ふと、思う。
 俺は、理解しているふりをしていただけだったのかもしれない。心の底では、なにをバカなことをって思っていたのかもしれない。

 だから、俺よりも植物を優先したことが、我慢ならなかったのかもしれない。

 優しいふりをして、ただ傍にいたいがために、理解した素振りを見せてきたのかもしれない。
 実は、信じようともしていなかったのかも、しれない。

「川内だけじゃのうて、ワシも、お前も、たぶん皆、聞こえるのかもしれんぞ。聞く気になれば」

 穏やかな声が耳に入ってくる。
 俺は緊張を解いて、ベンチに腰掛ける。なぜか、浦辺先生の言うことを素直に聞けた。心を穏やかにしようと務めてみた。

 もしかしたら、俺にもわかるのかもしれない。彼らの気持ち。

「ここに来ると穏やかになれると思わんか? 川内が丁寧に手入れしてくれるおかげでそうなんじゃないかと思うがのう」

 そうだ。いつもここに来ると、安らげた。それは川内がいたからかもしれないけれど。

 でも。
 なぜだろう。今日はなんだか落ち着かない。川内がいないからかもしれない。浦辺先生と二人きり、なんて状況だからかもしれない。

 でも、それだけじゃないような気がした。
 さっきから、なにか、嫌なものが俺に向けられている気がして仕方ない。

 ……敵意。あるいは、悪意。
 そういうものを向けられている。そう感じた。

 ゾワッとなにかが身体をすり抜けた。暖かいのに、寒さを感じて二の腕を擦る。
 なにが、誰が、それを俺に向けている?

「お前ら、付き合うとるんじゃろ?」

 急にそう言われたので、驚いて顔を上げて浦辺先生のほうを見る。けれど、先生はもう俺に背を向けて、水遣りを始めていた。

「えーっ……と、あの」

 もしかしたら、学生は勉強が本分、なんて怒られるのかと考えて、どう答えようかとしどろもどろしていると、浦辺先生は再び振り向いた。

「別に隠すことでもないじゃろ」
「……はあ、まあ……」
「なんだかな、最近元気がないけえ。喧嘩でもしとるんか?」
「いや……喧嘩っていうか」
「謝っとけ」
「え?」

 尾崎と同じことを言うので、思わず聞き返す。浦辺は少し声を大きくして、再び言った。

「謝っとけ。どうせお前のほうが悪いんじゃ」
「ひどっ」

 もう苦笑いするしかない。
 しかし浦辺先生は少し首を傾げる。

「川内のほうが悪いんか?」
「いや、悪くない……けど」
「ほうじゃろ。じゃけ、謝っとけって。こんな綺麗な花を咲かせる子が悪いわけがなかろうが」

 ムチャクチャだ。俺の言い分は聞く気はないらしい。まあだいたい正解なので、それはいいのだが。

 ふと視線を上に向けると、あのテーブルヤシがあった。
 折れた茎のところに添え木がしてあって、ぐるぐるとテープを巻いている。ちゃんと繋がっているのか、まだ葉は青々としていた。

「あ」
「ん?」

 俺の視線の先を追って、先生もそのテーブルヤシを見る。

「ああ、これか? 折れたみたいなけえ、川内が治療しよったぞ」

 治療。まるで、人間みたいだ。でも、他に当てる言葉はない気がする。

「これ、俺が不注意で……」
「ああ、じゃ、踏み台壊してしもうたのお前か」
「……すみません」

 思わず謝ると、浦辺先生は古かったからな、とつぶやいた。

「謝っとったほうが……ええよな」

 俺が小さく言った言葉に、先生は首を傾げる。

「テーブルヤシにか。それとも川内にか」

 俺はちょっとの間考えて、そして言った。

「……どっちも」
「そりゃそうじゃろ」
「……うん」

 そうつぶやいて黙り込んでいると、浦辺先生はテーブルヤシを指差して言った。

「こっちはすぐに謝れるじゃろ?」
「えっ」

 思わず顔を上げて、先生を見る。

「今?」
「今」

 冗談かと思ったけど、浦辺先生は真剣な様子でうなずいた。戸惑っていると、さらに浦辺先生は言葉を継いでくる。

「嫌なんか?」
「嫌じゃないけど」

 これは、逃れられそうもない感じだ。
 人前でそうするのはかなり抵抗があったけど、俺は立ち上がってテーブルヤシの前に立ち、見上げた。
 もう一度浦辺先生のほうへ振り返る。先生は、顎をしゃくって、ほら、と俺をうながした。

 こうなったらもうヤケだ。俺は思い切り頭を下げた。

「すみませんでした!」

 温室の中に静寂が訪れる。俺は頭を下げたまま、ただ時間が過ぎるのを待った。
 すると。
 感じた。さっきまで俺に向けられていた敵意が波が引くように去っていく。いつもと変わらない温室に変化していく。

 慌てて頭を上げて、きょろきょろと辺りを見渡す。変わった。空気が。
 愕然と立ちすくむ。
 嘘だろう?

「どうかしたんか?」

 先生が首を傾げている。

「いや……」

 確かに、感じられた。俺にも。
 川内のようには受け止めてはいないのだろうけれど、確かに感じた。
 呆然としている俺に、浦辺先生が声を掛けてくる。

「どうした?」
「俺」

 慌てて、ドアに向かって駆け出した。

「謝らないと」
「おい、神崎!」

 呼び止められて、振り向く。浦辺先生が苦笑しながら、言った。

「お前ええ加減、卒業までには敬語を使えるように、ちっとは気を付けとけ」