僕はもう一度おばあさんに頭を下げてから、院内を後にした。
 そろそろ夕方のくせに、いつまでも蒸し暑い。
 僕は空を仰いで、ため息が零してしまう。でもべつに、この暑さの原因である太陽に向けてのものではなかった。
 スマホが振動した。
 開いてみると、『見つかったか?』と蓮から連絡が来ていた。
 僕は「うん」とだけ送り、スマホをそっとバックの中にしまった。いちおう、電源も切っておいた。
 なんとなく、僕は病院の庭にあるベンチに腰掛けた。両太ももに肘をつき、うなだれるように座る。丸まった影が、足元にできていた。
 ただ、ぼんやりと前だけを見ていた。
 喉かな空気が流れていて、欠伸が出てしまいそうなほどだった。
 目の前では、看護師の女性が車いすのおじいさんに微笑みかけて、楽しそうに話している。普段ならつられて微笑んでしまいそうな風景だけど、今の僕には作り笑いすらできる気がしなかった。
 赤の他人とでも、どんなに性格の合わない人とでも、看護師の方はああやって笑顔で関わらなければいけない。
 僕に、そんなことができるんだろうか。
 ぜったい、できない気がする。
 本当に、すごい職業だと改めて思った。
 カメラの電源を入れて、菫さんの映っている写真、一つ一つに目を通す。
 どれも笑顔で、楽しそうな思い出。
 一週間くらいしかないのに、懐かしく思えてくる。
 僕は額を押さえ、震えるように深く息を吐いていた。
 こんなこと、思いたかったわけじゃないのに。
 植物病のせいで、たださえ時間が限られている。
 それなのに、僕のわがままに付き合わせている。
 これから、どうしたら良いんだろう。
 僕は立ち上がり、大きく空気を吸った。
 こんなときに限って香ってくるのは、ペトリコール、石のエッセンス。
 そういえば夕立があるかもしれないとニュース番組で、お天気お姉さんが言っていたのを思い出す。
 すると、雨が降り出した。
 水滴が服に浮くような、優しい雨だった。
 雨で始まり、雨で終わる。
 そう思うと、ぴったりな日なのかもしれない。
 好きだったな。
 そんな心のささやきは、雨の中に溺れさせてしまおう。
 狂い咲きの花は、たった一週間で散ってしまったようです。