気づけば空はどんよりと雲がかっていた。この調子だと、本当に降り出しそう。降ってくる前にさっさと行こうとした。
 けど、なにか小さなものが目の前を横切るのが見えて、すぐに足を止める。
 にゃーと声がした。
 下を向くと、そこにいたのは真っ白な猫だった。
「なんだ、君だったんだ」
 しゃがんで撫でてやると、気持ちよさそうに目を細めてすり寄ってきた。
 かわいいやつだ、と思いながら、そういえば久しぶりに見かけたことに気づく。まあ、野良猫だからそんなものだろう。
 名前は、ビオラという。
 といってもついこの前、僕が勝手につけた名前。しかも名前の由来も、なんとなく彼女によく似ているから、という適当極まりないものだった。
 今日は、この子を撮ろう。
 僕はカメラを取り出し、ビオラにレンズを向ける。相変わらずきれいな毛並みだった。そんなことを思いながら細かくピントを合わせていると、ぴゅっとフレームの中から消えた。
 ファインダーから目を離すと、ビオラが泉場公園に入っていくのが見えた。
 僕は足を止めて、ビオラの後ろ姿をぼんやりと眺めてしまう。
 思い返せば、彼女と合わせてくれたのは白猫だった。
 泉場公園は、東京にある公園ではそれなりに大きく、しっかりと遊具もある。夕方は子どもたちが遊んでいて、それが嘘みたいに朝なんかはとても静か。
 奥のほうには屋根のついたベンチがあって、僕と彼女はそこでよく涼んでいた。
 そして、ここは彼女と会っていた場所だった。
 ビオラがあそこに行くということは、彼女がいるということなんだろうか。
 腕時計を見れば、ちょうど夕方。
 それに夕焼けには、ネイビーのような深い青がかぶさっていた。
 ブルーモーメントが、空に浮かんでいた。
 だから、もしかしたら。
 そんなありえないことを、ここを通るたびにどうしても思ってしまう。
 それでも思ってしまうのは、いつまでも。
 僕の中で咲く花に、いつまでも惑わされているからなのかもしれない。
 空を仰ぎながら、込み上げてくる色んなものを抑え込む。
 そうしていたら、ぽつ、と頬になにかが当たる。水滴だと気づくと、ゆっくり雨脚は強さを増し、折り畳み傘を差したころには、あっという間にアスファルトは真っ黒に染まっていた。
 僕はおもわず、深呼吸をしていた。
 するつもりなんてなかったけど、あのころから癖になっていた。
 ふんわりと、雨の香りが鼻を抜けていく。
 これを、ペトリコールというらしい。
 ペトリコールという言葉を知ったのは、彼女と出会ったその日だった。