、あと何十年も先のことだと考えていた。
 だから今まで、早めに距離を取ってしまって、自然消滅させようとしていた。そのほうが、この先有意義な時間を過ごせるはずだと思ったから。
 道路のほうからタイヤの音ばかりが鳴って、互いの布が擦れる音が、ひどく耳に入り込んでくる。動くのさえ、ためらいたくなる。
 いろいろ声のかけ方を思いつくけど、どれもあまり良いとは思えなくて、とはいえなにも言わないわけにもいかなくて。
 どう、反応したら良いんだろう。
 握っている手に、力がこもってしまう。
 するとどうしてか、菫さんも握り返してきた。
 その手は少しだけど震えていて、瞳は雨雲のように灰色がかって見えた。
 気づけば、僕もまた握り返していた。
 菫さんの瞳が、じわりと色づいていく気がした。
 僕はじっと、手元を見据える。僕より一回りも小さな手を、僕は手で包み込んでいる。こうして見ると、僕のほうが力強いんだってことが分かる。
 そもそも勝手に、僕の中で彼女を大きな存在にしていただけなのかもしれないと、今ここで初めて気づいた。