目を細めている白猫を見ていると、僕もつい頬が緩んでしまう。
 たしかに僕も、名前はいつかつけてあげたいとは思っていた。可愛がっているから、当たり前な気持ちなのかな。
 けど、一つ分からないのは。
「どうして、花にも名前をつけるんですか? 花には、もともと名前がありますし」
 そう言って菫さんを見つめてしまう。
 彼女は首を振るわけでも、頷くわけでもなく、ただ花を見据えて微笑んでいた。
「蝉の鳴き声って、すごく鬱陶しいよね。でもね、蝉時雨って聞くと、なんだか風情を感じない?」
 ひとまず頷く。僕にはあまり理解できなかったから、そうするしかなかった。僕の表情を一度見てから、ニコリと目を笑わせて、菫さんは続けた。
「だからね、なんでもないことにも名前をつければ、私たちだけの特別な思い出になるかもしれない。それって、とてもすごいことだと思わない?」
 また、頷くことしかできなかった。
 でもさっきまでの頷きとは、まるで意味が違った。
 特別にしたいから、名前をつける。
 菫さんは当たり前のように言っているけど、そんな簡単なことではない気がする。
 自分の子どもとか、ペットとか、気に入った人形とかに名前をつけるのは、そのものが特別だから。
 でも彼女にとっては真逆だった。
 普通のものでも、名前がつけば特別になる。
 とても斬新で、ロマンチックに思えた。
 カメラに目を凝らしていると、おもわず手に力が入ってしまう。ディスプレイに映っている自分の写真が、どこか普通に見えてくる。
 どうしてこうも、彼女に気づかされることが多いんだろう。
 それとも、僕の頭が固いのかな。
 彼女の瞳に映っている景色は、どれも輝いて見えているんじゃないかとさえ思えてくる。
 花を見据える、彼女の瞳に目を向ける。
 キラキラして、澄んでいて、ラメが舞っているスノードームのようだった。
 たぶん、もともとの出来が違うんだと思う。
 だからかもしれない。
 彼女が写真を撮ったほうが、良い写真を撮れるんじゃないかという、ひどく情けない考えが浮かんできた。
 菫さんの心のレンズで撮った写真は、いったいどんなふうに映るんだろうか。
 彼女は、なにかと名前について触れることが多かった。
 名前、か。
 両手の親指と人差し指で、フレームをかたどって覗いてみる。
 彼女だったら、この写真にどんな名前をつけるんだろうか。
 そこで僕はハッとなって、ゆっくりと両手を下ろして、じいっと花に目を凝らす。
 なんでもない風景に、名前をつける。
 こうすることで他にはない、賞でも通用するような良い写真になるんじゃないだろうか。
 それを彼女に伝えると、満面の笑みを浮かべて手のひらを合わせた。
「良いね、とても楽しそう。でもね……」
 菫さんはちらりと、こっちを向いた。おもわず首を傾げてしまうと、彼女は手の甲を擦りながら目を山なりに細める。
「名前があるのも、良いことばかりでもないなって、思っただけ」
 花を見つめながら息を吐くように言葉を零し、僕はその横顔を見つめていることしかできなかった。
 なにか、あったんだろうか。
 でもすぐに彼女は、「どんどん撮ってこ?」と微笑んでいた。もしかしたら、思い違いかもしれない。僕も、口角を上げる。