色のない、秋の風が首筋をなぞる。
 ぴゅおっ、と風が顔を吹き抜け、服の裾が後ろになびいていた。冷たく乾いた風で、もう、夏の気配はどこにも残っていない。そろそろ、厚手のアウターがないと厳しいなと、二の腕を擦りながら思った。
 白露だろうか。
 視界が澄んで見えて、やけにすっきりしていた。だからなのかは分からないけど、いつもの道のりなのに、あのころより遠く感じていた。
 今日、大学さぼろうかな。
 眠いし、さむいし、なによりだるいし。あの真夏よりはぜんぜん過ごしやすくなってきたのに、このごろ、そんなふうに思ってしまうことが多くなった。
 とはいえ、そんなことする勇気なんて、僕には備わっていないけど。
 家の最寄り駅に向かうには、商店街を真っ直ぐ突っ切るのがもっとも近い道のりだった。
『花の商店街』というのが、ここの名前。
 どの店も破格の安さだということで、僕の母親を含め、マダムの間では密かに有名だったりもする。
 そのせいで、朝っぱらからうるさいったらありゃしない。
 それでも僕は大学生になった今も、そんな商店街を通り道にしている。たぶんそんな雰囲気も、嫌いじゃないのかもしれない。
 歩いているとフミさんが見えて、僕はそこに向けて小さく会釈をすれば、フミさんがこっちを見て顔中にしわを作った。
「この前はありがとうねぇ。写真を撮ってくれて」
 フミさんは本当に嬉しそうに笑って、僕の手を握った。しわしわな手だけど、なんだかずっと触っていたくなる手だった。
 この前、フミさんに頼まれて写真を撮った。
 たしか、最近生まれたばかりのお孫さんとの写真だった。ほっぺがまんじゅうみたいで柔らかくて、思い出すとまた触りたくなってくる。
 こんなふうに時々、商店街の人からお願いされることがある。そのときにはお駄賃をもらったり、なにかものをくれたりと、こっちも得はしていた。
 でもそれ差し引いても、写真を撮るのは楽しくて、良い経験にもなる。
 だから毎回、喜んで引き受けていた。
 僕は笑みを浮かべて、「いえいえ」と左右に手を振ると、なぜかフミさんは僕の顔をじっと見てから小首を傾げた。
「螢ちゃん、ちゃんとご飯食べてるかい? 顔が細くなってる気がするねぇ」
「そう、ですかね」
 僕はつい目を逸らしてしまい、それを誤魔化すように、袖のボタンを着け直したふりをした。
 するとフミさんは目じりにしわを作り、買い物バックの中からチョコを一個取り出して僕にくれた。今日はキットカットだった。
「甘いものでも食べて、頑張っておいで?」
 フミさんは何本かしか生えていない歯を見せて、大きく笑った。
 きゅっきゅっ、と僕の手を握った。
 自然と、顔が綻んでしまう。
 フミさんの優しさが、微か熱を伝って流れ込んでくるみたいだった。
 いつもこんなふうにしてお菓子をくれて、笑顔で声をかけてくれる。だからか日課みたいなものになっていて、気づかなかった。
 いつも通りって、こんなにも暖かいものだったなんて。
 僕は頷き、すぐにチョコを食べていると、フミさんはいちだんと皺を濃くしていた。
 それが今できる、せめてもの恩返しだと思った。
「そういえば、お願いがあるんだけどねぇ」
 そう言って、フミさんはらくらくフォンを取り出し、写真を見せてきた。
 映っていたのは、フミさんがずっと育てている花壇だった。
 どうやら、それを僕に撮ってほしいとのこと。とうぜん引き受けると、お駄賃としてご飯をごちそうしてくれることになった。
 フミさんは料理上手だから、いっそうその日が楽しみになった。