「今まであんまり話したことなかったけえ、なんか話し掛けづらくて……ごめんね」
その川内の言い訳に、尾崎は俺のほうに顔を向ける。
「てか、あんたら、一年のとき同じクラスじゃなかったん」
「ああ、同じ。三組」
「うん……同じじゃったけど……、あんまり話はせんかったよね」
ちらりとこちらに視線を移して、川内は少し首を傾げた。
「ああ、うん」
俺はこくこくとうなずく。
「で、話ってなんなん」
木下はそう言ってから、おにぎりにかぶりついた。
焦っているということはないだろうが、さすがに引っ張り過ぎではないかと、俺も思う。
しかしまだ川内は、「あの……」とか「えーと」とか、モジモジと言い淀んでいる。
「もうー、パッパと言いんさいや」
尾崎に急かされ、覚悟を決めたように、川内は顔を上げた。
「あのねっ」
「うん」
ようやく話が始まったか、と俺たち三人は昼飯に手を付ける。
川内は、ふう、と一つ息を吐いて、そして続けた。
「実はね、私、園芸部なんじゃけど」
「園芸部」
「園芸部なんかあったんか」
俺と木下は、そう声を上げる。本気で知らなかった。
「う……うん」
その言葉に川内は一瞬ひるんだようだけれど、しかし続けた。
「入部……してくれんかなーって思うて」
「え?」
勧誘か。なんだ。
少々がっかりはしたが、なるべくそれが顔に出ないように気を付けながら、俺は手の中にあるソーセージパンにかぶりついた。
川内は小さな声で続ける。よく耳を傾けていないと聞こえないかもしれない、という声だ。
「顧問の先生がね、男手があったらええって言うて、クラスの男子に声かけてみろって言われて……」
「あんたら、帰宅部じゃろ? 他の男子はなんかどっかの部活に入っとるみたいなし」
そう尾崎が補足する。
この一組は文系クラスで、女子が圧倒的に多い。三十名のうちの八名が男子という構成だ。少々、肩身が狭い。
確かに、残りの六人を見渡してみても、サッカー部とか吹奏楽部とかだったような覚えがある。
「園芸部ってなにするん?」
木下がそう言い、川内がそれに答えた。
「花壇に水やったりとか……」
「うっわ、たいぎいー!」
大声を上げてしまった木下を見て、川内はまた俯いてしまう。彼女の弁当は手付かずのままだ。
尾崎がその様子を見て、助け船を出した。
「でも、なんか部活やっとったら、内申点が良うなるかもしれんよ。面接とかで、帰宅部ですーって言うより、部活やっとりましたって言うたほうがええじゃん」
「あー、まあ、そりゃそうなんじゃろうけど」
木下が頭を掻きながら、一応は尾崎の言葉に同意する。
「でも園芸部かー。ほら例えば、ダンス部あるじゃん。あんなんだったら」
「ダンス部いう柄かよ」
尾崎が木下の言葉に鼻で笑う。それにムッとしたように、木下は眉をひそめた。
「笑わんでもええじゃろ」
「笑うわ、あんたがダンス部とか」
そんな風に二人が軽口の応酬をしているが、川内はなにも言わずに俯いたままだ。
それを見ていると、なんだか胸が痛んだ。俯かせているのが自分のような気がして仕方ない。
だから俺は言った。
「俺、入ってもええよ」
「ホンマっ?」
川内がパッと顔を上げた。喜色満面、という表情だった。
早まったか、と少し思わないでもなかったが、その顔を見たら、まあいいか、という気持ちにもなった。
「ええー、マジか、神崎」
「いやまあ、内申が良うなるんなら、それもええか思うて。どうせ帰宅部じゃし。塾とか行きよるわけでもないし」
「まあのう」
俺が慌てて言った弁解に、木下はあっさりと乗った。
「ほいならワシも入っとこうかのう」
「ホンマ? 良かったあ」
川内が胸を撫で下ろす。そしてふわりと笑った。
なんだかまたどぎまぎしてきて、俺は慌ててパンを齧る。
「ほいでも、そんなに熱心にはやれんで?」
木下は川内のほうに顔を向けて言った。尾崎に対してとは違って、ずいぶん柔らかい口調だ。
「うん、ええよ。ときどき手伝ってくれたら」
木下の言葉に、川内はこくこくとうなずいている。
「ほいならええかあ」
木下は、そんな風に言うけれど。
もしかしたら最初から入部してもいいかと思っていたのかもしれない、とそんな気がした。
園芸部にいるのは、川内だけじゃない。
「川内の他には誰がおるん?」
木下は、そんなわかりきった質問を川内に言う。それを受けた彼女は、尾崎のほうを見て微笑んだ。
「今は、私と千夏ちゃんだけ」
「なんじゃあ、尾崎もおるんかあ」
わざとらしく木下が声を上げる。いや絶対これ、誤魔化しているんだろう。
尾崎はムッとしたように、口を尖らせる。
「ウチがおったらいけんのん。だいたい、ウチもさっきから勧誘しよったろ?」
「川内の手伝いなだけかと思うて。それこそ園芸部いう柄じゃないけえのう」
「はがええわ」
そんな風にまた、尾崎と木下が軽口を叩き合う。
はたから見ると、じゃれ合っているようにしか見えない。
「ありがとね」
川内がにこにことしながらこちらに言う。
「ああ、うん。別に、礼を言われることでもないけえ」
「でも、ありがと」
ほっとしたのか、川内は初めて弁当に手を付けた。卵焼きを箸で半分に割って、それを口に運ぶ。ぱくっとくわえてモグモグと口を動かしている様が、小動物みたいで可愛いな、と思った。
その日の放課後、俺たちは早速部室に案内された。
「部室いうても、部室って感じじゃないんじゃけどね」
苦笑しながら川内が言う。
連れていかれたのは、体育館の横にある、小さな温室だった。
まさかこんなところに誘導されるとは、と、木下と顔を見合わせる。
入り口には南京錠が掛けてあって、川内がガチャガチャと鍵を開けている。
「どうぞ」
扉を開けて、川内がそう言った。俺たちは恐る恐るといった体で、中に足を踏み入れる。
名前も知らない花が、鉢に植えられて並べられているのが目に入る。いや、たまには知っている花もあるけど。パンジーとか。
温室は外からは何度でも見たことはあるけれど、中に入ったことはなかった。なんとなく、普通の生徒は入ってはいけないような気がしていたのだ。
まだ外は少し肌寒いけれど、さすがは温室、暖かい。
中は意外に広くて、通路になっているところに木製の背もたれがないベンチが一つ、それから折り畳みのパイプ椅子がいくつか畳んで置いてある。
「はい、座って座って」
やっぱり尾崎がその場を仕切っている。
女子二人がベンチに並んで座る。なので必然的に俺たちはパイプ椅子を広げて座ることになった。
「二人しかおらんし、部室とか貰うても仕方ないけえね。じゃけえ、ここが部室なんよ」
「なるほどねえ」
初めて入ったその場所がなんだか物珍しくて、きょろきょろと辺りを見渡してしまう。
階段のようになっている棚が所狭しと置かれていて、その上にプランターや植木鉢が並ぶ。棚がないところには、背の高い観葉植物が置いてある。壁を見るとアナログの針時計のような温度計があった。
「たちまち、入部届書いといてもろうてもええ?」
川内が立ち上がり、温室の隅にある棚に向かう。
肥料やらじょうろやら、なぜか筆立てなんかも雑多に置かれた古い木製の大きな棚で、小さな引き出しが付いていた。彼女はそこから二枚、紙を取り出し、さらにバインダーを二つ棚から取り出し、筆立てから二本、ボールペンを抜いた。
こちらに歩み寄りながら、それぞれをセットし、そして俺たちに差し出した。
「はい」
木下と俺は素直にそれを受け取る。見てみれば、クラスと名前を書けばいいだけの、簡単なものだった。今まで帰宅部だったので、見たことすらない代物だ。
特に拒否する理由もないし、入部は決めたことなので、俺たちはなんの疑問もなく、その紙に自分のクラスと名前を書き込んだ。
「これでええん?」
木下と俺はほぼ同時に書き終わり、バインダーごと入部届を川内に渡す。
「うん、ありがと」
そう言って微笑むと、川内は二枚のバインダーを胸に抱える。
「よかったあ」
「よかったねえ」
川内と尾崎が顔を見合わせて笑い合っている。
「なんじゃ、大げさなのう」
呆れたように木下が言った。
「先生が、絶対二人を勧誘せえって言うたけえ」
「ほんまほんま。よかったわ」
ニコニコとしながら、女子二人が言う。
「……へえ?」
……なんだろう。
なんだか、嫌な予感がしてきた。
どうやらその予感は木下もしたようで、こちらに不安げな目を向けてきた。
なので、それを口にしてみる。
「聞いとらんかったけど……顧問って誰なん?」
俺の質問に、女子二人は顔を見合わせて。
それから川内は少し俯いて、尾崎はニヤリと笑った。
「今日、職員会議が終わったらここに来るって言いよったけえ、それまでのお楽しみ」
底意地の悪そうな声で、尾崎が言う。
「はあ?」
「ご、ごめんね。入部届書くまでは言わんほうがええって言われとって……。あっ、隠しとったわけじゃないんよ、訊かれたら言うつもりじゃったんじゃけど、ここまで訊かれんかったけえ」
言い訳がましく川内が続ける。
「え?」
「おおー、来たか」
そのとき、温室の扉が開いたと同時に、野太い声が響いた。
慌てて振り向く。そこにはヨレヨレの白衣を着た先生が一人、立っていた。
「えっ」
「げっ」
「げっ、とはなんじゃあ、げっ、とは」
ズカズカと中に入ってくると、その人は木下の頭を、上から掴むように握った。俺は「えっ」だったのでセーフらしい。
「いたたたた」
木下は自分の頭をつかんでいる手の手首を両手で握って抵抗しようとしているが、体勢もあって相手のほうが力が強い。
「痛うなかろうが、これくらい」
「痛いってえ!」
「ほうか、すまんのう」
ははは、と声を上げて笑うと、すぐに手を離す。
「よう来たのう。歓迎するで」
ニコニコとしながらそう言うその人は、生物教師、浦辺。間違いなく、この山ノ神高校で一番恐れられている教師だ。
がっちりした体格に、無精髭。それだけで、かなりの威圧感がある。しかも広島弁が割とキツくて、生徒の間では「カタギじゃない」だなんて話もあるくらいだ。
外見にふさわしく厳しい人で、制服に校章を付けていなかっただけで、一時間の説教は覚悟しなければならない。
そんな、教師。
「園芸部の顧問って……」
呆然としながらそう言うと、浦辺先生は口の端を上げて言った。
「ワシじゃ。よろしゅう頼むで」
俺たち二人はそれを聞いて、がっくりと肩を落とした。
「騙されたー!」
帰りの道すがら、木下はいつまでもそうわめいていた。
「人聞きの悪いこと言いんさんなや。騙しとりゃあせんわいね。言わんかっただけで」
「同じことじゃ」
ブツブツと続ける木下の横で、尾崎が笑いながら応えている。
この山ノ神高校はバスで通う生徒が多いのだが、最寄りのバス停からは、徒歩十五分かかる。いくらなんでも遠すぎると思う。
遠いだけならまだしも、ほとんどが坂道なのがつらい。住宅街を抜け、心臓破りの坂道を上ったところに高校は建っている。まあ、とはいえ帰りはほぼ下り坂なので、朝よりは帰りのほうが楽だ。
シャトルバスを出してくれればいいのに、どうやらそういうことは今後もないらしい。生徒は黙々とバス停と学校まで間の道のりを歩くしかない。
そこで、他の高校に行ったやつらによく言われることがある。
「山ノ神って、カップルが多いよな」
このバス停までの長い距離のせいで、カップルが生まれやすい、ということのようだ。
それは、入学前から言われていた。
ので、実は少々期待していたのだが……残念ながら、その恩恵には与っていない。
けれどこうして歩いていると、確かにカップルが目に付く。
自転車を押しながらそんなことを考えていると、自転車を挟んで左隣にいた川内が、おずおずと上目遣いで話し掛けてきた。
「ごめんね、騙したみたいで……」
「えっ、ええ、ああ、別に」
俺は自転車のハンドルを握っていた左手を離すと、ひらひらと振った。
「誰が顧問でも、別に構わんかったけえ」
「ほう? ほいならええけど」
川内は安心したように息を吐く。
木下が後ろを歩く俺たちのほうに首だけ振り向いて言った。
「いうか、神崎って、焼山なん?」
「ああ、うん」
焼山は、このあたりの地名だ。山ノ神高校の名前と同じく、地名でどんなところかわかってしまうのが悲しいところだ。
自転車で通うのは、ほぼ間違いなく焼山の人間なので、それがわかったのだろう。
俺たちは出席番号が並んではいるけれど、まだ二年に進級したばかりなのもあって、さして親しく話をしたことはない。特に俺は、他の三人とはほとんど言葉を交わしたこともない。なので基本情報は誰も知らないのだろう。
「木下は? どこ?」
これもいい機会だと、俺もそう質問してみる。
「ワシは和庄。尾崎も」
言われた尾崎もうなずいている。
呉の中心部に近いところだ。ちょっと羨ましい。
「家が近いけえ、幼稚園から一緒じゃわ」
「腐れ縁よのう」
「ウチに付いてきんさんなや」
「アホか! 付いてきたわけじゃないわ!」
そう言ってじゃれ合っている。いや本人たちがどういうつもりなのかは知らないけれど、どう見てもじゃれ合っているようにしか見えない。いつものことだ。
「川内は?」
最後の一人に訊いてみる。川内は少しこちらを見上げて言った。
「私は、仁方」
「仁方ー? 遠っ!」
前にいる木下が大声を上げる。
この長いバス停までの道のりを歩いたあと、バスに乗って呉駅まで二十分。そこから……。
「仁方って、広より向こうだっけ」
「うん、そう。広の次」
川内はこくりとうなずく。
とすると、呉駅から四つ目か。二十分くらい掛かるんじゃないだろうか。乗り換えがすべて上手くいったとしても、最低でも片道一時間はかかるだろう。
「もっと近い高校にすりゃあえかったのに」
前から木下がそう言った。
「あ……うん」
川内は、少し俯いてそう頼りなげに返事をする。
成績とかなんとかいろいろあるんだろうから、もしかしたら好きで山ノ神高校に来たわけじゃないのかもしれない。
そんなことを考えていたら、尾崎がくるりと振り向いてこちらにやってくると、俺の自転車のカゴにポンとカバンを入れる。
「えっ」
「乗して」
「あっ、じゃあ、ワシも」
そして木下もポンとカバンを入れた。
「あー、荷物ないだけで楽ー」
そう言って二人は、意気揚々と両手を振って歩きだす。
まあ、自転車だし、大した負担ではないので、別に構わないかと小さく息を吐く。
本当は、カゴのないスポーティな自転車が良かったのだが、姉ちゃんのお古なのでママチャリだ。それに不満がないわけではないけれど、三年間だけだし、確かにカゴがあって助かる場面は多い。
「……川内も」
隣を歩く川内が、えっ、とこちらを見上げる。そしてふるふると首を横に振った。
「えっ、ええよ、私は。重たいじゃろ?」
「いや、一個増えたところで変わらんよ。早よ」
そう急かすと、川内は躊躇しつつも、そっとカゴの中にカバンを入れた。
「あ、ありがと」
「うん」
何歩か歩いて、川内はまたこちらを見て微笑んだ。
「ホンマじゃ。荷物ないだけで、楽」
その穏やかな笑顔は、ちょっとホッとさせられる。
「ねー、後ろ、乗せてや」
言いながら、また尾崎が寄ってきた。呆れたように木下が肩をすくめる。
「なに言いよるんなら。歩けや」
「ほいでも、楽そうじゃし。焼山の子ら、自転車でええなー思いよったんよ」
「千夏ちゃん、二人乗り、しちゃいけんのんよ」
慌てて川内がそんなことを言っている。
「ちょっとだって、ちょっと。ウチが運転したげるけえ」
そう言って、尾崎が俺の手からハンドルを奪い取ろうとする。
「えっ、じゃあ俺が後ろ?」
「なんでじゃ。それはおかしいじゃろ。それならワシが運転しちゃる」
「男子は歩きんさいや。ハルちゃんが後ろ乗ればええじゃん」
「千夏ちゃん、ダメだって」
俺たちがワイワイと騒いでいるのに呼応するように、さわさわと、道の脇の竹林が揺れた。
「ええじゃん、少しくらい」
「だって、先生、来るよ」
そわそわと後ろのほうを振り返りながら、川内が言った。
「え?」
そんなことを立ち止まって言い合っているうち、後ろから車がやってきたので、俺たちは道の端に寄る。
白のセダンはすぐに通り過ぎるかと思ったら、なぜかスピードを緩めて、そして窓を開けながら止まった。
「げっ」
「げっ、とはなんじゃあ、げっ、とは」
さきほどの温室内での会話が再現されたような感じだった。車の中からは手は伸ばせなかったようなので、頭をつかむまでは再現されなかったことは幸いか。
浦辺先生が車の窓辺に肘を乗せて、俺たち四人を見渡して言った。
「今、二人乗りしようとしとらんかったかいのう?」
「しとりませんよー」
尾崎がしれっとそんなことを言う。主犯は嘘つきだ。
「ほいならええが。二人乗りはすなよ。じゃあ気を付けて帰れ」
その言葉と同時に窓が閉まり、そして車は出発した。それを見送ったあと、俺たちはほうっと息を吐きだした。
「あっぶね」
「ワシは止めとけ言うたろ?」
「千夏ちゃん、危なかったね」
ワイワイと三人でそんなことを言っている。
「ハルちゃんが止めてくれんかったら、確実に怒られとったわ」
尾崎は川内のほうに向かって首を傾げた。
「ハルちゃん、なんで先生が来るのわかったん?」
「えと……そろそろかなって」
「ほうよのう、ちょうど帰る頃よのう。気を付けんにゃいけんわ」
女子二人は元々の部員なのでいいとして、木下は尾崎と仲がいいからか、溶け込んで話をしている。
三人を見ていると、俺だけが違う空気をまとっているような気がして、少しだけ、寂しさを感じる。なんだこれ、高校二年生にもなって。相手してもらえないのが寂しいってか。
「お前も尾崎にはっきり断れや」
ふいにこっちに振り向いて、木下が言う。あ、少し嬉しい。
「今度からそうする」
「せんでええわ!」
「千夏ちゃん、二人乗りはいけんよ?」
「もー、ハルちゃんは固いんよね」
そうして話をしながら帰る道のりは楽しい。徒歩十五分、いつもは自転車だからそんなには掛からない。
でもいつもより短く感じた。
翌日の放課後、温室に行くと。
「男子二人にゃあ、キリキリ働いてもらわんといけんよのう」
と、浦辺先生が上機嫌で言った。
「ワシ、そんなに熱心にクラブ活動するつもりなかったんじゃけど……」
木下がそう言ってうなだれている。
確かに木下は最初から、「ほいでも、そんなに熱心にはやれんで?」と言っていた。
その様子を見て、川内が首を傾げる。
「なんか、お家の用事とかあるん? 塾とか? ほいなら一週間に一回とかでも……」
「ないない、ないわー! 家帰ってゲームするだけよ」
と笑いながら答えたのは、なぜか木下ではなく尾崎だった。木下は少し睨みながら尾崎に言う。
「なんでお前が答えとるんじゃ」
「だって知っとるもん。おばさんが言いよったわ」
胸を張って尾崎がそう言うと、木下は吐き棄てるようにつぶやいた。
「あのクソババア」
「母親に向かってなにを言いよるんなら、コラ」
浦辺先生が素早く木下の頭に手を伸ばし、ギリギリと握っている。
「いたたたた」
「そがあなこと言うなよ、悪いやっちゃなあ」
「暴力教師ー!」
言われて、ははは、と笑いながら浦辺先生は手を離す。
「じゃ、働いてもらおうかのう」
恨みがましい木下の視線は意に介さず、浦辺先生は温室の隅っこに投げてあった台車を指差した。
◇
「まあ……大した手間じゃないけどのう」
二人でガラガラと台車を押していると、木下はため息をついてそう言った。
「でも校舎の入り口までしか台車は使うちゃいけんって言いよったよな」
「職員室が二階なんよのう」
さらに大きなため息を、木下は吐いた。
温室の中にあった背の高い観葉植物が五つ、台車の上に乗っている。今、校舎の中にあるものと入れ替えてきてくれ、とのことだった。
「陽当たりが悪かったり、水をやりすぎたりすると、弱ってくるんよの。じゃけえ定期的に入れ替えるんじゃ」
と浦辺先生が俺たちに指示を出した。
「今まで、女子二人とワシがやりよったんで」
確かにそれでは、男手が必要だと思うのも仕方ない。
「その前は?」
「ん?」
三年生の部員がいない。受験で引退するのは、夏頃のはずだ。まだ春なんだから、まだいてもおかしくはないと思うのだが。ということは、元々いなかったのだろうか。
「誰もおらんかったで。川内が久々の部員じゃ」
「じゃあその頃は……」
「シナシナの観葉植物が置いてあったんじゃ」
「なるほど」
「そういうことじゃけえ、頼むの」
というわけで、俺たちは渋々ながら台車を引いている。
「あー、早まったかのう」
と、木下がため息混じりに言った。
「尾崎がおるって聞いた時点で止めとけばよかった」
なんてことを言うので、少しばかりからかいたくなった。
「逆じゃろ?」
「逆?」
俺の言葉に、木下は足を止める。俺もそれに倣った。
「逆って?」
木下は本気でわからないようで、首を傾げている。
「尾崎がおるけえ、入ったんじゃろ?」
ズバッとそう言うと、木下は目を見開いて、みるみる耳まで赤くなった。
すごい。わかりやすい。
「なっ、なにを言いよるんなら! そがあなことはないで!」
「ほうなん?」
「ほうよ! 最初から尾崎がおるって知っとったら、入っとらんかったんで!」
ムキになってそう言うので、なんだかおかしくなって、笑いが漏れそうな口元を手で押さえた。
そんな俺を見て、木下はムッとしたようにしばらく口を閉ざしたあと、足を進め始める。
あ、まずい、からかいすぎたか。
俺は慌てて先に進む木下に駆け寄り、台車に手を掛ける。
「ごめんごめ……」
「それはお前じゃろ?」
俺の言葉を遮って、木下は言った。
「え?」
「お前は、川内がおったけえ入部したんじゃろ?」
再び、足を止める。木下も足を止め、そして仕返しだとばかりに俺のほうを見てニヤリと笑う。
なんだろう。台車の上の観葉植物が、こちらを伺っているような気がした。そんなはずはないのに。
けれど、なんだか、嘘をつきたくなくなった。こんなことで。
「うん」
だから思わず、首を前に倒した。
「うん、そう」
俺の言葉に、木下はあんぐりと口を開けた。まさかこんなにあっさりと認めるとは思わなかったらしい。
俺だって、こんなに素直に答える自分に驚きだ。
「な……」
呆然とした表情をしたまま、木下は言う。
「なんか……すまんの」
「いや……」
気まずい空気が流れる。これはどう取り繕うのが正解なのだろう。
どちらからともなく俺たちは足を踏み出し、また台車をガラガラと押していく。
しばらく沈黙が続いていたけれど、木下がふいに言った。
「神崎さあ」
「うん?」
「お前、姉ちゃんか妹、おるじゃろ。たぶん姉ちゃん」
「姉ちゃんがおるよ。なんでわかったん?」
「ワシの経験上、ああいう大人しめの女子が好きなやつは、姉ちゃんがおるんじゃ」
なぜか誇らしげに、木下は言った。
なるほど、木下の経験がどれくらいのものかは知らないが、一理あるかもしれない。
「ほうかもしれん。姉ちゃんにこき使われよるけえ、その反動が出るんかも」
「そんな気するよの」
「じゃあ木下には姉妹はおらんのか」
「当たり。一人っ子じゃ。尾崎は大人しい、からは程遠いけえ、わかるよの」
もう隠す気はなくなったらしい。
木下はそう言って、歯を出して笑った。
それからも毎日、俺たちは温室に入り浸った。
温室は、この上なく心地よかった。
温かいというのもあるけれど、花に囲まれて過ごすというのは、やっぱりどこか心穏かになれるものなのかもしれない。
いつの間にか定位置というものができていて、木製のベンチに女子二人、パイプ椅子を広げて俺たちと浦辺先生がその前を取り囲むという形にいつもなる。
四人と教師一人という布陣だが、最初に感じたほどの圧迫感はない。浦辺先生がいても、割とリラックスできている。
浦辺先生も、教室とこの温室では、ずいぶん雰囲気が違うような気がする。きっと俺たちと同じようにリラックスしているのだろう。
渋々ながら入ったはずの園芸部なのに、なんだか今まで入らなかったのがもったいなかったような気分にもなってくる。
「もうちぃと早うに勧誘すればよかったかのう。そしたら花壇を耕してもろうたのにのう」
と浦辺先生が言うので、心の中で前言撤回をした。
「一人じゃ、花壇までは手が回らんかったけえ」
川内が小さく笑いながらそう言う。
「一人?」
俺が首を傾げると、ああ、と川内はうなずいた。
「一年のときは、私一人じゃったんよ」
「ほうなんか」
尾崎がベンチに座って足をプラプラと振りながら、言った。
「ウチは、二年になってすぐ入部したんよね」
「じゃあ俺らとほとんど変わらんのんか」
「うん。こないだ入ったばっかりよ」
「ほうよの。一年のときは帰宅部じゃったよのう」
それは知っていたのか、木下がうなずいている。
それからなにかに気付いたように、あ、と声を出した。
「でも今、チューリップがいっぱい咲いとるじゃん。あれ、園芸部がやったんじゃないんか」
首を傾げてそう言う。確かに、校門の横のほうにある花壇には、たくさんのチューリップが咲いている。
赤、黄色、白と色鮮やかな上、校門から入ってすぐなだけに、ものすごく目に付く。
「チューリップは毎年、勝手に咲きよるんよ」
川内が苦笑しながらそう答える。
「へえー」
そんなものなのか、案外簡単なんだな、と感心していると、浦辺先生が恐ろしい提案をした。
「今年は四人おるけえ、一度全部掘り出すか。ほいで保存して、秋にまた植えよう」
「でも、勝手に咲くんなら、放っといてもええんじゃないん?」
尾崎の言葉に、木下がウンウンとうなずいている。たぶん、面倒くさいと思っているのだろう。もちろん俺もそう思っていた。
しかし浦辺先生は残念ながら、首を横に振る。
「球根にも寿命があるけえ、そう簡単でもないんじゃ。それにホンマは花が咲いたあと、花を摘んだりせんにゃいけんので?」
「ええー」
「それからたぶん、イタチが掘るんよの。じゃけえ、まばらに咲いとる。綺麗に並べたいじゃろ? 花壇の外に生えたりとかもしとるし」
「イタチがおるんっ?」
尾崎と木下が二人して驚いた声を上げた。
「おるよ。お前んとこもおるんじゃないんか」
浦辺先生が俺のほうを見て淡々とした口調でそう言ったから、うなずく。
「見たことはないけど、母ちゃんがおるって言いよる」
「この場合、母が、って言うとけ。クソババアよりマシじゃがの」
浦辺先生の言葉に、木下が肩をすくめた。先日、頭をつかまれたことを思い出しているのだろう。
「焼山、やっぱすげえ。イタチおるんか」
「和庄でも、山のほうならおるじゃろ」
「見たことないもん」
「俺も見たことはないわ」
三人がそんなことを話している間、川内はニコニコとしてそれを聞くだけだった。
それをどう思ったのか、木下が話を振る。
「仁方はどうじゃ。イタチ、おるじゃろ」
なんだかんだ、木下は気の利くやつだと思う。以前にも俺だけが話の輪から外れていたとき、こちらに話を振ってくれた。
しかし川内は急に話を振られて驚いたのか、しどろもどろになってしまっている。
「ど……どうじゃろ……」
「はいはい、田舎論争はその辺にしとけよ。そろそろ時間じゃ。帰れ帰れ」
浦辺先生がそう言って、結局俺たちは温室から追い出された。
四人で帰り道を歩くのが、もう定番となりつつあった。
だいたい尾崎と木下が先を歩いてじゃれ合い、その後を俺と川内でついて歩く。俺は自転車を引いて歩いていて、カゴには四人分のカバンが入っているのもいつものことだ。
「いっつもごめんね」
と川内は申し訳なさそうに言うが、尾崎と木下は二人して「ラッキー」と言うだけだ。
「お前ら、仲ええよのう」
先を歩く二人に向かってそう言うと、二人は同時に振り向いた。
木下は少しだけ考えるような素振りをしたあと、口を開く。
「まあ、悪うはないよのう」
「兄弟みたいなもんよ。腐れ縁じゃし」
その尾崎の言葉に、木下が少し落胆したような表情を見せたのは、気のせいではないと思う。
「尾崎は出来の悪い妹みたいなもんじゃけえ」
木下が気を取り直してからかうように言うその言葉に、尾崎は目を吊り上げた。
「はあ? 出来の悪い弟はあんたじゃ。ウチのほうがお姉さんじゃろ? 生まれたんも先じゃし」
「たった半年じゃろうが」
「半年は大きいわ」
肩をすくめて尾崎が言う。ぶっちゃけ、どっちもどっちだと思う。
しかし木下は気に入らないようで、反論を続ける。
「いや、半年もないわ。お前が七月生まれで、ワシは十二月じゃし。五ヶ月しか違わん」
「細かっ」
そこで、ふと気付いた。
「ああ、もしかして、夏生まれで千夏なんか」
俺の言葉に、尾崎はにっこりと微笑んだ。よくぞ気付いてくれました、と顔に書いてあった。
「ほうよ。ほいで木下が冬生まれで隼冬」
尾崎は木下を指差しながら、そう言う。
「二人ともが、生まれた季節の名前?」
まあ珍しくもないのかもしれないが、幼馴染の二人が揃って、というのは意図的なものを感じる。
「ウチら、母親同士が仲ええんよ」
「そうなん?」
「ご近所で、同い年じゃけえかしらん、いっつも井戸端会議やりよるわ。うるそうて、やれん」
「ほいで、ウチが生まれたとき季節が入った名前がええ言うて千夏になったんじゃけど、木下のおばさんが、それええね、って。じゃけえ、木下の名前はウチのパクりよ」
「パクり言うな!」
そう軽快に二人が言い合っている。夫婦漫才か。
「あっ、あのね!」
しかしふいに川内がそう呼びかけて、皆がいっせいに川内のほうに顔を向けた。それに驚いたのか、川内はまた俯いてしまう。
「あ、ごめん……大した話じゃないけえ……」
そう言って、次の言葉を発しない。
「なんじゃあ、言いかけたんなら言えや」
「え……あ……」
木下の言葉が強すぎたのか、川内はますます俯いてしまう。
尾崎が慌てたように川内に話し掛けた。
「なに? ハルちゃん、気になるわあ」
明るい声で、そして労わるように、尾崎は言葉を紡ぐ。
どうも川内は、内気にもほどがあるような気がする。人の話をニコニコといつも聞いているし、相槌を打つ程度に話したりはするが、自分で発信することはほとんどない。
ちょっと、極端な気がする。
尾崎が根気強く川内をうながして、そして彼女はようやく口を開いた。
「あの……あのね、四人全員……みんな、季節が入っとる名前じゃなって思うて……」
ぼそぼそとそんなことを言う。
「え?」
俺たち三人は、首を傾げる。四人全員?
尾崎千夏。木下隼冬。この二人はわかる。
残り二人。
川内遥。
「ああ、ハルちゃんもハルが入っとるよね」
「え、じゃあ神崎は?」
神崎孝明。
パン、と尾崎が手を叩いて、「ああ!」と声を上げた。
「アキね! なるほど!」
「ホンマじゃ! 春夏秋冬、全部おる!」
尾崎と木下が、興奮気味にそんなことを言っている。
遥、はハルから始まるから、それもなんとなくアリなような気もするが。
「いや……俺だけなんか強引じゃない……?」
「細かいことはええじゃんか。揃っとるんが大切なんよ」
そう言ってから、二人は川内のほうに振り返る。
「よう見つけたねえ」
「ホンマよ」
川内は、照れたように頬を紅潮させている。だからもう、水を差す気はなくなった。
「俺、今、アキが入っとって良かった思うた」
「一人だけ仲間外れになるもんね」
そう言って、みんなで笑って盛り上がる。
川内は、ずっと嬉しそうに微笑んでいた。
ある日の朝、教室に駆け込んできた木下が、窓際に駆け寄ると同時に、教室の窓を勢いよく開けた。
「……なに?」
わけがわからず、その様子を眺める。木下は窓枠に手を掛け、窓の外に身を乗り出すようにして、空を眺めている。
「いや、危ないって」
俺は思わず、木下のブレザーの裾をまくり上げると、ズボンのベルトをつかんだ。
まさか飛び降りはしないだろうけれど、なんだか危なっかしかった。
「あー、いねえ……」
「なにがだよ」
なにがなんだか、という状態なのでそう言うと、木下はこちらにくるりと振り向く。弾みでベルトをつかんでいた手を離してしまった。
どうやらもう安全そうなのでいいんだろうけれど、でもいつでもつかめるように心構えをしておいたほうがいいんだろうか。
しかしこちらの戸惑いは他所に、木下は興奮した様子で口を開く。
「ワシ、今、すげえの見た!」
慌てたようにカバンを自分の机の上に投げて、こちらに身を乗り出してくる。なので思わず身を引いた。唾がかかるんじゃないかっていう距離だった。
「すげえの?」
「UFO!」
「……は?」
なにを言うかと思えば。
しかしこちらのドン引き具合にはまったく構わない様子で、木下はさらに言い連ねてくる。
「いやマジだって。絶対、UFOだって!」
「おはよー、なにを騒ぎよるん?」
尾崎がやってきて、眠たげにそんなことを言う。
「尾崎、お前は見んかったんか!」
「は? なに?」
「UFO!」
「……は?」
尾崎は眉をひそめると、呆れたように一つため息をついて、自分の席に着いた。
「朝からバカなこと言いんさんなや。どうせ飛行機かなんかじゃろ。ゲームのし過ぎじゃないんね」
「本当だって! ああー、あのとき、周りに知っとるやつがおらんかったんよのー」
心底悔しそうに、そんなことを言っている。
「……どこにおったん?」
最初はそんなバカな、と思っていたのに、木下の様子を見ているうち、なんとなく興味が湧いて、そう訊いてみた。
もちろんUFOだとか宇宙人だとかそういう話は、大好物であったりもする。
木下は満面の笑みでこちらに振り返った。
「そこの坂の下から、上のほう見たら、これくらいのの」
そう言って、右手の親指と人差し指で、小さな小さな丸を作る。
「おはよう」
「おはよー、ハルちゃん」
そこで川内もやってきて、そして尾崎は木下の興奮は丸無視で、川内に挨拶していた。
木下も自分が話すのに忙しいのか、特に構いはせずに続けた。
「白い丸が空でフワフワしとって。ほいで、なにかのう、思うて見よったら、こう動いたあと、こう! ほいで、こう! 動いたんじゃ」
すっと左から右に動かした手を、鋭角に左下に振り下ろす。
「ほいでまたこっちに!」
そしてさらに、手を左から右に動かした。木下から見て、Zを書いたような形だ。
なるほど。それなら飛行機とは考えられない。というか、そんな動きをするものがあるだろうか。
「鳥かなんかじゃないん?」
頬杖をついて、呆れたように尾崎が言った。
その辺りから、苦笑しながらこちらを見ているクラスメートもチラホラと見受けられるようになった。木下の声が大きいからだろう。
「鳥はあんな早うに動かんじゃろ」
「あんな、言われても」
冷静な声で尾崎が答える。
「……なんの話?」
さっぱりわけがわからない、という表情で、川内が首を傾げる。途中からだから、なんのことか理解できなかったのだろう。
ため息混じりで、尾崎が答える。
「UFOだって」
「UFO?」
きょとんとして瞬きを繰り返す川内に、木下は身を乗り出して言った。
「いやマジで、見たんだって!」
「そ、そうなんじゃ」
少し身を引きながら、川内が応える。
「動画かなんかあったら信じたのに」
はあ、と息を吐きながら言う尾崎のその言葉に、「あー!」と木下は天井を仰いだ。
「ホンマじゃ! スマホあったのに! 撮ればよかった。ああでも、間に合わんかったかもしれんのう」
「残念でしたー。はい、終わり終わり」
尾崎がパンパンと手を叩きながら、その場を終わらせようとする。
「バカにしとるんか! 宇宙人がおってもおかしくないじゃろうが!」
木下はムキになってそう言う。もう引っ込みがつかないのかもしれない。
しかし尾崎は相手にするつもりはないようだ。
「高校生にもなってそんなん信じとるとか、十分バカじゃわ」
「おるかもしれんじゃろうが」
「うん、おるかもしれんと思うよ」
思わず、そう口を出す。
すると、木下は嬉しそうにこちらを見て笑顔を見せた。
「ほうか、そう思うか!」
「うん」
大きくうなずく。
この広い宇宙で、人類が存在しているのが地球だけ、というのも逆におかしいと思う。
きっと宇宙のどこかに、宇宙人はいるんだ。
「これだから男子は……」
はあ、と尾崎が呆れたようにため息をつく。
しかし。
「私も、おると思う!」
川内の意外な援護射撃に、俺たちは彼女のほうに振り返った。
まーた騒いでる、という顔をしていたクラスメートたちまで、話をするのを止めて、こちらに振り向いたくらいだった。
川内にしては珍しく、音量を上げて、興奮している様子だ。
「私、宇宙人はおると思うよ!」
言っておきながら、肯定されるとは思っていなかったのであろう木下が、けれど「だよな!」と嬉しそうに川内を指差した。
尾崎は困ったように眉尻を下げた。
「ええー、ハルちゃんまで」
「千夏ちゃん、きっとおるよ。見とらんだけかもしれんし」
うんうん、とうなずく俺たち三人を見渡して、尾崎は肩を落とす。
「ええー、まさかのウチが少数派?」
「認めえや。宇宙人はおるって」
勝ち誇って胸を張る木下に、尾崎は眉根を寄せた。
「はがええ。絶対認めとうない」
「なんでじゃ」
そこで一時間目の予鈴が鳴り、皆がゆっくりと自分の席に戻り始める。俺たちも話を止めて、それぞれの席に着いた。
それから尾崎が振り返って、小さく首を傾げて川内に言う。
「でもなんか、意外。ハルちゃんはそんなん言わんような気ぃしとった」
「ほ、ほう?」
「うん」
「でも、世の中にはきっと……そういう不思議なこともたくさんあるんよ」
「ハルちゃんが言うなら、そういうことにしとってもええわ」
そう言って、尾崎はニッと口の端を上げた。
「ワシが言うのは信じんのんか……」
と、後ろの席から小さく言う声が聞こえたところで、一時間目の本鈴が鳴った。
まずは、暖かくなってきてニョキニョキと生え出した花壇の雑草をなんとかしようということになった。
俺たちはジャージに着替えて軍手をはめて、雑草を手当たり次第に抜いた。
喋りながらだったので、そこまで苦痛ではなかったし、雑然としていた花壇が綺麗になったのは気持ちが良かった。
しかし、身体には、クル。
「ああー、腰が痛い」
「じいさんか」
腰をトントンと叩いていた俺に、木下は呆れたようにそう返してきた。
クスクスと笑いながらそれを見ていた川内が、言う。
「でもありがとうね。こんなに早う終わるって思わんかった」
「ハルちゃん、お礼はいらんよ。園芸部の活動なんじゃけえ、やって当たり前」
尾崎はそう川内に話し掛けている。
そういう二人を見ていると、尾崎は過保護な姉という気がしてきた。
「いいや、川内はええけど、尾崎はワシらにドンドン礼を言うくらいがちょうどええ」
そして木下は、それに突っかかる弟、という感じか。
「なんでウチだけ」
「ずっとしゃべりよったじゃろうが」
「退屈せんかったじゃろ?」
「それは確かに」
俺は尾崎の言葉にうなずく。
しかしこの場合、俺の立ち位置はなんなんだろう。
「じゃあ、着替えて帰ろうか」
「うん」
教室に帰って、俺たち男子は教室で着替える。
女子二人は荷物を持って、更衣室に向かった。
「うお、マジで身体痛え」
「運動不足じゃのう」
笑いながら木下が言う。
よく考えると、体育以外で運動なんてしていない。したいとも思わない。かろうじて、通学時の自転車こぎか。運動部のヤツらはすごい、と思う。
着替え終えて、靴箱のところで女子二人を待ち、そして上履きから靴に履き替える。
そして四人で校舎を出たところで。
「タカちゃーん!」
前方の駐車場からこちらに呼びかける声がして、慌てて顔を上げる。
この声は。
「姉ちゃんっ?」
よく見る軽の黒い車。そしてその窓から、よく見る顔を覗かせて、手を振ってくる人。
「姉ちゃん?」
他の三人が、こちらを見て首を傾げる。
なんだか冷汗がどっと出てくるような感覚がした。タカちゃんて。人前で言うなって、いつも言っているのに。
俺は慌てて車に駆け寄る。
「なっ、なんで!」
ニコニコとこちらを見る姉ちゃんに、抑えた声で言う。
「なんかー、お母さんが、最近帰りが遅いって言うけえ、見に来た」
ちなみに姉ちゃんは、帰りが俺よりかなり遅い。
「大学生にはいろいろあるんよ」とか言っているが、「いろいろ」がなにかは知らない。
たまに早く帰ってくることもあるので、今日がそのたまに、なんだろう。
「母ちゃんには部活しよるって言うたのに!」
「知っとる。園芸部だって?」
「知っとるんなら」
「信用されてないんよ、あんたは」
ニヤニヤとしながら、そんなことを言う。
つまり、本当に園芸部に入っているのか、実はそれは方便で、遊び回っているんじゃないかと思われているらしい。
心外だ。帰ったら文句言ってやる。
俺の心の中を読んだのか、姉ちゃんは続けた。
「いやまあ、ホントは興味があったけえ来た。面白そうじゃし。園芸部なんて柄じゃないじゃろ?」
俺も柄じゃなかったらしい。
なにか言ってやろうと口を開いたところで、姉ちゃんの視線が俺の後ろに動いた。
「あ、こんにちは」
振り返ると、三人がこちらにやってきていた。
「こんちはー」
「こんにちは」
「ちっすー」
三者三様の返事を受けて、姉ちゃんはにっこりと笑った。
「タカちゃんがお世話になっとるねー。園芸部の子ら?」
「あ、はい、そうです。お世話になってます」
そう言って、川内がぺこりと頭を下げた。
いやだから、タカちゃん、はやめろ。
「もうええじゃろ。帰れって」
俺は慌ててそう言う。これ以上話をさせたら、どんなことになるのかわかったもんじゃない。
しかし俺の言うことなど姉ちゃんが聞くはずもないのだ。
「いやーん、つれないなあ」
おどけたように言う。素直に帰る気はまったくなさそうだ。
「そもそも、部外者は校内に入っちゃいけんじゃろ」
俺の言葉に、姉ちゃんは唇を尖らせた。
「部外者とか言わんといて。卒業生なんじゃけえ、来てもええじゃろ?」
「卒業生なんですか?」
尾崎が興味をひかれたのか、そう首を傾げた。
「うん、そう。相変わらずバス停から遠いねー」
そう言って、姉ちゃんはケラケラと笑う。
そして三人に向かって口を開いた。
「乗っていきんさいや」
車内を指差して姉ちゃんが言う。なんだって?
呆然としている俺を他所に、尾崎がはしゃいだ声を上げた。
「ええんですか?」
「ええよー、乗って乗って」
「僕もええんです?」
僕って。
「ええよー、そっちの子も」
「えっ、でも、悪いし……」
「ええよええよ、遠慮しんさんな。はい、乗る乗る!」
俺を差し置いて、どんどん話が進んでいく。
「えっ、ちょっと……」
「タカちゃんは自転車じゃろ? それにこれ、軽じゃし三人までじゃわ」
「すまんのー」
「じゃあまた明日ね」
「ご、ごめんね」
俺がなにも言えずにいる間に、三人が車に乗り込む。
バタン、と扉が閉まったと同時に、姉ちゃんが窓を閉めながら言った。
「じゃあねー」
俺はただ呆然と、姉ちゃんの車が走り去っていくのを、見送るしかできなかった。
家に帰ると、姉ちゃんの黒の軽自動車は、家のガレージに停まっていた。
俺は自転車をその隣に置くと駆け出して、玄関を勢いよく開け、もどかしく靴を脱ぎ、バタバタと家の中に入る。
「姉ちゃん!」
居間に入ると、ソファに仰向けに寝そべっている姉ちゃんがいた。もうスウェットに着替えてかなりくつろいでいる様子だ。
「姉ちゃん、なんだよ、あれ!」
「なんだよ、とはなんだよー」
手に持ったスマホを操作しながら、のんびりとした口調でそう返してくる。こちらに視線を向けようともしない。
「なんで来たんじゃ! あと、タカちゃん言うの止めえ言いよるじゃろ!」
「もー、うっさい」
「なんかいらんこと言うとらんよの?」
「いらんこと?」
そこでやっと、姉ちゃんは身体を起こしてこちらを向いた。
「言われたら嫌なことでもあるん?」
ニヤニヤしながら、そんなことを言う。
まずい。これは、話の運びを間違えた気がする。
「そんなん、ない、けど」
「ほいじゃあ、ええじゃん」
そう言って、またスマホに視線を落とす。
……どうせ、口喧嘩で勝てるわけはないのだ。これは刺激しないのが吉だ。
「……車で、なにを話したん?」
しかし一応は、訊いてみる。
「別に? 歩きゃあ長いけど、車じゃったらバス停まですぐじゃもん。なんか話す暇はないわ」
それもそうか。
でも念のため、明日、あいつらに訊いてみよう。
そんなことを考えながら踵を返すと、後ろから姉ちゃんの声が追ってきた。
「ほいで、あんたの好きな子、どっちなん?」
刺激しないと誓ったばかりなのに、思わずバッと振り向いて大声を上げた。
「どっちでもええじゃろ!」
「ふーん」
そう言って、口の端を上げてニヤリと笑う。
あ、待て。今、もしかして。
誘導尋問に引っ掛かってしまったのか。
「なるほどー、どっちかが好きなんじゃねー。じゃけえ園芸部かー。青春じゃわー、羨ましー」
ソファの脇に置いてあったクッションを手に取り、それを抱きしめて、右へ左へと身体を捻っている。悶えている、という表現か。わざとらしい。
「くっそ……」
ムカつく。いつか絶対、弱みを握ろう。
これ以上話しても無駄だと自分を納得させ、再度、居間に背中を向けたところで、けれど姉ちゃんは続けた。
「まあ、よかったわ」
「……なにが」
「タカちゃんはさー、あんまり自己主張せんじゃん? 成績も、良うもないし悪うもないって感じでさー。友だちも、いなくはないけど、親友はいないっぽいし。得意なこともあんまりないけど、すごい苦手なもんもないって感じで、特徴がないっていうかさー。じゃけえ帰宅部なんも、さもありなんって感じじゃったけど。私は、タカちゃんが部活始めて、よかったと思うよ」
散々な言われようの気はするが、さすがは姉というのか、的確な指摘の気がする。
「わがままも言わんわけじゃないけど、すぐに引っ込むし」
「ほうかのう……?」
「うん。自転車もさあ、最初は違うの欲しいって言いよったのに、あっさりこれでええって言うてさ」
「あれでよかったけえ」
「私のお古でもあんまり文句言わんけえ、罪悪感が湧くわ。もうちょっとわがまま言うときんさい」
罪悪感なんてものがあったのか、と少し驚く。とてもそうは見えないのだが。
「じゃあ、小遣いくれ」
「あんたがデートするときになったら、あげるわ」
そう言って、姉ちゃんはケラケラと笑った。