「螢くんは、人が好きなんだね」
「人、ですか?」
 菫さんは頷き、小刻みに、もみほぐすように握ってきて、僕はしびれたようにピンっと指が伸びてしまう。
 ふわりと微笑んで、僕を見た。
 まるで、花が咲くみたいだった。
「喜んでいるところを見て幸せになれるんだから、それは、人が好きだからだと、私は思うの」
 僕は首を傾げてしまう。
「でも、みんな嬉しいものなんじゃないですか?」
「たしかにそうだけど、そういうのはたぶん、やりたいことがあって、そのあとにくっついてくるものでしょ? だから始めるきっかけが、人の笑顔をみたいからって、とても素敵なことだと思わない?」
 菫さんは淡々と言葉にしながらも、目は優しく笑っていた。僕はトートバックの中に入っているカメラを覗き、片方の手で触れた。
 人が好き、か。
 彼女はそう言っていたけど、僕の中ではうまくかみ砕くことができなかった。
 そういう人なら、交友関係に対して積極的なんじゃないだろうか。
 僕に知り合いが多いのは、商店街の人たちがいるから。大学でもバイト先でも、あまり話せる人がない僕なのに、人のことを好きだなんて言えない気がする。
 じゃあどうして、人の笑顔を見て、写真を撮りたいと思ったんだろう。
 そんなふうにふけっていると、菫さんは腕時計に目を凝らして、一度空を見上げてから僕のほうを向いた。
「そろそろ、帰るね」
 そう、菫さんは笑みを浮かべて言った。
 いっしょに、菫さんの手はゆっくりとほどけていく。
 思いを馳せるように、僕の指の先まで伝わせていって、離れてしまう。僕の手は名残惜しむように彼女を向くけど、きゅっと手を閉ざしていた。
 彼女を見上げて、そっと目を落として手を組んでいた。菫さんが最後に触れたところに目を据えて、優しくさする。
 菫さんらしいゆったりとした、風でそよいでいる花びらのような声だった。
 いつもとなにも変わらない、夕日に照らされている彼女の横顔があった。
 けれど、僕は見逃さなかった。
 最後の一瞬だけ、手を離すのをためらって、ほんの少し震えていたことに。
 どうして菫さんは、いつも通りでいようとしているんだろう。
 そんなの、嫌でたまらなかった。
 このまま終わりにしたくないって、そう思うから。
 僕は、彼女の手を握っていた。
「どうして、なにも言わないんですか?」
 菫さんは肩を強張らせてから、立ち止まる。けど、こっちを振り向いてはくれなかった。なにも言ってくれなくて、空を飛ぶカラスの声だけが響いていた。
 それでも、僕は言葉を続けた。
「怒って、ないんですか?」
 握っている手に、つい少し力が入ってしまう。すると菫さんはこっちには目も呉れず、またベンチに座った。
 でも菫さんは、手だけは離そうとしなかった。
「螢くんは、私が植物病だってこと、知ってるんだよね?」
 僕は一度ためらってしまいながら、浅く頷く。菫さんは空を見上げて細く息を吐けば、徐に僕のほうを向いた。
 笑顔が、そこにはあった。
 でも。
「花みたいに、静かに花びらを散らせることができれば、それでいいの」
 笑顔の写真を何枚も撮ってきたからこそ、分かるのかもしれない。今でも、あの夏の微笑みを思い出せる。今の彼女の表情は、どこか引きつっているようにしか、僕には見えなかった。