「菫の花が散ってしまうから、雨が嫌いなんですよね?」
「うん、そうだよ」
 彼女は首を傾げるようにして頷く。僕はしゃがんで、さっきの雨に打たれてしおれている花の背筋を、すっと伸ばしてあげる。
「それなら、また種を植えて、きれいに咲かせれば良いんじゃないですか?」
 顔を上げ、目の端で彼女を見遣る。
 じいっと僕のほうを見つめて、彼女はおもむろに自分の手元に目を落とす。ハンドクリームを塗るように指を擦り、薄く目を細めた。
「たった、一凛なの。同じ花は、二度と咲かないんだから」
 夕焼けが逆光になって、彼女の顔が暗くてあまり見えない。
 だけど、その瞳は潤んでいる気がした。
 彼女は帰ったけど、僕はまたベンチに腰掛けた。
 たばこの煙のような空をぼんやりと眺めて、ふうっと息を吐き出し、腕を組んで瞼を落とす。
 ますます、菫さんのことが分からなくなってきている。
 僕は彼女自身が菫の花を育てていて、それが枯れてしまうのが悲しいからだと少し前まで考えていた。
 けどやはり、別の意味があるのは間違いない。
 彼女はいったいなにを思って、ああ言ったんだろうか。
 それも気になるけど、ひとまず、いつも通り撮った写真を見返す。撮った写真を見返すのがルーティン。でも、ぜったいに写真を消したりはしない。このさき、なにかで使える可能性もあるからだ。
 そういえば最後に撮ったのは、彼女を隠し撮りしたものだった。
 改めて、とても透き通った瞳だと思わされた。
 でも、一つだけ思うところがあった。
 どこか、違和感があった。
 それがなんなのかは分からない。煙が肺に溜まるみたいにもやもやしていて、気になって、過去の写真をさかのぼってみた。
 商店街の精肉店の店主、林太郎さんの結婚式のときに撮った写真が出てきた。
 林太郎さん、笑顔ぎこちないな。
 そういえば、いつも声を張っている林太郎さんがすごく緊張していて、周りに笑われていたことを思い出した。
 でも一世一代のことだから、僕だってそうなるんだろうな。その前に、彼女ができるかが不安なんだけど、とりあえず今はどうでも良い。
 さすがに結婚式終盤には慣れてきたのか、自然になってきていた。けど、それでもどこか違和感のようなものを感じずにはいられなかった。
 作り物っぽいような……。
 僕は、ハッとなって立ち上がっていた。そして、彼女の写真に目を据えた。
 彼女の表情は、たしかに笑っていた。
 けれど、瞳だけは笑えていないようにも感じる。
 花びらの中で閉じこもっているみたいに、僕の目には映っていた。
 まるで彼女は、一凛の花つぼみのようだった。
 これは彼女に許可を撮らず、こっそり撮った写真。
 だから緊張するはずなんてなくて、笑っているなら自然に笑えていないとおかしいはずだった。
 もしかしたら、さっきの言葉も関係しているのかもしれない。
 だんだんと夜のとばりが下りようとしていて、カメラをしまって歩き出した。いつもなら、バイトめんどくさいな、とか、明日も学校か、とか思う時間帯だった。
 でも頭の中は、彼女のことでいっぱいだった。
 風景に溶け込ませたり、公園だったら遊具を使ってみたりと、どんなふうに彼女を撮ろうか、いつまでも考えてしまった。
 なんとしてでも、彼女の笑顔を撮ってみたい。
 いったいどんなふうに、彼女の瞳は咲くんだろうか。