「もう会えないし話せないし、触っても冷たい。いなくなったんだってことはちゃんと理解できました。でも、当時は悲しくて寂しくて、その気持ちのやり場がなくて――あの頃は両親が離婚協議中だったので」
「え……離婚?」
「はい。きっかけはもう覚えてないですけど、そのあと両親は離婚して、母方に引き取られました」
 返答に迷って黙り込むと、吐息の笑い声が聞こえた。
「気にしないでください。家の中の空気がぎすぎすしていたことに比べたら、離婚が成立した後は居心地は良くなりましたから。父とも定期的に連絡を取っていますし、離婚自体は俺にとって別に不幸なことじゃありませんでした」
 その言葉は嘘でも強がりでもないだろう。「普通」と言われていることが何でもかんでも、誰にとっても幸せであるとは限らないのだ。幸せの形は一種類だけではない。
「ただ、そうやって揉めている真っ最中の心の支えがじいちゃんだったので、もう頼れる人がいない、って思ってしまって。意味もなく学校の図書館に居残ってみたりして、帰りたくない日々でしたね」
「……そっか」
「あの頃は、紅葉も月もトラウマみたいになって大っ嫌いでした。――今は、もうそんなことないですけど」
 そう言って、日下部くんは半分食べたみたらし団子を私に寄越してきた。持っていたごまのお団子を渡して交換した時に指先が触れて、手が震えた。今日はなんだか、変だ。
 私も、日下部くんも。
「……月は嫌いでも、星は平気だったの?」
「じいちゃんが最後にプレゼントしてくれたのが、星座の本だったんです」
 今にも泣きだすんじゃないかと思うような声だった。きっと今でも、大事に本棚にしまってあるのだろう。
「子どものころは本気で、星を見ていればじいちゃんを見つけられるんじゃないかと思って、夜、空を見ていました」
 子どもって単純ですよね、と、自嘲気味に笑う日下部くんに、胸が締め付けられる。普段見ることのない表情ばかり見ているせいだろうか。あまりに切なくなって、こんな気持ちはただの部外者の無責任な同情だとわかっているのに、言葉にしてしまう。
「そんなことないんじゃないかな。おじいさんはきっと、ちゃんと見守ってくれていると思うよ」
 無言が訪れて、恐る恐る隣を見ると、月を見上げた彼の瞳から涙が一筋こぼれていた。慌ててティッシュを差し出すと、自分で気づいていなかった様子で、手の甲に落ちたその雫に驚いていた。
「……すみません。情けないところを」
「いや、まったく気にしてないから安心して」
 本当はものすごく気にしているけれど、ずっと俯いたままの彼にかける言葉がわからずに反射的にそう言ってしまう。私の慌てっぷりがわかったのか、彼は少し笑って鼻をかんだ。
「気を遣わせてすみません。まさか泣くとは思いませんでした」
「……それだけ大好きだったんでしょ、おじいさんのこと」
「――はい」
 少しすねた子どものような声で、小さな肯定が聞こえた。返されたティッシュを受け取ってバッグにしまう。その間に、少し目を赤くさせながらも彼は平常運転に戻っていた。
「ここまで深く話したことはなかったんです。当時のことを思い出すのは辛かったので。でも今日、紅葉を水澤さんと見に行って、やっと少し気持ちが楽になれた気がします」
「そっか。それならよかった」
 誰がどんな過去を背負って生きているのかは見ただけではわからない。見えない部分はデリケートだから、そんなに簡単には触れない。そんなところを見せてくれた日下部くんが、愛しく思える。
 ――愛しい、なんて、そんな感情を抱いたのは久しぶりだった。