「騙されたー!」
帰りの道すがら、木下はいつまでもそうわめいていた。
「人聞きの悪いこと言いんさんなや。騙しとりゃあせんわいね。言わんかっただけで」
「同じことじゃ」
ブツブツと続ける木下の横で、尾崎が笑いながら応えている。
この山ノ神高校はバスで通う生徒が多いのだが、最寄りのバス停からは、徒歩十五分かかる。いくらなんでも遠すぎると思う。
遠いだけならまだしも、ほとんどが坂道なのがつらい。住宅街を抜け、心臓破りの坂道を上ったところに高校は建っている。まあ、とはいえ帰りはほぼ下り坂なので、朝よりは帰りのほうが楽だ。
シャトルバスを出してくれればいいのに、どうやらそういうことは今後もないらしい。生徒は黙々とバス停と学校まで間の道のりを歩くしかない。
そこで、他の高校に行ったやつらによく言われることがある。
「山ノ神って、カップルが多いよな」
このバス停までの長い距離のせいで、カップルが生まれやすい、ということのようだ。
それは、入学前から言われていた。
ので、実は少々期待していたのだが……残念ながら、その恩恵には与っていない。
けれどこうして歩いていると、確かにカップルが目に付く。
自転車を押しながらそんなことを考えていると、自転車を挟んで左隣にいた川内が、おずおずと上目遣いで話し掛けてきた。
「ごめんね、騙したみたいで……」
「えっ、ええ、ああ、別に」
俺は自転車のハンドルを握っていた左手を離すと、ひらひらと振った。
「誰が顧問でも、別に構わんかったけえ」
「ほう? ほいならええけど」
川内は安心したように息を吐く。
木下が後ろを歩く俺たちのほうに首だけ振り向いて言った。
「いうか、神崎って、焼山なん?」
「ああ、うん」
焼山は、このあたりの地名だ。山ノ神高校の名前と同じく、地名でどんなところかわかってしまうのが悲しいところだ。
自転車で通うのは、ほぼ間違いなく焼山の人間なので、それがわかったのだろう。
俺たちは出席番号が並んではいるけれど、まだ二年に進級したばかりなのもあって、さして親しく話をしたことはない。特に俺は、他の三人とはほとんど言葉を交わしたこともない。なので基本情報は誰も知らないのだろう。
「木下は? どこ?」
これもいい機会だと、俺もそう質問してみる。
「ワシは和庄。尾崎も」
言われた尾崎もうなずいている。
呉の中心部に近いところだ。ちょっと羨ましい。
「家が近いけえ、幼稚園から一緒じゃわ」
「腐れ縁よのう」
「ウチに付いてきんさんなや」
「アホか! 付いてきたわけじゃないわ!」
そう言ってじゃれ合っている。いや本人たちがどういうつもりなのかは知らないけれど、どう見てもじゃれ合っているようにしか見えない。いつものことだ。
「川内は?」
最後の一人に訊いてみる。川内は少しこちらを見上げて言った。
「私は、仁方」
「仁方ー? 遠っ!」
前にいる木下が大声を上げる。
この長いバス停までの道のりを歩いたあと、バスに乗って呉駅まで二十分。そこから……。
「仁方って、広より向こうだっけ」
「うん、そう。広の次」
川内はこくりとうなずく。
とすると、呉駅から四つ目か。二十分くらい掛かるんじゃないだろうか。乗り換えがすべて上手くいったとしても、最低でも片道一時間はかかるだろう。
「もっと近い高校にすりゃあえかったのに」
前から木下がそう言った。
「あ……うん」
川内は、少し俯いてそう頼りなげに返事をする。
成績とかなんとかいろいろあるんだろうから、もしかしたら好きで山ノ神高校に来たわけじゃないのかもしれない。
そんなことを考えていたら、尾崎がくるりと振り向いてこちらにやってくると、俺の自転車のカゴにポンとカバンを入れる。
「えっ」
「乗して」
「あっ、じゃあ、ワシも」
そして木下もポンとカバンを入れた。
「あー、荷物ないだけで楽ー」
そう言って二人は、意気揚々と両手を振って歩きだす。
まあ、自転車だし、大した負担ではないので、別に構わないかと小さく息を吐く。
本当は、カゴのないスポーティな自転車が良かったのだが、姉ちゃんのお古なのでママチャリだ。それに不満がないわけではないけれど、三年間だけだし、確かにカゴがあって助かる場面は多い。
「……川内も」
隣を歩く川内が、えっ、とこちらを見上げる。そしてふるふると首を横に振った。
「えっ、ええよ、私は。重たいじゃろ?」
「いや、一個増えたところで変わらんよ。早よ」
そう急かすと、川内は躊躇しつつも、そっとカゴの中にカバンを入れた。
「あ、ありがと」
「うん」
何歩か歩いて、川内はまたこちらを見て微笑んだ。
「ホンマじゃ。荷物ないだけで、楽」
その穏やかな笑顔は、ちょっとホッとさせられる。
「ねー、後ろ、乗せてや」
言いながら、また尾崎が寄ってきた。呆れたように木下が肩をすくめる。
「なに言いよるんなら。歩けや」
「ほいでも、楽そうじゃし。焼山の子ら、自転車でええなー思いよったんよ」
「千夏ちゃん、二人乗り、しちゃいけんのんよ」
慌てて川内がそんなことを言っている。
「ちょっとだって、ちょっと。ウチが運転したげるけえ」
そう言って、尾崎が俺の手からハンドルを奪い取ろうとする。
「えっ、じゃあ俺が後ろ?」
「なんでじゃ。それはおかしいじゃろ。それならワシが運転しちゃる」
「男子は歩きんさいや。ハルちゃんが後ろ乗ればええじゃん」
「千夏ちゃん、ダメだって」
俺たちがワイワイと騒いでいるのに呼応するように、さわさわと、道の脇の竹林が揺れた。
「ええじゃん、少しくらい」
「だって、先生、来るよ」
そわそわと後ろのほうを振り返りながら、川内が言った。
「え?」
そんなことを立ち止まって言い合っているうち、後ろから車がやってきたので、俺たちは道の端に寄る。
白のセダンはすぐに通り過ぎるかと思ったら、なぜかスピードを緩めて、そして窓を開けながら止まった。
「げっ」
「げっ、とはなんじゃあ、げっ、とは」
さきほどの温室内での会話が再現されたような感じだった。車の中からは手は伸ばせなかったようなので、頭をつかむまでは再現されなかったことは幸いか。
浦辺先生が車の窓辺に肘を乗せて、俺たち四人を見渡して言った。
「今、二人乗りしようとしとらんかったかいのう?」
「しとりませんよー」
尾崎がしれっとそんなことを言う。主犯は嘘つきだ。
「ほいならええが。二人乗りはすなよ。じゃあ気を付けて帰れ」
その言葉と同時に窓が閉まり、そして車は出発した。それを見送ったあと、俺たちはほうっと息を吐きだした。
「あっぶね」
「ワシは止めとけ言うたろ?」
「千夏ちゃん、危なかったね」
ワイワイと三人でそんなことを言っている。
「ハルちゃんが止めてくれんかったら、確実に怒られとったわ」
尾崎は川内のほうに向かって首を傾げた。
「ハルちゃん、なんで先生が来るのわかったん?」
「えと……そろそろかなって」
「ほうよのう、ちょうど帰る頃よのう。気を付けんにゃいけんわ」
女子二人は元々の部員なのでいいとして、木下は尾崎と仲がいいからか、溶け込んで話をしている。
三人を見ていると、俺だけが違う空気をまとっているような気がして、少しだけ、寂しさを感じる。なんだこれ、高校二年生にもなって。相手してもらえないのが寂しいってか。
「お前も尾崎にはっきり断れや」
ふいにこっちに振り向いて、木下が言う。あ、少し嬉しい。
「今度からそうする」
「せんでええわ!」
「千夏ちゃん、二人乗りはいけんよ?」
「もー、ハルちゃんは固いんよね」
そうして話をしながら帰る道のりは楽しい。徒歩十五分、いつもは自転車だからそんなには掛からない。
でもいつもより短く感じた。
帰りの道すがら、木下はいつまでもそうわめいていた。
「人聞きの悪いこと言いんさんなや。騙しとりゃあせんわいね。言わんかっただけで」
「同じことじゃ」
ブツブツと続ける木下の横で、尾崎が笑いながら応えている。
この山ノ神高校はバスで通う生徒が多いのだが、最寄りのバス停からは、徒歩十五分かかる。いくらなんでも遠すぎると思う。
遠いだけならまだしも、ほとんどが坂道なのがつらい。住宅街を抜け、心臓破りの坂道を上ったところに高校は建っている。まあ、とはいえ帰りはほぼ下り坂なので、朝よりは帰りのほうが楽だ。
シャトルバスを出してくれればいいのに、どうやらそういうことは今後もないらしい。生徒は黙々とバス停と学校まで間の道のりを歩くしかない。
そこで、他の高校に行ったやつらによく言われることがある。
「山ノ神って、カップルが多いよな」
このバス停までの長い距離のせいで、カップルが生まれやすい、ということのようだ。
それは、入学前から言われていた。
ので、実は少々期待していたのだが……残念ながら、その恩恵には与っていない。
けれどこうして歩いていると、確かにカップルが目に付く。
自転車を押しながらそんなことを考えていると、自転車を挟んで左隣にいた川内が、おずおずと上目遣いで話し掛けてきた。
「ごめんね、騙したみたいで……」
「えっ、ええ、ああ、別に」
俺は自転車のハンドルを握っていた左手を離すと、ひらひらと振った。
「誰が顧問でも、別に構わんかったけえ」
「ほう? ほいならええけど」
川内は安心したように息を吐く。
木下が後ろを歩く俺たちのほうに首だけ振り向いて言った。
「いうか、神崎って、焼山なん?」
「ああ、うん」
焼山は、このあたりの地名だ。山ノ神高校の名前と同じく、地名でどんなところかわかってしまうのが悲しいところだ。
自転車で通うのは、ほぼ間違いなく焼山の人間なので、それがわかったのだろう。
俺たちは出席番号が並んではいるけれど、まだ二年に進級したばかりなのもあって、さして親しく話をしたことはない。特に俺は、他の三人とはほとんど言葉を交わしたこともない。なので基本情報は誰も知らないのだろう。
「木下は? どこ?」
これもいい機会だと、俺もそう質問してみる。
「ワシは和庄。尾崎も」
言われた尾崎もうなずいている。
呉の中心部に近いところだ。ちょっと羨ましい。
「家が近いけえ、幼稚園から一緒じゃわ」
「腐れ縁よのう」
「ウチに付いてきんさんなや」
「アホか! 付いてきたわけじゃないわ!」
そう言ってじゃれ合っている。いや本人たちがどういうつもりなのかは知らないけれど、どう見てもじゃれ合っているようにしか見えない。いつものことだ。
「川内は?」
最後の一人に訊いてみる。川内は少しこちらを見上げて言った。
「私は、仁方」
「仁方ー? 遠っ!」
前にいる木下が大声を上げる。
この長いバス停までの道のりを歩いたあと、バスに乗って呉駅まで二十分。そこから……。
「仁方って、広より向こうだっけ」
「うん、そう。広の次」
川内はこくりとうなずく。
とすると、呉駅から四つ目か。二十分くらい掛かるんじゃないだろうか。乗り換えがすべて上手くいったとしても、最低でも片道一時間はかかるだろう。
「もっと近い高校にすりゃあえかったのに」
前から木下がそう言った。
「あ……うん」
川内は、少し俯いてそう頼りなげに返事をする。
成績とかなんとかいろいろあるんだろうから、もしかしたら好きで山ノ神高校に来たわけじゃないのかもしれない。
そんなことを考えていたら、尾崎がくるりと振り向いてこちらにやってくると、俺の自転車のカゴにポンとカバンを入れる。
「えっ」
「乗して」
「あっ、じゃあ、ワシも」
そして木下もポンとカバンを入れた。
「あー、荷物ないだけで楽ー」
そう言って二人は、意気揚々と両手を振って歩きだす。
まあ、自転車だし、大した負担ではないので、別に構わないかと小さく息を吐く。
本当は、カゴのないスポーティな自転車が良かったのだが、姉ちゃんのお古なのでママチャリだ。それに不満がないわけではないけれど、三年間だけだし、確かにカゴがあって助かる場面は多い。
「……川内も」
隣を歩く川内が、えっ、とこちらを見上げる。そしてふるふると首を横に振った。
「えっ、ええよ、私は。重たいじゃろ?」
「いや、一個増えたところで変わらんよ。早よ」
そう急かすと、川内は躊躇しつつも、そっとカゴの中にカバンを入れた。
「あ、ありがと」
「うん」
何歩か歩いて、川内はまたこちらを見て微笑んだ。
「ホンマじゃ。荷物ないだけで、楽」
その穏やかな笑顔は、ちょっとホッとさせられる。
「ねー、後ろ、乗せてや」
言いながら、また尾崎が寄ってきた。呆れたように木下が肩をすくめる。
「なに言いよるんなら。歩けや」
「ほいでも、楽そうじゃし。焼山の子ら、自転車でええなー思いよったんよ」
「千夏ちゃん、二人乗り、しちゃいけんのんよ」
慌てて川内がそんなことを言っている。
「ちょっとだって、ちょっと。ウチが運転したげるけえ」
そう言って、尾崎が俺の手からハンドルを奪い取ろうとする。
「えっ、じゃあ俺が後ろ?」
「なんでじゃ。それはおかしいじゃろ。それならワシが運転しちゃる」
「男子は歩きんさいや。ハルちゃんが後ろ乗ればええじゃん」
「千夏ちゃん、ダメだって」
俺たちがワイワイと騒いでいるのに呼応するように、さわさわと、道の脇の竹林が揺れた。
「ええじゃん、少しくらい」
「だって、先生、来るよ」
そわそわと後ろのほうを振り返りながら、川内が言った。
「え?」
そんなことを立ち止まって言い合っているうち、後ろから車がやってきたので、俺たちは道の端に寄る。
白のセダンはすぐに通り過ぎるかと思ったら、なぜかスピードを緩めて、そして窓を開けながら止まった。
「げっ」
「げっ、とはなんじゃあ、げっ、とは」
さきほどの温室内での会話が再現されたような感じだった。車の中からは手は伸ばせなかったようなので、頭をつかむまでは再現されなかったことは幸いか。
浦辺先生が車の窓辺に肘を乗せて、俺たち四人を見渡して言った。
「今、二人乗りしようとしとらんかったかいのう?」
「しとりませんよー」
尾崎がしれっとそんなことを言う。主犯は嘘つきだ。
「ほいならええが。二人乗りはすなよ。じゃあ気を付けて帰れ」
その言葉と同時に窓が閉まり、そして車は出発した。それを見送ったあと、俺たちはほうっと息を吐きだした。
「あっぶね」
「ワシは止めとけ言うたろ?」
「千夏ちゃん、危なかったね」
ワイワイと三人でそんなことを言っている。
「ハルちゃんが止めてくれんかったら、確実に怒られとったわ」
尾崎は川内のほうに向かって首を傾げた。
「ハルちゃん、なんで先生が来るのわかったん?」
「えと……そろそろかなって」
「ほうよのう、ちょうど帰る頃よのう。気を付けんにゃいけんわ」
女子二人は元々の部員なのでいいとして、木下は尾崎と仲がいいからか、溶け込んで話をしている。
三人を見ていると、俺だけが違う空気をまとっているような気がして、少しだけ、寂しさを感じる。なんだこれ、高校二年生にもなって。相手してもらえないのが寂しいってか。
「お前も尾崎にはっきり断れや」
ふいにこっちに振り向いて、木下が言う。あ、少し嬉しい。
「今度からそうする」
「せんでええわ!」
「千夏ちゃん、二人乗りはいけんよ?」
「もー、ハルちゃんは固いんよね」
そうして話をしながら帰る道のりは楽しい。徒歩十五分、いつもは自転車だからそんなには掛からない。
でもいつもより短く感じた。